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どろとてつ  作者: ニノフミ
第二十五話
111/224

【紅涙】⑧

   ■■■




 試合が終わり、控え室に戻ってからも顎に手を当てて思索し続けた鉄華はようやく口を開いた。


「最後のあれ、続飯付ですよね?」

「む? ……まぁ一応はそういうことになるかの」


 質問は安納の投げを脱した動きを指している。


 眼の前のソファでは肩の治療を終えた不玉がモニターに注視している。

 負けた安納だが、投げられながらも置き土産とばかりに肘鉄を鎖骨に埋めていたのは流石と言うべきか。


「使えたんですか?」

「『芯を取る』という理論は念流の専売特許ではない。合気にも一刀流にも新陰流にもある」

「でも安納さんのはもっと、身体全体で重心を取りに行くような応じ技じゃないですか」

「体幹を駆使した押さえや体重移動は柔術で当たり前に行う駆け引きじゃ。儂は剣技に落とし込めるほど器用ではないが接近戦の身体操作では負けとらん」


 一叢流の技術体系では【蔦絡(チョウラク)】に相当する技術。

 投げ技や関節技は彼我の距離と体勢で別個の解があり、技に移行する瞬間の駆け引きは続飯付に共通する部分がある。

 とはいえ、安納林在は近接戦闘も難なくこなせる強者だ。

 彼に盲点があったとすれば相手が同じ術理で、より高い練度で対抗してくる可能性である。

 続飯付同士、芯の取り合いで負けるとは露程も考えていなかっただろう。

 不玉は未だ底が見えない。

 時の運が大きなファクターである真剣勝負だが、一般世間でも認知される強者を労せず完封する師の強さに、誇らしさを通り越して気味悪ささえ感じる鉄華であった。


「このままですと、デレ姉より早く篠咲さんと当たりますね」

「バカ娘には悪いがそうなるかもな」


 会話の最中でも不玉の視線はモニターから離れていない。

 画面に映るのは試合前まで夢中になっていたゲームではなく、二日目最終試合の中継であった。


「しかし単純ではない。相手の奏井至方、あれは相当厄介じゃぞ」

「そんなに強いんですか?」

「奏井のことは噂程度にしか知らん。が、柳生新陰流という流派の完成度は他の追随を許さぬ出来じゃ。剣術史の末端にある一つの完成形よ」


 奏井の戦歴に関してはもはや都市伝説の域にあり、鉄華も一般大衆と同じく懐疑的な目を向けざるを得ないが、確かなことが一つだけある。

 一流派一人の撃剣大会で、柳生新陰流が代表者として推したのは紛れもなく奏井であるという点。

 柳生新陰流は歴史の中で分派し、尾張柳生と江戸柳生という二つの道統を持っている。

 そこには『どちらが源流、宗家であるか』という尽きない論争があり、現代でもそれぞれ別個の派閥を抱えているが、その両団体をして推挙に至る実力者ということに他ならない。

 少なくとも派閥間の政治を黙らせる強さがあるということだ。


「ここで負けてくれれば健全な進行になると思うんですけどね……」


 思わず考えが口から出てしまう。

 全ての因縁の源にある篠咲鍵理という女。

 奏井との対決も仕組まれた因縁だ。


 ――なら、彼女の動機の源は何だろうか。


 画面の中で抜刀して入場していく両者を見つめながら、鉄華は想像力を投影させて篠咲の起源に触れようと試みる。

 金。父親の夢。強さへの執着。能登原。古流復興。

 だがその想像の礫は尽く水面を擦り抜け、陽光すら拒絶する底冷えの水底へ吸い込まれていくだけであった。




   ■■■




 安納林在が目覚めたのは試合から十七時間後、大会三日目の朝のことであった。

 思いの外スッキリとした目覚めの後、自身の置かれた状況を確認していく。

 病室のベッドの上。窓の景色から大会会場ではなくどこかの病院に搬送されたことが分かる。

 口に付けられた管は人工呼吸器のもので全身麻酔が必要な救急医療だったのだろう。

 主な負傷箇所は寝返りも打てないほどきつく固定された頭部。

 鳩尾部の状況は確認できないが呼吸に不自由はなく、手足も自分の意志で動かせる。

 死すら覚悟する最後だったが、幸運にも一命は取り留めたようだ。


「おはよう、アノー」


 部屋の隅でパイプ椅子を広げて読書していたアールシェが声を上げた。


「記憶の方は大丈夫かな? 線状骨折らしいけど陥没しててもおかしくない衝撃だったから何かしら不自由はあるかもしれないよ」

「大丈夫だ。平衡感覚もある」


 安納は呼吸器を取り外しながら上体を起こして答えた。


「無理はするなよ。今は平常に思えても後々影響が出てくるかもしれない」


 アールシェの言うことももっともであり、安納は奇跡とも言えるコンディションに感謝した。

 そして最後の瞬間を明確に思い出す。

 小枩原不玉。

 まさか同じ術理で対抗し負かされるとは思っていなかった。

 彼女が使う沖縄空手の理論には【鞭身(ムチミ)】と呼ばれる体幹の緩急が欠かせないが、続飯付で芯を押さえた一瞬の居着きを捉えて振り払うような体重移動で僅かな隙間を擦り抜けてくるのは、試合前にしていたあらゆる予想を超えている。

 机上の空論ともいえる達人の領域。

 安納が世界を巡る鍛錬の果てにようやく辿り着いた立ち位置、更にその先に小枩原はいる。

 言い訳のしようもなく正面から負けたことに対する重苦しい悔しさと、まだ挑戦できる頂が残っていることへの歓喜が心中でせめぎ合う。


「なんだか変な顔してるね。嬉しいのかい?」

「そうだな。情けない瞬殺だったが、まぁなんだ、色々学べたよ。まだやることがあるみたいだ」

「怪我が治ったらそのあたり共有して欲しいな」


 一人だったら悔しすぎて泣きたくなる程の屈辱だが、同士がいるだけで前向きになれる。

 慰めも呆れもなく、ただの友人として振る舞うアールシェに安納はどこか救われたような気がした。


 自嘲するような笑みを浮かべる安納にアールシェは話を続ける。


「そうそう、君が寝てる間、女の子が訪ねてきたよ」

「お、モテ期到来か?」

「いや、それがよく分からないんだけど、『カイセイが孤独死する前に顔見せてやれ』って言ってたな。出場選手の槍使いの子だよ」

「……」


 小枩原の娘の方だ。

 これで彼女らが続飯付を身に付けている理由も分かった。


 ――久々に実家を覗いてもみるのもいいかもしれない。


 安納は忘れかけていた自身の起源を思い出していた。


「アールシェ、今は何時だ? どれくらい経った?」

「日付が変わって朝の十時だよ。……負けてしまった君には関係ないけど、大会の方は少し面白いことになっているみたいだね」

「どういうことだ?」

「今日になって何人かの選手が棄権しているんだ。これは噂レベルの話なんだけど、なんでも昨晩に個人的に立ち会って負傷したらしい。運営もこのまま大会を続けるかどうかで揉めているようだよ」

「闇討ちか、くだらんな。誰なんだそいつは?」

「それがまた面白いことにね――」


 口端を歪めた笑みで答えるアールシェは、名前を聞いて驚きの開口を晒す安納の反応を楽しんでいた。




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