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どろとてつ  作者: ニノフミ
第二十六話
115/224

【闇路】④

   ■■■




 大会施設の一角。

 応接室で由々桐と面会した篠咲は試合の報酬である小さな木片を机上に置いた。


「これが最後の割符です」

「確かに」


 篠咲は試合の道着姿のまま、腰に小太刀を差している。

 互いに大会前から顔を合わせている間柄だが、未だ手放しで信用することはできないのだろうか。

 由々桐にはどこか警戒の証のように思えた。


「能登原さんの指示でね、この場でさっさと電子化してしまうが構わないかい?」

「どうぞ」


 了承を得た由々桐はノートパソコンを開き、ケーブルで繋いだ非接触式リーダーの上に割符を乗せてソフトウェアを起動した。

 読み取りは一瞬だが、念を押して三回分のファイルを作って個人で契約しているクラウドストレージに送信する。

 全ての割符の収集というタスクを完了した由々桐は、残る問題を整理しながら卓上のガラス製灰皿に割符を投げ入れて窓際に移動した。

 灰皿にライター用のオイルを垂らしてマッチで火を点けると、心なしか旅愁の念がこみ上げて嘆息する。


 残るタスクは、篠咲を一叢流の連中に引き合わせ、安全な場所に身を隠して、割符データを解析するのみだ。

 長い道のりの終着点がもうすぐそこに見えている。

 油断はないがここで一息つかなければと思い、懐から撚れた煙草を取り出して割符の炎で着火した。

 窓の外に紫煙を二度吹いた後、改めて篠咲に視線を送った由々桐は「試合後から息つく暇もなくてね」と口元を緩めた。


「英梨子は今どこにいますか?」


 当然の疑問、何気ないタイミング。されど由々桐にとっては核心を突く質問。

 まっすぐ見つめ返す篠咲の顔からはどのような感情も読み取れない。


「能登原さんは公安が動き始めてからセーフハウスに移動したよ。場所は俺も知らない。当分直接の連絡は諦めてくれ。伝言があるなら俺が仲介する」

「……彼女にしては慎重ですね」

「元々、復号化作業で手間取っていて引き篭もる必要があったらしい。俺は職業柄浅く広くがモットーでね、専門的なセキュリティ分野にもなると彼女に意見する資格もない」

「そうですか」


 視線も表情筋も揺るがない篠咲は何を思うのか。能登原の現状を知ればどう動くのか。

 多少興味を惹かれた由々桐だが、予定通りに会話を繋ぐことにした。


「ああ、それから能登原さんの伝言があるんだった。『棄権しろ』って言ってたよ」

「……貴方はどうするべきだと思いますか? 由々桐さん」


 意見を求められた由々桐は煙を吐いて考えを巡らせた結果、敢えて本音で回答することを選んだ。

 虚実を混ぜると不思議と説得力に繋がることがある。


「俺も能登原さんと同意見だよ。表の顔役はもうお終いにした方がいい。公安はともかく、試合だってこの先無傷とは行かないだろう?」

「ええ、そうですね――」


 この先、篠咲を待つのは公安による確保か小枩原泥蓮との決闘、或いはシロ教による暗殺であるが、今逃げ出せば全ての因縁を回避できる。

 自業自得とはいえ、陥れる側の由々桐に良心の呵責が全く無いわけではない。


 しかし篠咲は「――ですがお断りします」と拒絶の意思を口にした。


「棄権に関しては何度も議論していますが譲るつもりはありません。彼女にもそう伝えてください」


 それは篠咲と能登原とで大会開催の目的が違うことを示唆している。


 ――この女はどこまでも剣術にしか興味が無いのか?


 能登原のおかげで計画の暗部に触れないで済んでいる篠咲だが、それにしても楽観的に構え過ぎだ。

 どんな刺客が現れても個人力で切り抜ける自信があるとでもいうのだろうか。


「まぁ一応逃げる選択肢も心の隅に置いといてくれ。篠咲さんが捕まったら俺が能登原さんに殺されちまう」

「貴方は英梨子の護衛ではないのですか?」

「棄権を拒否する場合、アンタの護衛に就けと命令されているんだ。セクハラにならない範囲で監視しているから今後よろしくな」

「はぁ、分かりました」


 由々桐は会話しつつも思考の中で動機を探る。

 無警戒の愚鈍というわけではないが、割符を得ても尚大会に参加することにどんな意味があるのだろうか。

 賞金が惜しいわけではない。強さの証明が目的だろう。

 大会で優勝し玄韜流とやらが最強であると喧伝し、世間の異種戦論にある種の結果を示す。

 その後は?

 玄韜流の門下生は増えるかもしれないが、道場経営で金を集めることが目的ではない。武術家を集めること自体が目的か。


 由々桐の背に冷や汗が流れた。


 篠咲の父親は極左である。

 父親の死後、流派を継ぐ娘が名を上げ、武術家を集めようとしている。

 そこに赤軍遺産が合流すれば――


「由々桐さん」


 煙草の赤熱を眺めて居着いていた由々桐は割って入る声で我に返った。


「着替えたいので、出て行って貰えませんか?」

「……あぁ、長居して悪かったな」


 最後に燃え尽きた割符を確認して、ダメ押しのように煙草を押し付けてから由々桐は応接室を後にした。


 長く続く廊下。

 窓から差す黄昏の斜陽が舞い上がる埃を輝かせている。

 由々桐の足取りは重く、陽炎のように揺らめいていた。


 排除する必要性は無いと考えていた。

 篠咲鍵理が愚直な剣者でいるのならそれ以上触れてやる必要はないと思っていた。


 ――が、今は違う。


 本能と直感が告げる。

 あの女は始末しなければならない、と。


 楽観的に見えたのは存在が希薄だからだ。思考が虚ろだからだ。

 現在を見ず、理想の未来に生きる典型的な夢想家。

 能登原のように我欲で生きる者の方が幾分マシだ。


 幸い彼女の資金源は全て抑えることが出来たが、万が一の事を考えなければならない。

 小枩原が負け、シロ教が失敗し、公安が詰められなかった場合、直接手を汚してでも篠咲を始末しなければ後々大きな厄災になる。


 ――俺で勝てるのか?


 奏井は本物だった。

 虚飾で強さを演出する紛い物ではなく、流派を体現するような練度を秘めた本物の伝説だった。

 そんな強者を難なく斃す篠咲は、経験や想像力では届かない怪物の領域にいる。

 確実にやるならば不意打ちの射殺しかない。


 由々桐は震える手元に気付いていたが、それが恐怖なのか武者震いなのか分からずにいた。




   ■■■




「腹が減ったのじゃ。身体が焼き肉を求めておる」


 二日目全試合の観戦を終えた不玉は欠伸混じりに立ち上がって鉄華を横目で見ていた。

 前日、おごりで食べた焼き肉を催促していることが伝わってきた鉄華は不玉の視線を無視し、先程まで画面に写っていた術理を思い出しては素振りの要領で小さくステップを繰り返していた。


「さっきから何をしておる?」

「いえ、その、奏井さんの足運び使えるかなと思って」


 踏鳴と体重移動で粘りを上げる一叢流とは違い、爪先を上げ踵で身体を支えて剣を押す運足。

 瞬間的な撃力では勁草に劣るが、足場が悪い状況や咄嗟の防戦では使えると考えていた。


「ふむ、合撃か」


 浮いた爪先を一目した不玉は、鉄華が何の技を想定しているのか瞬時に理解する。


「柳生新陰流の基礎【三学円】は尾張遣い、江戸遣い、古伝の三種類あるが、初手が合撃打ちで始まるのは尾張遣いになる。確か鉄斎の披露した型の三本目と同じじゃな。気になるなら入門してみたらどうじゃ?」

「いえ、祖父についてはもう充分ですし、特定の流派にのめり込もうとも思っていません」

「なんじゃお前、もう自分の流派作る気かえ? 言うようになったではないか。このこの~」


 鋭いローキックで太腿を打たれた鉄華は膝を上げて残りの数発をガードしていたが、不玉のツッコミは骨に染みる威力があり堪えるものがあった。


「ちょ、痛いですって」

「反応が遅いのじゃ。足を狙われたら即間合いを離して対角線上の頭部を守れい」

「わ、分かりましたから。焼き肉行きましょう、焼き肉」


 拗ねて手が出るのは不玉の悪癖のように思える鉄華であった。

 結果泥蓮のような捻くれた性格の子供が育つのも分からなくもない。


「……今、失礼なこと考えたな」

「……気のせいです」


 戯れが本気の組手に変わろうとする気配が漂い始めた時、師弟の馴れ合いが続く控え室のドアが開かれた。


「うーす、春旗。元気してる? 師匠さんも」

「ちわーっす鉄華ちゃん。不玉さんも、二回戦突破おめでとうごさいます」


 現れた懐かし声の主に鉄華は驚きを隠せなかった。


「え? え? ヨーコと津村さんが何で?」


 クラスメイトの西織曜子と津村鈴海である。


「えへへ~、忍者先輩に観戦チケット貰っちゃってたんだ~」

「一巴先輩から?」

「アタシもな。ぶっちゃけ全体的にグロすぎて見てられんかったけど」


 驚きから疑問へと変わる。

 特に参加に否定的だった鈴海が来たのは、鉄華にとって意外過ぎる展開であった。

 一巴に説得されたと考えるべきだ。

 鉄華は会場内の因縁に巻き込まれる可能性を考えて彼女たちを誘わなかったのに、一巴は説得してでも呼びつけた。


 ――何故?


 鉄華の中で一巴に纏わる疑問が明確な解答を作り始めていた。

 わざわざ呼んだのは曜子たちの存在が足止めになるからだ。

 信じたくはないが、木南一巴は不玉を裏切って行動している可能性が高い。


 そんな鉄華の心中を知らない鈴海は、鉄華の肩に手を回して「ところで~」と下卑た笑みを浮かべる。


「は、る、は、たぁ~、セコンドで賞金どんくらい貰ってんのよ? ん? ん?」

「あー、めんどくさいからマジやめて」

「何でだよ。あーしらマブダチじゃん。あーしらマブダチじゃん!」


 大事なことを二回言う鈴海の目は金銭欲でギラついていた。

 鈴海をマブダチだとは少しも思っていない鉄華だが、マブダチだと思えるようになったとしても刀を売った金の存在は絶対に口にしないことを固く誓う。


「うむ、丁度よい。今から鉄華のおごりで高級焼肉店に行くところじゃ。お主らもついてくるかえ?」

「やったぜ! さすが師匠さん! いやぁ言ってみるもんだな!」

「えぇ……」


 恐らく鉄華よりも裕福なはずの不玉の提案に少しの苛立ちを覚え始めていた。

 しかし、大会賞金の分前に関してはほぼ何もせずに得られたあぶく銭であることは否定できない。


「なんかゴメンね鉄華ちゃん。私達は日帰りで帰るからさ、ちょっと話そうよ。……高級焼肉食べながら」

「ヨーコ……涎出てるよ……」


 鈴海とは違い、親友とも思える曜子ですら狂気に侵され始めている。

 もはや鉄華には心を殺して財布の紐を緩める以外の選択肢は存在しなかった。




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