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どろとてつ  作者: ニノフミ
第四話
13/224

【怨嗟】④

   ◆




 雨を斬りながら剣尖が疾走る。

 先に動いたのは冬川だ。

 牽制ではない本気の突き技は力の溜めを要する。

 故に無意識にも「引き」が初動に顕われるものだが、彼女にはそれがない。

 胴体から前に出ることで手元の引き寄せを省略している。


 ――恐ろしく速い。

 心の何処かで恐れていた冬川の強みが遺憾なく発揮されていた。

 威力は武器自体が持っている。

 操者はただ最速で動けばいいだけなのだ。


 鉄華も既に動いている。

 対手が動く前の視線、呼吸、足置き。ほんの僅かな「起こり」を確実に捉えていた。

 その刹那の見切りを可能にしたのは身長差の有利であろう。

 頭部を狙う打突の最短距離は身長差で変わってしまう。

 冬川は僅かではあるが間合いを読み違えていた。

 技も、狙う部位も、速さも全て予想通り。

 的確な読みは速度を凌駕する。


 鉄華の全力の袈裟斬りは、冬川の突きと中空でかち合った。

 異なるベクトルを持つ二対の木刀は、一方だけが弾かれるように軌道を変えて行く。

 残ったのは鉄華の方だ。

 迫り来る突きを押し潰した袈裟斬りは、そのまま勢いを緩めることなく冬川の小手を狙う。 

 

 ――はずだった。


 弾かれたように見えた冬川の剣は袈裟斬りに張り付いたままで、剣の横腹である(しのぎ)部分に僅かに込められた力が袈裟の軌道を歪めた。

 そのまま剣尖が擦り上がる。

 突きではない。

 その技は鉄華の思考よりも速く閃いた。


 それは、冬川が最も得意とした、刺し面であった。




   ◆




「聞こえているかしら?」


 額から上がる血飛沫で眼前が朱に染まっていく。

 打たれた衝撃は肉を割り、脳を揺らす。


 鉄華はもう駄目だと感じた。

 膝に力が入らない。

 正座を続けた後のような痺れが下肢を襲い、支えをなくした上半身が重力で地面に落ちていく。


 痛みがない。

 脳内物質が痛覚を麻痺させているのが分かる。

 怪我の度合いが分からず、興奮状態の出血なのか、脳漿が漏れ出ているのか判断できない。 


「体当たりで女子枠を蹴散らしただけでしかないのに、何を勘違いしたのかしらね」


 先の先で飛び込んだように思わせて後の先を取るという読み。

 そして擦り上げ面。

 剣道でも高難度の技を刺し面という一動作の中に収め、実戦で使用できるレベルに体得している。

 速さでも、読みでも、技でも鉄華を上回っている。


 冬川の剣は進化していた。


「でもまぁ、安心したわ。あなた程度では出場資格(・・・・)は無いでしょうから」


 その顔は穏やかで、容姿に相応しい愛嬌のある笑みを浮かべている。

 勝ち誇り、見下し、それでようやく正気を取り戻したかのようであった。


「今日で剣を捨てなさい。目障りよ」


 鉄華は赤色に染まる世界の中で、 鼻先に剣尖を突きつける冬川を見上げていた。

 何も聞こえない。

 麻痺していた手足の感覚が戻り始め、それらが小刻みに震えていることに気付いた。

 口元はきっと、冬川と同じく笑みを浮かべていることだろう。

 恐怖すると笑う癖があることを知っていた。


 血に混じって涙が流れる。

 鉄華はその涙の意味が分からなかったが、次から次へと止めどなく溢れ出た。


「それは困るな」


 境内の入り口に人影が一つ、凛と通る声を上げた。

 闘争の最中とはいえ、冬川は全く気付くことができなかった。

 今しがたの攻防を見た上で、動ずることもなく現れた女に警戒を深める。


「夏に入るまでは在籍してもらわないと四半期の部費が出なくなる」


 影の中から現れた泥蓮は鉄華と目線を合わせて溜息を吐いた。




   ◆




「どちら様かしら?」

「そこに転がってる奴の上司みたいなもんだよ」

「そう……」


 冬川が視線を落とすと、そこにいたはずの鉄華は少し離れた位置に移動し、誰かに介抱されている姿が伺えた。

 仲間が二人、しかも気配も足音も気付かせない程の手練だという事実が警鐘を鳴らす。

 しかし、冬川の余裕は揺るがない。

 いざとなれば懐の短刀を抜き放つ用意があった。


「邪魔をするのなら剣を取りなさい」


 石畳に転がる木刀を指して勝負を促した。

 不利な状況は会話で崩す。

 尋常な勝負の場であることを強調し、剣を握らせることで行動を制限する。


「ん? 別にやりあう気はないんだけどな。まぁ、どうしてもと言うのならやぶさかではないが、私は素手でいいぞ」

「……はぁ?」


 提案を斜め上の方向に断る女を見据えながら冬川は呆れた。

 泥蓮はここぞとばかりに悪辣な笑みを浮かべる。


「お前、鉄華ごときにずっと負けてたんだろ? そんな雑魚、素手で十分だよ」


 冬川は会話を諦めて、再び正眼に構える。


 ――喉を潰す。

 この女はもう一生喋らなくていい。


 殺気を込めた剣尖が最短距離を矢のように駆け抜ける。

 しかし、その到達よりも速く泥蓮の前蹴りが眼前に迫っていた。


「なっ!」


 冬川は急遽踏み留まり、木刀の柄で蹴りを下から上へと弾く。


 距離感を無視して飛んできたのは、蹴りで脱ぎ捨てられた長靴であった。


 そのほんの一瞬、視線を外しただけで泥蓮の姿は消えていた。

 背筋に悪寒が走る。

 次の危機を予測する間もなく、会陰から正中線を辿って脳まで響く衝撃が体を持ち上げる。 

 冬川の体躯は二メートル程の宙空に投げ出されていた。


 強烈な痛みの中、思考が奔る。

 ――このまま落ちればただでは済まない。

 腰から捻ることで空中で回転力を生み出して、猫のように四肢を使って着地した。


「おお、器用じゃないか」


 落ちてきた長靴をキャッチしながら泥蓮は賞賛した。

 もう片方の手には抜き身の短刀が握られている。

 今の接触で冬川の腰から抜き取ったものであった。


「……」


 冬川は理解の及ばなかった点の分析を終えていた。

 沈身を使い股下に潜り込んでからの肩を使った当て身。

 ただの当て身が投げ技のような威力を持っていた。

 同じく小柄に属する体躯なのに春旗鉄華を超える膂力を内包している。


「速さ自慢らしいが、拍子が合っていないな。『速い』のと『(はや)る』のとでは意味が違う」


 激昂で短絡的に動いたことを咎めている。

 その言動にまた怒りが湧き上がってきた冬川であったが、もはや勝ち目がないことも明らかである。  

 逸る感情を押さえつけて、闘争から逃走へと切り替えていく。


「……あなた、名前を聞かせてくれないかしら?」


 質問をしながら冬川は機を伺う。


「小枩原だ。追ったりしないからさっさと内股で逃げてけよ。めんどくせえな」


 痛みの度合いを確認しつつ歩幅を測っていた冬川であったが、告げられた名前に思考が並列化してしまう。やがて手繰り寄せた記憶を確認すると、腹の底から笑いが込み上げてきた。 


「……はっ、はは……はっはっはっは!」

「どうした? 打ちどころ悪かったのか?」

「小枩原……そうかお前が小枩原か」

「あん?」

「鍵理さんから聞いてるわよ。弱い兄の仇討ちとは泣かせる話ね」


 嘲笑う冬川と対象的に、泥蓮から笑みが消える。

 その気配に最初に気づいたのは、鉄華の側でやり取りを眺めていた一巴であった。


「なんだお前? 二つばかり聞き逃せない単語が聞こえたな」


 泥蓮は短刀を逆手に持ち替えると、ふらりと前のめりに倒れていく。

 そのまま地に伏せるかに見えた瞬間、急加速で前方に飛び出した。


「デレ姉っ!!!」


 一巴が大声で叫ぶ。

 それでも止まらない。

 地を這うかのような低姿勢で滑るように疾走る。


 やがて冬川の前に辿り着くと、身体を起こす為の踏み込みが轟音を上げる。

 踏み込みの衝撃で履いている長靴が破れて弾け、石組みの隙間という隙間から水飛沫が噴水のように飛び散った。

 見開かれた瞳は、明確な殺意を映し出している。


 冬川は指先一つ動かせない。

 完全に読み違えていた。

 殺気の濃度が違う。

 速さでも勝負にならない。

 先の攻防で放った当て身ですら相当に手加減されていたことを本能で理解する。


 ――殺される。


 眼前に立つのは想像を超える化物。

 武術を使う大型肉食獣。

 逃げても逃げなくても同じ結末を辿るビジョンが浮かび、無意味な軽口を悔いていた。


 泥蓮は短刀を握る手を前に伸ばし、その拳面を冬川の腹に優しく添えた。


「――なーんつってな。ほら、忘れ物だぞ。時期が来たら取り巻きも皆殺しにしてやるから、今日は帰れ。な?」


 化物の笑顔に冬川は芯から冷えていくのを感じながら、震える手で短刀を受け取った。


 彼女に残された選択肢は全力で境内から逃げ去ることのみであった。




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