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どろとてつ  作者: ニノフミ
第二十七話
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【円相】①




 それまで対流していた空気が凍りついたように動きを止め、新たに生まれた流れに従い逆行して渦巻いていく。

 二人の女に挟まれた空間が粘度を上げ、摩擦の熱気が底冷えの地面を煮え滾らせるように思わせる対峙。

 両者共に激尺の間合いにあった。


 張り詰める緊張の中、篠咲が尾を引く溜め息をつくと、対する不玉は怪訝そうに小首を傾げる。


「期待はずれじゃったか?」

「ええ、焦らなくても明日には戦うことになるでしょうに」


 諦めではなく、呆れ。

 常識人だと認めていた人物の裏切りを見てしまったかのように篠咲は落胆を隠さずにいた。


「茶番は沢山じゃからな。それに、やり合う前にいくつかハッキリさせておきたくての」

「どうぞ。何でもお聞き下さい」


 篠咲は言葉を吐きながらも腰の鞘を持ち上げて抜刀の姿勢に入る。

 戦いが既に始まっていることを示唆するように少しずつ腰を落として備えていた。


「お主、有象(アリカタ)と恋仲であったろ?」


 不玉の笑みは一人で構え始めた篠咲を嘲笑うように向けられていた。


「……どうしてそう思われますか?」

「あやつはな、真剣の果たし合いなどという馬鹿げた挑発からは笑って逃げる器量を持っていた。信念や常識を無視して死闘に赴く、そこにあるのは愛しかないじゃろう」

「ただプライドを刺激して、恨ませることで戦っただけですよ」

「人生を懸けた憎しみならば愛と同じじゃ」

「ロマンチストなんですね。私は人を利用するための演技くらいいくらでもしますが」

「自惚れが過ぎるな。お主は演技に慣れているだけで上手くはない。その薄っぺらい仮面が誰にでも通じるとは思わぬことじゃ」


 憐れみすら籠もる視線を前に、篠咲も観念したかのように笑みを返す。


「はぁ……認めますよ。有象と私は愛し合っていました。愛故に戦わざるを得なかった。貴方なら理解できると思いますが」

「うむ。よく分かるぞ」


 不玉は腕を組んだまま篠咲の感情の吐露を認め、許す意図で頷いてみせる。

 終始柔和な態度を崩さない不玉に、篠咲は毒気を抜かれ不意打ちに備える手の内を緩めていた。


「例の刀は何に使った?」

「守山蘭道が隠した埋蔵金の在り処が示されていました。もう用済みですからお返ししてもいいですよ」

「そうか悪いの。最後にもう一つ聞かせてもらえんか?」

「なんでしょう?」

「静斎の意思を継ぐのか?」

「……いいえ」


 篠咲の中に新たな疑問が生まれた。

 篠咲静斎と不玉の父親、高端一陽は共に守山蘭道の弟子である点において旧知の関係性とも言える。

 しかし両者が自流に回帰した後も交流していたという形跡はなく、春旗鉄華に与えた情報以上に不玉が知っているという事実には第三者の関与が見えてくる。

 そうなると、この場の決闘もその者の絵図の中だ。

 置かれた状況から謎の第三者を由々桐だと断定した篠咲は、無意味な敵を作りすぎた能登原の性格を恨んだ。

 彼女をコントロールできていないと指摘する春旗鉄華の言葉が脳裏を過っていく。


「父は馬鹿げたクーデターで武術再興を企んでいたイカレですが、私は真逆です」

「なるほど。お主は古流が憎いのか」

「はい。玄韜流は私の代で途絶えさせますし、あなた方古武術家も流派もこの大会で児戯と烙印を押され形骸化していくでしょう」

「は、大きく出たな。それはお主が優勝する前提での話じゃろ」

「残念ながら事実です。大会選手の誰が相手でも一対一で私が負けることはありません」

「若いの、眩しいほどに」


 腕組みを解いた不玉は左足を前に半身の姿勢をとる。

 同時に、胸元から取り出した小瓶を篠咲に見えるように差し出してみせた。


「最初で最後の忠告じゃ。親への恨みを他流派に向けるのはここで終わりにせい。女の八つ当たりは醜いぞ」

「下らない因習で人生を狂わされる者の気持ちを想像できない……だからそんな無責任な台詞が吐けるのでしょうね」

「それはそれは……耳が痛いのう」


 右手で小瓶のコルクを跳ね上げ、中から滴る土留(どどめ)色の粘液を左の義手に垂らしていく。

 二、三回馴染ませるように拳を握ってから小瓶を投げ捨てた不玉は、それまで浮かべていた笑みを消して「さて」と呟いた。


「これは【衰枯(スイコ)】という毒じゃ。お主も知っておろう。現代ではクローニングの抗体治療によって助かるが、即座に効く特効薬とはいかんよな」


 春旗鉄華を通して成分を知らせたこと、それは意図的したことだと不玉は告げる。

 掠っただけも即座に決着となり、助かる術があっても大会への復帰どころか武術家人生を奪う必殺の毒術。

 だが、篠咲は嗤う。

 死闘を前に相手を殺すつもりはないという甘さを見せる不玉の愚を嘲笑う。


「恨みも憎しみも無い。有象が存命であれば取ったであろう行動を儂が引き継がせてもらう」

「存分に」


 小枩原家と篠咲家。一叢流と玄韜流。

 怨恨と鎮魂の終着点たる死闘は、観客のいない夜の競技場で静かに幕を開けた。




   ■■■




 同刻。


 小枩原不玉を案内し終えた由々桐は、会場の設備のコントロールルームにて嘆息していた。

 闇に浮かぶモニターの中では二人の女が対峙している。

 土壇場になって現れた誤算はあれど全て順調であった。


 不玉は断片的な情報から裏の動きを読み、木南一巴を脅して代打を捩じ込こんできたが、結果的に小枩原泥蓮が公安に負けた穴を埋めるには最適の提案である。

 由々桐にとっては娘でも親でも構わなく、決闘の勝敗すらどうでもいい。

 少なからず負傷した篠咲にトドメの弾丸を放つ、その為だけに会場に残っている。

 服装は既に救急隊員のものに着替え、右目の眼帯も外してガラス玉の義眼を詰めていた。


 由々桐は、見過ごせなかった。


 人生を狂わせた革命家の残党が今だ国政を覆す武力を集めようとしている。

 能登原はもう終わりだが、篠咲はまた別のパトロンを見つけて行動するだけだ。

 それだけのカリスマと強さを示し終えている。

 正義の為、と言えば陳腐な響きを感じるが、篠咲という懸念を抱えたまま後の人生を安らかに過ごせる程達観できてはいない。


 懐中のハンドガンを握りしめて決意を確かめた由々桐は――急遽、膝から崩れ落ちるように地に伏せた。


 その頭上を掠めていく風切り音。

 背後から聞こえたトリガーに手をかける僅かな音を聞き逃すことはなく、蓄積した経験が脊髄を刺激して回避行動を取っていた。


 同時に引き抜いたグロッグを頭上に掲げ、音源へ向けて三回引き金を引く。

 返る反響はいずれも扉の枠を打つ甲高い金属音。

 サプレッサーを装着している分、応射が遅れたことを悔やんだ。


 ――公安、


 答えが浮かびかけた由々桐だが、すぐにその推測を否定する。

 敵は警告もなくいきなり発砲してくる『個人』であり、同じくサプレッサーで発砲音を消して誰かが駆けつけることを避けている。

 異常に発達した聴覚が無ければ気付けない僅かな違和感の中、懐からグレネードを取り出して声を上げた。


「おい、どこのどいつだ? ちゃんと確かめてから撃てよ」


 叫ぶのではなく、ちょうど扉の裏に届く程度の声を飛ばす。

 その声の裏側でグレネードのピンを抜いて、優しくカーペットの床に転がした。


「やるじゃないか、由々桐群造さん」


 返る声は若い男の声だった。

 能登原が脱走して復讐してきたことを予想していた由々桐は、更新した情報で改めて敵を検索し直す。


「おい待て、違うぞ。俺は会場セキュリティの田中って者だ。防火扉が動いたから確認に来ただけだ」

「警備員が救急隊員の装備付けて発砲かますってのは無理があるぜ。出来の悪い学芸会かよ」

「はは、それもそうか」


 由々桐が言葉を切った瞬間、筒状のグレネードから多量の煙が噴出した。


「で、お前の自己紹介がまだだぞ?」


 煙が流れる方向へ、機器を管理するコンソールの下を縫いながら位置取りを開始する。


「俺か? 俺は正義の味方ってところだな。まぁお前は事のついでだ。ババアの後を追って死ねよ運び屋」


 由々桐は二発目のグレネードを取り出した時、男の言葉に動きを止めた。

 百瀬の死亡。

 真偽の確認よりも先に、何故隠れ家がバレたのかを考える。

 後を付けられていたとは考えられず、逃走車両に細工された跡もなかった。

 辿り着いた答えは、能登原の体内にGPSが仕込まれていた可能性だ。


「能登原はどうした?」

「身柄を拘束したよ。用済みになったら殺すけどね」


 能登原が万が一の保険で自身の居所を知らせるとすれば、それは会場を闊歩していた公安連中に他ならない。

 権力を持つ彼女にとって逮捕自体恐れることではないだろう。


 しかし今対峙している男はあくまで単独行動。

 法の裁きの前に鉄槌を振り下ろす、口上通りの正義の味方(アンチヒーロー)に思える。

 となれば、命令無視で百瀬を直接手にかけた張本人が目の前に居るということだ。


 ――百瀬は死んで然るべき人生を歩んでいる。


 百瀬の顛末に関して由々桐は不満を感じていない。

 多くの人間を殺し、関わる人間に不幸を撒き散らしてきた革命家。

 理想実現の手段として、世界と戦う暴力を選んでしまったテロリスト。

 逮捕されても死刑が待っているだけであり、望み通り日本の地で死ねただけでも満足だろう。


 ――違うッ!


 逡巡する思考の中で、努めて直視しなかった事実が限界を迎えた。


 ――百瀬を殺したのは俺だ!


 中国に移住しても由々桐姓を名乗っていたのは自身で選んだことであり、死に損ない共を釣り上げて復讐するために悪意を持って名札を下げていたのだ。

 しかし現れたのは何も変わらない同じ人間だった。

 平和を望み、人を愛し、身の回りの不幸を取り除こうと足掻いて、足掻いて、行き着くとこまで行ってしまって、足跡を振り返って心が潰れそうになってる、小さな小さなただの女だった。

 会うべきではなかった。

 連れてくるべきではなかった。


 ――これは俺のミスだ。


「……おい、やっちまったな若僧。理由ができたぞ」

「は? 何の?」


 聞き返す男の言葉の最後は、何かが落ちるゴトンという鈍い音で堰き止められる。


「命を賭ける理由だよ」


 瞬間――世界は白色に包まれた。




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