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どろとてつ  作者: ニノフミ
第二十七話
124/224

【円相】⑤

   ◆




「……相抜けですか。ここで共に戦いをやめれば美談になりましょうに」

「全くじゃ」


 死地より生還した双璧の術者は、再度死地に踏み込むべく備えていた。

 物理的にも、精神的にも退路はない。

 引き合う恒星が公転距離を縮めるように、潮汐力で身も心も砕きながら混じり合う一点へと収束していく。


 篠咲は積み重ねた経験知識の中に存在しない立ち回りを想定し始める。

 毒術という常軌を逸した闘法。

 義手を刀剣に等しい武器だと考えていたが、その実、刀剣など比ではない。

 今や、相打ちも辞さない柔術家に一切触れさせず勝利するという針の穴を通す難易度を求められている。


 篠咲が敢えて引いて相抜けになったのは、左手のみならず右手や両足からも毒を使われる可能性が浮かんだからだ。

 近間で観察した不玉の手足の爪は異様に分厚く、先端は刃物のように鋭く研がれていた。

 手の爪も長期間刺激を与え続けることによって足爪のように厚く鍛え上げることが可能である。

 古の柔術家は鍛錬以外の時間でも火鉢の縁に指先を打ち付けていたという逸話も存在する。

 不玉のそれは義手に毒を塗布して見せたのをブラフとして、右手でも毒の手刀や貫手を狙うの為の備えであろう。

 衰枯は義手の者専用の技などではなく、生身に見える部分にも何らかのコーティングを施した上で毒を塗っていると考えるべきである。


 もはや野生動物との戦闘。

 常識で測り切れない相対に苦笑するしかない篠咲だが、それでも背を見せれば無意味な死が訪れるだけである。

 蜻蛉で構える篠咲は、掲げる刀身を更に担いで、前方へと崩れ落ちるように膝を抜いて飛び出していた。


 一叢流で言うところの勁草。

 他流を取り込み続けて進化した玄韜流にも流派の入り口として【飛毛】という歩法が存在する。

 親指の付け根を使う爪先立ちで音を殺して走る暗殺術の範疇である。

 大声で威圧しながら迫る自顕流の【係り】とは対照的な突進で間合いを詰め、肩から持ち上げた刀身を引き絞る背筋で振り下ろしていく。

 最大級の撃力による先の先。

 防御手段が少ない不玉は避けるしかなく、その回避先に繋げる技も篠咲は想定していた。


 対する不玉は、避けない。

 流派の構えを崩すことなく雲耀の袈裟斬りを左手一本で受けようとしている。


 その様子を目視しても篠咲は止まらず、容赦のない必殺を叩き落とす。

 先程の相抜けの焼き直しではなく、距離の有利を確保した上で一方的な剣技を押し付ける対峙。

 相打ち狙いの駆け引きは通用しない。

 突飛な柔術技が出てきても充分に対応可能である。


 ――が、使われたのは剣技であった。


 差し出す義手の側面を袈裟斬りにぶつけ合わせ、磨り上げながら外に巻き込んで弾き落とす。

 一叢流と流祖を同じくする鞍馬流の【変化】。

 警視流太刀形にも採用されている高難易度の巻き落とし技を金属の腕で実行していた。

 剣技と柔術の融合。

 必殺の袈裟が合気のように受け流され、そのまま指先を揃えた抜き手へと変化する最中、篠咲もほぼ同時に反応していた。

 右方へ弾き落とされた刀から左手を離して体幹を維持し、踏鳴で以て体重を乗せた柄頭を引き戻す。

 予想の中で待ち構えていたからこそ、毒の貫手に追い付く速度で横から衝突させて軌道を逸し得た。

 即座に摺り足で後退しつつ左手を柄に戻し、手首を捻って刀身を斬り上げる。

 狙いは義手の下の脇腹。

 相打ちをも辞さない不玉が防刃服を着用していないことは確認している。

 大会では使えなかった日本刀の切断という利を使用するため、刃を立てて引き斬る予備動作も仕込んでいた。


 斬撃が衝突する瞬間、金属音が響き渡る。


 またも義手に止められたことを理解して篠咲は手元を止めていたが、眼前で展開される奇異な防御法に思考が回転し始めた。


 不玉は膝抜きで身を沈め、引き戻した義手で後頭部を掴み、肘を前に差し出して上腕部を盾にしていた。

 剣技では起こりえない防御。

 脳裏に浮かんだ解答は古流柔術でもない。


 ライノー・ディフェンス。


 対武器術として進化した現代の軍隊格闘技、クラヴマガの防御法。

 ライノーとは動物の犀のことであり、前に伸ばす肘を角に見立てた攻防一体の技でもある。

 更に特筆すべきは不玉の義手そのものに在る。

 手首は関節可動域を超えて外側に折れ、上腕に残る篠咲の刀を挟んで固定している。

 腕の欠損部の表面筋電位を測って動作する筋電義手の範疇を超えたギミック。

 全ては至近距離から逃さない為の布石である。


 不玉の更なる踏み込みと、篠咲のバックステップは同時であったが、より深く歩幅を取ったのは前者の方であった。


 それでも篠咲は迫る肘を鼻先の手前で躱している。

 義手上に残していた刀を押し込み、テコの原理で得た力を固めた肘関節で上体に伝えていたからだ。

 しかし今や間合いは柔術の圏内。

 防御に全神経を集中して脱出しなければ毒術を埋め込まれてしまう。


 篠咲はここに来て心構えを一段階進め、攻防の難易度を緩和した。

 それは『一切触れさせない』という目標の放棄である。

 毒がどの程度の分量でどれだけの効果を発揮するのか分からないが、死なないだけの対策は終えている。

 現代のモノクローナル抗体治療がある分、相打ちでも生き残ることができれば勝利と言える。


 視界の隅で注視していた不玉の右手は、開掌のまま篠咲の胸上部の鎖骨を押すように放たれていた。

 一瞬、防御と掌底を同時に繰り出すクラヴマガのバースティングを想像してしまった篠咲だが、本来の狙いに気付いた時にはもう遅い。

 不玉は親指と人差指で作ったVの字を鎖骨から上へと滑らせて首を掴んでいた。


 ――投げ技、


 大会で安納林在に打ち込んだ、宙に浮かして重力で打撃を押し込む投げが来る。

 篠咲は首を掴まれながらも左足の爪先を立てて肝臓を狙う三日月蹴りを放っていたが、軸足を刈り取る下段回し蹴りが先に決まっていた。


 ――ならば、


 不発の三日月蹴りを大きく振り上げ、蹴りの勢いのまま自ら宙に飛んで全身の回転運動に変換する。

 首を掴む手を顎先で固定し、回転を利用して捻じ折ろうと首の捻りも加えて対応した。


 意図に気付いた不玉は掴みを諦めて、鞭身を効かせた身体の開きで強引に右手を引き抜く。

 空中で三回転した篠咲は距離を離して危なげなく着地し、牽制の剣尖を向けながら立ち上がる。

 またも不玉は追撃をしなかったが、今度は笑みの代わりに声を上げた。


「終わりじゃ。剣を収めよ」


 再び死地を抜け出た二人。

 しかし、一方には死の刻印が刻まれている。

 篠咲は極度の興奮か、切り離した精神の影響か、本来発生するはずの焼け付く痛みを僅かにしか感じ取れなかったが、不玉の言葉の意味は理解していた。


 篠咲の頸部、両頸動脈上の皮膚が血を流し、傷口の皮膚は紫色に染まっている。

 不玉は右手を引き抜く際、刃物のような爪で表皮を削り取っていたのだ。


 そして、言うに及ばず、傷口からは必殺の毒【衰枯】が入り込んでいた。




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