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どろとてつ  作者: ニノフミ
第二十六話
116/224

【闇路】⑤


   ■■■




 大会会場から離れた総合病院の集中治療室。

 作務衣姿の僧侶、最弦はガラス越しの向こうで人工呼吸器に繋がれた教祖を眺めて涙していた。

 一命は取り留めたものの急性肺損傷による肺区域切除を行っている。

 もはや剣客としての生命は断たれたも同然であり、復帰後は密阿弥としての資質を問われ失脚を免れないだろう。

 その時待っているのは時期密阿弥を巡る内紛だ。


 最弦は悲壮の心中を奮い立たせ、己の使命を深く刻みつける。

 現密阿弥の状態を誰も知らない内に候補者を皆殺しにしなければならない。

 大舎人(おおとねり)のトップに立つ最弦ではあるが、大舎人は本来密阿弥の管轄を外れたシロ教の自浄システムである。

 教義を逸脱した行動を取れば最弦といえど粛清の対象になりかねない。

 次の密阿弥選考が始まるまでに、今だ権力が手の内にある間に、不穏分子の消去を済ませてしまえばいい。

 教義とも矛盾せず、以降はより強固な現体制を構築できるだろう。

 小さな議論や小競り合いは起きるかも知れないが手土産と功績で黙らせればいい。


 密阿弥を汚したイタリア人。

 シロ教の実態を知って脅迫した面々、篠咲と能登原、そして小枩原泥蓮と木南一巴。

 彼らの消去に比べれば密阿弥候補者の殺害など些細な問題でしかない。


「密阿弥様。貴方が目覚めた後もこれまでと変わらない日常、あまねく世を照らし我々を導く権現の座を残しておきます。今暫くご休息ください」


 最弦は窓ガラスに額を張り付けて、紅涙の決意を宣言した。


 ――殺す。後顧の憂いとなるものはこの夜に全て排除する。


 決意を殺意へと変え、身体の熱を抑え込むようにゆっくりと振り向いて病室を後にした時、最弦の眼前が赤く光った。


 顔と体を照らす無数の光は宙空を直進して廊下の奥へと続いている。

 それがレーザーサイトだと最弦が気付いた瞬間、野太い男の声が響いた。


「厚生省だ。大人しく投降しろ!」


 ――麻薬取締官(厚生省)!?


 予想外の敵に最弦は慌てて逃走を図るが、一歩目を踏み出す膝裏を正確無比に撃ち抜かれる。


「ぐあっ」


 地面を踏むはずの足が感覚を失って宙を泳ぎ、自重を支える術を失った最弦は床に血の線を伸ばして転倒した。

 即座に駆け寄る複数の足音が周囲を取り囲み、頚椎と腰を膝で押さえながら後ろ手に手錠を掛けて拘束する。


「抵抗はやめておけ。シロ教の幹部は既に確保している。一人二人死んでもこちらに支障はない」


 組み伏せられる最弦の脳裏に浮かぶのは疑問であった。


 ――ここに来て何故厚生省なのか?


 簡単だ。

 こちらが裏切るよりも先に一叢流の連中が裏切っていたからだ。

 密阿弥という頭脳を失い、篠咲との決闘を終えるまで手を出せないシロ教とは違って、ゴシップ誌という保険を残した彼女らは先手を打てる。

 公安ばかりに気を取られていたが、シロ教が狙われる隙を知り尽くしている敵の存在を放置しすぎていた。


「教祖様も目覚め次第取調べさせてもらうからな。覚悟しておけ」

「我々を舐めるなよ、公僕」


 関連企業だけでなく公務員職にまでネットワークを広げるシロ教である。

 個々のリゾームが互いを補う仕組みを持っている故に逮捕自体恐れるようなことではない。


 ――必ず後悔させてやるからな。


 最弦の血走る瞳に映るのは裏切り者たちの姿であった。




   ■■■




 二日目の興行終了から約五時間後、深夜零時を回ろうかという頃。

 会場設備であるミストを利用した空調の大元、給水を管理する地下区画。

 運転を止めた機械が冷却で軋む音を残す空間の隅で、放置されていた洗濯カートが蠢いた。


 内部からファスナーが開かれ、生白い手先が縁を掴み、折り畳まれた身体が立ち上る煙のように鎌首をもたげる。

 闇を泳ぐ虚ろな目が操作盤の小さな光源を求めて瞳孔を広げた。

 中から出てきた女、小枩原泥蓮は素足を床に付け、予定通りに出口へと向かって歩き始めた。


 ――いつからだろう。


 篠咲鍵理を倒すことが全ての人生だった。

 小枩原有象の意思を継いだ技で打ち倒し、それでようやく生まれ変われる。自分の人生を歩める。

 そう思っていたのに不純物が入りすぎてしまった。


 木南一巴と出会い、自分の抱える不幸など大したものではないと知ってしまった。

 今も世界の何処かで起き続けている凄惨な不幸に比べれば一笑に付す程度のものだろう。


 八重洲川富士子と出会い、最上歌月と出会い、春旗鉄華と出会い、戦い続けるだけの人生の横道に楽しく優しい世界があることを知ってしまった。

 憎しみの螺旋を断ち切るのも勇気であり、過去を忘れ個人の幸せを追求するのは悪ではない。


 現実との齟齬を感じる度に自身へ向ける冷静な視点が強化されていく。

 ただただ、どうしようもなく、取り返しもつかないくらい小枩原泥蓮は小枩原泥蓮に成ってしまったのだ。

 闇を吸い、細胞の隅々まで浸透させ、更に濃い闇を吐く化物。

 或いは、篠咲はこうなることを知っていたのかもしれない。

 篠咲の意図の中で篠咲の望む成長を遂げて篠咲の前に立ち塞がる。


 ――くだらない茶番そのものではないか。


 これは迷いではなく諦めに近い感情だと泥蓮は理解している。

 今から向かう所が本当に自分で望んだ道なのか、歩かされた道なのか。

 確認できる瞬間はすぐそこに迫っていた。


 階段を登り、各種催事場を連結する長い廊下へと出た泥蓮は、柱の陰に立て掛けられていた槍を手にする。

 銘は『梅實(うめざね)』。

 かつて伊勢守にまで登り詰めた祖先から受け継ぐ由緒正しき槍。

 重ね菱の家紋が入った黒たたきの穂鞘を取り払い、鈍色に光る素槍の先端を開放した。

 刀身が窓から差す月光を吸い込み闇路を照らす。


「兄さん。貴方の槍、使わせてもらいます」


 覚悟の最後の段階で言葉を必要とした。

 かつて急流に流された川底から掬い上げられた命。

 兄への感謝と敬愛を、篠咲への憎しみを、時間で風化させないよう生きてきた。

 その想いを乗せた言葉は自己暗示のように居着きを捨て去り、血流を加速させていく。


 闇に目が慣れた薄明かりの廊下、泥蓮の視線の先に一人の影が立っていた。


「やあ、また会ったね」


 影が声を吐く。

 声の主に気付いた泥蓮は怪訝に眉をひそめて溜め息を吐いた。


「はぁ……復活怪人も二回目となるとワクワク感ゼロだな。なんでお前がここにいるんだ? 公安か?」

「いいや。ここに居るのは一ノ瀬宗助個人だよ」


 黒道着に身を包む男、一ノ瀬は通路の中央に陣取り道を譲る気配はない。

 彼が公安ではなく個人としてこの場に来たのは、間違いなく春旗鉄華に頼まれたからだろう。

 泥蓮は笑みが溢れる。

 そして、もう二度と会うことはないであろう木南一巴に向けて心の中で煽りを入れた。


 ――鉄華は最後の最後でお前の策略を見破ったぞ。


 小さな情報のやり取りから線を結んで現実的な予防策を張る。

 鉄華は間違いなく強くなれる逸材だ。

 泥蓮は誇らしくもあり、苛立たしくもある感情を抑え、言葉を紡ぐ。


「なんだ、お前を殺して先に進めばいいだけじゃないか」


 梅實の先端を影に向けながら中段で構えた。


「物騒だね。僕は君を止めに来ただけで、殺すつもりはないよ」


 対する一ノ瀬は言葉通り、真剣ではなく木刀を腰から抜いて高めの中段で構える。


「甘いな」

「あぁ。でも気付いたのさ。これが僕の剣の道だってね」


 清々しく答える一ノ瀬に泥蓮は怒りを覚えた。

 泥濘に引き込んだはずの男が、自分だけは助かる命綱を握っていたことに堪らなく苛立つ。


「そうか。お前みたいにふらふら道を違える間抜けはここで死ね」


 闇の中、発火しそうな程濃密な視線が衝突する。

 両者にとって三度目の戦闘は、防具も防刃服もない死闘を以て口火を切った。




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