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どろとてつ  作者: ニノフミ
第二十八話
129/224

【草書】②

   ■■■




「解散だと? 馬鹿な。あと少しで金の流れが掴めるのだぞ」


 特別高等班を指揮する御島(ミシマ)は、電話の向こう側の相手に声を震わせて抗議した。


「残念だが、財務省に勘付かれた時点でゲームオーバーだ」

「能登原の娘を拿捕している。こいつの裏稼業が明るみに出れば財務省も黙るだろ」

「まぁ落ち着けよ御島。取引をしたんだ。全員に利がある最良の選択だよ。当然君も含まれる」

「……」


 国家公安委員である野茂田一郎が諭すような口調で半ば強制的な命令を告げると、電話口で御島は押し黙った。

 心の中で舌打ちするが、個人の利益が用意されているのならば断る理由が無い。

 なにより捜査が行き詰まっていた事を野茂田に見抜かれている。

 能登原英梨子の口は堅く、重要参考人である篠咲は未だ目覚めないまま、決闘相手の小枩原は「試合という名目の戯れ」であったなどと躱す始末。

 生意気な自衛隊員には能登原に対する尋問の生温さを指摘されたが、本当に時間切れになってしまったことを今更後悔していた。


 ――くそったれ。


 野茂田が金だけで動くとは考えられない。

 彼の野望に見合う地位を内閣側が用意したことを暗に告げていた。

 御島に提示された金が、飼い慣らすための餌なのか手切れ金なのかも未だ分からないままだ。

 とはいえ、旧友がより権力側に近付いた事自体は手札として悪くはない。


「なぁ、納得させるには些か説明不足じゃないか? 俺はまだカードを伏せちゃいないぜ」

「……おいおい、俺が裏切るわけ無いだろう。まぁ君のそういうところを気に入っているんだけどな」

 

 一蓮托生とまではいかないまでも、お互いのことを知りすぎている。

 抜け駆けすればどうなるかということも含めて、だ。

 共有と脅迫という拮抗状態こそが両者の友情を保証していた。

 さらなる言葉を待つ御島もまた、金だけでは動かない。


「能登原が躍起になって探していたのはとある利権だよ。それも数十兆規模のな」

「それはまた……突飛もない話だが、それをお前が押さえたのか?」

「あぁ、その利権を乗っ取ることができた」

「釈然としないな」

「近々発表があると思うが、新たに中央情報研究局という機関が設立される。公安や警察、防衛省の枠組みを越えた国防の中枢としてな。所謂日本版CIAといったところか。いずれ君にもポストを用意しよう」


 野茂田が能登原財閥から金を貰っているのは明らかだが、それを超えて余りある資金と、活用する仕組みが存在するということである。

 日本にもCIAクラスの諜報機関が必要だとする意見は国会でも度々俎上に上がるが、既に実現する段階まで来ていたのだろうか。

 となれば、能登原が目を付けていたのは軍需産業への進出であり、IT部門、或いは武器の販売まで手掛けるつもりならば大きな利権となる。

 八雲會なる組織で富裕層を囲っているのもその足掛かりだろう。

 大企業が国籍を曖昧にしつつある昨今、裏のコネクションで武器商人として立ち回るのは難しい話ではない。

 政府の予算で最新の武器を作るか買い付けるかして、払い下げの中古品を途上国などに売るだけでも莫大な富になる。


「……それが事実なら、悪くない落とし所だな」

「はは、喜んで貰えたのなら前倒しで話した甲斐がある」


 御島は権力への渇望を感じると同時に、安堵の念が込み上げてきた。

 これは本来篠咲が、極左どもが用意していた道筋ということならば確実に国が転覆する一大事件である。

 野心のみで動いていたとはいえ義憤を感じずにはいられない。

 後付の大義名分ではあるが、ここに来て御島はようやく任務を達成したという満足感を抱くことができた。


 しかし腑に落ちないことがある。

 能登原は拘束され、篠咲も回復しない現状で、野茂田はどうやってこれだけの情報を手に入れたのだろうか?


 その答えは御島が口を開くよりも早く提示された。


「それから、君の指揮下に山雀という男がいると思うが――」

「はぁ? 山雀だと?」

「我々の首の皮を繋ぎ止めたのは彼だと言っておこう。持つべきものは優秀な部下だな」




 通話が終わり携帯電話を卓上に置いた後、代わりに取ったグラスを傾けて御島は思索する。

 琥珀色の影が胸の上で揺れていた。

 意図しない幸運が訪れた時、御島は疑う気持ちの方が強くなる。

 喜びという感情の揺さぶりはあらゆる物事を盲目にする厄介な麻薬であることを知っていた。


 特別高等班の内情を漏らした間者が山雀であることは分かったが、御島ではなく野茂田に情報提供した理由を探っていた。

 そもそも特別高等班の背後に野茂田がいることをどうやって掴んだのか?

 最初から間者であったとは思えない。自衛隊の免職は事実であり、それ以前から公安に接触することなど出来るはずがない。

 山雀が単独行動でいち早く能登原を確保して個人的に尋問をしていたのは間違いないが、そんな手段で得た根も葉もない与太話を野茂田が相手にするだろうか?

 説得力になる何か、地位や立場や信頼を飛び越えて決定的に説得力を発揮する何かがあるはずだ。


 ――俺はまだカードを伏せていない。


 自身の言葉を思い出した御島は、グラスの残りを一気に飲み干した。

 喉を滝のように流れる液体が壁面を焼き、揮発した物質が肺に届き、血流に乗って脳を覚醒させる。

 そして未だ確保したままである女から最後の情報を引き出すために重い腰を上げた。




   ■■■




 喫煙場所を求めて病院の屋上まで登ってきた由々桐は、霹靂の通り雨に閉口していた。

 少し考えた後、今更引き返すのも億劫になり、そのまま屋上の塔屋の影でライターを灯す。

 立ち上る紫煙が横風に薙ぎ払われて雨中へと混じっていく。

 フェンスがカシャカシャと軋み、雨水を飲み込む排水口がゲップのような音を垂れ流している。

 誰かが捨てたビニール袋が宙を泳ぎ、物干し竿にかかっている仕舞い忘れのシーツもバタバタとはためいて自由になる瞬間を待っている。

 由々桐は歴史に残らない女の死を悼み、暫しの間黙祷した。


「言われた通りにやったぞ、オッサン」


 背後から現れた眼帯の男、山雀が声を上げる。


「そうか」

「今更逃げようとか考えるなよ?」

「そりゃ俺の台詞だ。それから、俺はオッサンではなく由々桐と呼べよ、若造」

「若造だなんてジジ臭い台詞やめてから言えよ」


 並び立つ二人の男は、笑みを乗せて雨を眺めていた。


 今や全て知る者同士、この先の展開は読めている。

 能登原が今後の人生全てを賭けている赤軍遺産を喋るわけがない。

 代わりに確たる証拠が存在するM資金をバラすだろう。M資金を受け取った人物が内閣にいるのも間違いない。

 そうなると露見を恐れた内閣vs公安と警察という図式が簡単に出来上がる。

 その全てを丸く修める嘘の機関をでっち上げることで、能登原の軍需産業進出計画を潰しつつ莫大な詐欺事件を起こす。

 後から詐欺に気付いても醜聞を恐れる官僚たちが騙されたことを認めはしないだろう。


 もはや能登原には何も出来ないだろう。

 実家に切られて頼みの金も失った以上失脚は免れない。

 由々桐を狙って何かしようとしても、闇賭博の責任全てを背負わせて逮捕させるだけだ。

 篠咲も終わっている。

 全身に回った毒で四肢に障害が残るのは確実で、武術家人生は終了している。

 由々桐は予想以上の立ち回りを果たした小枩原不玉に感謝する思いがあった。


「由々桐さんよ、集めた金で何をする?」


 山雀は計画の終着点であり、全ての始まりでもある展望を訊く。

 赤軍遺産に加え、詐欺で更にかき集めた資金は国を買える程の富である。

 使い方を誤るならば、それは山雀の標的に返り咲くということでもあった。


「俺たちが活動するための組織を作る。実のところ中央情報研究局というアイディアは悪くない」


 計画の過程で腐った官僚を一掃することも可能であり、脅して使う相手なら八雲會に山程いる。

 一権力に集中しない自浄作用を持ち、国に囚われることもなく闘争の自由を行使できる組織。

 由々桐は山雀の為ではなく、百瀬の悲願成就の為、世界を巻き込む覚悟はできていた。


「山雀、お前は正義を成したいんだろ? なら心配すんな。お前の人生が擦り切れる瞬間までヒーローさせてやるよ。逃げ場なんて世界のどこにも無い」

「は、望むところだ」


 交差する視線の奥にある感情は単純なものではない。

 猜疑、期待、義憤、復讐、あらゆる感情を混ぜて絡み合っている。

 由々桐は先端が濡れてしまった煙草に気付いて携帯灰皿に放り込むと、一寸屋上の景色を見渡してから踵を返して闇へと踏み込んでいった。




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