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どろとてつ  作者: ニノフミ
第二十七話
126/224

【円相】⑦

   ◆




 観客席で戦いを静観していた冬川は、闘技場に撒き散らされた夥しい量の血液に眉をひそめた。

 鮮血の半分は地面に倒れ伏す不玉の頭部から。

 もう半分は篠咲の左眼付近から止め処なく流れ出ている。


 最後の瞬間――袈裟斬りで頭蓋を砕かれながらも不玉は手刀による反撃を敢行していた。

 立ち回りを見るに何らかの毒物を使用した闘法であることは疑いようもなく、三度打ち込まれた篠咲は追撃すら出来ず、鉄鞘を杖にして立っているので精一杯である。


 相手を研究し策を組み立てて必然性の流れを作ることに長けた篠咲ではあるが、それはあくまで大会という仕組まれた戦いでのことである。

 今夜この場に小枩原不玉が現れた時点で慮外の偶然性と対峙しなければならなかった。

 その結果、篠咲は不玉を倒すことはできたが、同時に自身の野望も潰えることになっている。

 勝者などいない。

 実力が拮抗する者同士の死闘は両方の人生を破壊して虚しい結果を残すだけなのだろう。


 それでも冬川は両者に惜しみない称賛の念を向けている。

 退かず、譲らず、奢らず、己の全てをぶつけ合わせて殺し合った二人の衝突は、まるで打ち上げ花火のような、破壊的芸術に似た余韻すら漂わせていた。

 発火する機会を得ずして湿気ていく現代の古武術家たちを鑑みれば、最高の瞬間に出会えた二人を妬ましく想う気持ちすらある。


 立ち会った者の責務として救急の連絡をしようと携帯電話を取り出した冬川は、遠くから響く防火扉の開放音に気付いて手を止めた。

 救急隊員を掻き分けて駆けてくる見知った少女。

 師の悲惨な結末に悲鳴に似た叫び声を上げていた。


 後退りするように闇に紛れた冬川は憎しみを込めて眼下を見下ろす。

 甘さが抜けきれていない、覚悟も足りていない少女の醜態に苛立ちを覚えている。


 ――貴方が踏み込んだ世界よ。目に焼き付けておきなさい。


 明後日には戦う相手に冷ややかな視線を送りながら、冬川は闘技場を後にした。




   □□□




 ――私、あたし、わたくし、自分、僕、俺。

 他の一人称を覚えたのは初等教育に入ってから。

 儂、と言うのは親父の真似事であり、その頃は真似事が世界の全てであった。

 いや、決して強制されたわけではないぞ。

 この世界ではそういう道を歩む者が少なくないらしいが、少なくとも儂はそうではない。

 物心ついてからも多くの選択肢を提示してくれているが、自ら選び取ったのが古武術だっただけの話じゃ。

 何故?

 うーむ、今更改まって考えると理路整然とせぬが『楽しかったから』という子供じみた理由しかなかったように思える。

 まぁ正真正銘子供じゃったが。

 絵画や音楽、スポーツやゲームに没頭するのと同じ価値観と言えばいいかの。

 特に疑問も持たず、理屈抜きに楽しいのが古武術の鍛錬であった。

 或いはこの手の興味というものも時に遺伝するのやもしれぬな。


 本格的に没頭し始めたのは小学校の終わりくらいか。

 同級生に強いと評判の剣道家が居ての、お主も知っておるじゃろう? 富士子の奴じゃ。

 それまでは親父や親父の知り合いのジジイどもにボコられては反省と対策を続けるだけの日々じゃったが、同年代の強者というものがどのくらいなのか知りたくなった。

 うむ。結果は言うまでもないかの。富士子には悪いことをしたと反省しておる。

 ただそれで鍛錬に意味が出来てしまった。

 自分の力でどこまでの相手ならば倒せるのか?、とな。

 興味の矛先が内面ではなく他者に向けられるようになってしもうた。

 はは、今となれば恥ずべき黒歴史じゃが、その頃には両親は死んでおったし咎める者は誰もおらなんだ。

 喧嘩に明け暮れ、地元でも評判の悪童じゃったよ。

 一時は県外にも噂が広がって、名のあるヤンキーの大群が儂を犯そうと家まで攻め込んできたこともあったぞ。

 ん? 妬いたのか? 心配は無用よ。

 儂の実家も山中の要塞みたいなものでな、一晩に及ぶ戦闘は多数の行方不明者を出してニュースにもなったくらいじゃ。

 最高に調子に乗っておった青春の絶頂期よ。


 まぁそんなこんなで高校に進学してからはちょっかいを掛けてくる者すら居なくなった。

 そこで儂は鍛錬の段階を一つ進めることにしたのじゃ。

 今まで格上としていた目上の武術者と戦って行こうとな。

 しかしまぁ、これが中々上手くいかん。

 今日日、まともに道場破りを相手する流派なぞ殆ど無い上、儂はこの通り可憐な少女じゃからな。

 ……今笑ったのは一つ貸しじゃぞ?

 ともかく、儂が単身乗り込んでもほぼ相手にされず終まい、相手にされても師範以下の門弟と来たものじゃ。

 これは持論なのじゃが、喧嘩も古流も場数が物を言うのは確固たる事実よ。

 たとえ技で劣ろうとも、場数という点に於いて儂が歳の近い門弟に負けることはなく、鍛錬にもならん消化試合にしかならぬ。

 かと言って雑魚を打ち倒したとしてもその上の者が腰を上げることもなかった。

 当初は臆病風に吹かれたのかと笑っていたが、実際のところ儂の価値観がどうかしているだけの話じゃと後に気付くことになる。

 理由なく武器で戦う古武術ガチ勢などもう世におらぬのじゃとな。

 彼らに戦う理由を用意できるのはもはや犯罪行為による脅迫しかないと気付いた。

 ……待て待て。流石にそこまで狂っておらんよ。

 当時の儂は警察に目を付けられまくりであったからの。

 ようやくそこで諦めが付いたのじゃ。

 こんな古臭い価値観を持ち続けても碌な人生にならんとな。

 ちゃんとルールのある競技側に行くことも考えていたが、当時はまだ日本にバーリトゥードな場は無かったしのう。


 まぁ時期が良かったというか、悪かったというか、そんな腐してた頃じゃよ。

 富士子がやたら滅法強い武術家がいると自慢してきたのは。


 ふふふ、そんな顔をするでない。

 儂も尖っておった自覚はある。

 しかし嬉しくて仕方なかったのじゃ。

 よもや流派を代表して何でもありの死闘を受けてくれる者の存在にな。

 今思い返しても衝撃じゃったよ。

 剥き身の槍で挑んだら有ろう事か素手で迎え撃つと宣い、落胆しかけた儂に毒術を使うを言ってのける奴がおるとはの。

 あぁ楽しかったのう。お主もそうじゃろ?

 あれは睦み合いと同じ時間じゃった。

 結果的に儂は腕を失ったが、今日の今まであれほど充実した瞬間などない。

 あの時儂は決めたのじゃ。お主の子を産もうとな。

 きっとこの腹の子にも同じ価値観が遺伝して、いつの日か儂らと同じ瞬間を共有するのじゃ。

 む? 当たり前じゃ。この子にも強要などせぬよ。まぁ舐められぬよう多少は鍛えてやるがの。

 はいはい、分かっておる。

 ただ、そうなれば、そうであるならば、儂はもっと幸せに思えるのじゃ。

 儂が伝えられることなどこれくらいしかありゃしないからの。


 のぅ、草眼や。

 全てを晒して分かり合い、許し合い、愛し合う為の戦いというものがある。

 生命を慈しむ為の力というものがある。

 きっと儂はそれを伝える為に生まれてきたのだと思えるのじゃ。


 のぅ、聴いておるのか?




   ■■■




 目ヤニで固まった重い目蓋を無理矢理開くと、差し込む光で乾いた眼球が潤い始めた。

 身体に繋がれた呼吸器や心電図の管が煩わしい。

 とりわけ頸部を固定するギプス周りの痒みが耐えられなかったが、爪先に付けた毒を思い出して掻き毟るのを躊躇する。

 記憶の途絶を悟った不玉は、ベッドの上で大きく吸った息を鼻から戻した。


 ――敗けたか。


 最後の瞬間、戦う環境を最大限に利用して、見えない打撃に全てを賭けた篠咲の方が強さで上回っていたといえる。

 それでも後悔はない。

 篠咲を戦いの場から引きずり下ろすという目的は達成できたのだから、剣力の勝敗など些細な問題だ。


「……不玉さん?」


 ベッドの脇にいた春旗鉄華が声を上げる。

 目の下には隈が刻まれていて、不玉は出来の悪い娘を見ている気分になった。


「……篠咲さんも一命を取り留めたようです。ただ、かなり衰弱しているらしいので当分は戦うことなんて出来ないと思います」


 鉄華の言葉は、何も知らせずに戦った不玉の目的を完全に理解して放たれていた。

 優しい子だ。

 昨晩はそこら中駆け回っていたのだろう。

 目覚めた不玉の手を握ると、震えながら眼に涙を浮かべていた。


「もう、二度と……二度とこんなことはしないでください。次は私が強くなりますから」


 言葉すら震えている。

 無関係な因縁で多くの物を失いかけた責任すら自分に有ると思い、背負おうとしている。

 彼女の人生もきっと平坦なものではないのだろう。


 失う恐怖を知り、懇願と決意を表す憐れな弟子。その手を優しく握り返す不玉であった。




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