【紅涙】⑤
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「なんでもあの日馬って人、結構な重体だそうでスタッフの人らも後処理で忙しいみたいです」
「うーむ。重体というか、ありゃあ即死っぽい気がするのう。運営がどう始末つけるか見ものじゃ」
次試合の入場が遅れている理由を関係者に聞いて回っていた鉄華は一旦控え室に戻って、モニターでビデオゲームに興じている不玉に状況を報告した。
大会初の死傷者。
公になれば競技としての安全性、倫理的観点から大会は中止になってもおかしくない。
医療関係者もグルになってあと三日間隠し通すつもりなのだろうか。
とはいえ、死者が出ることを能登原が予想していないわけがなく、遅延が生じている事態に漠然とした疑念を感じる鉄華であった。
「まぁそう顔をしかめるでない。癖になると三十路で皺が出るぞ。富士子がいい例じゃ」
「……運営に、能登原さんに何かあったと考えるべきでしょうか」
「さてな。どっちかというと何かする方じゃと思うがの、あやつは」
不玉の言うことも尤もではあるが、篠咲を狙う連中にとって一番排除したい存在が能登原である。
恨みを買うやり方で招集した大会参加者が誰なのかまでは鉄華には分からない。
しかし泥蓮が知っている場合、共闘し得る利害関係が生じる。
割符を失った百瀬と野村という参加者が敗退後大人しく身を隠したのかも怪しいものだ。
もしかしたら一巴は参加者の背後関係を調べているのかも知れないと思いスマートフォンを取り出した鉄華は、ロックを解除してから指が止まった。
――もし参加者の関係性を一巴が知っているのなら。
今現在、篠咲を狙う者の意図で能登原の身に何かが起こっているのなら、それは単独で起こした問題ではない。
大会進行中、セキュリティも万全の中、正規の手続きで主催者に近づくことは叶わないからだ。
集団を操作し、能登原に近づける理由を持っていなければ不可能である。
だが、一巴は割符の情報を持っている。
――木南一巴は信用できるのだろうか?
部活の先輩。数少ない友人にして命の恩人。
彼女のことをどれほど知っているのだろうかと、鉄華は今更ながら一巴に注視し思考を滞らせた。
考えたくはなかった。
疑念の中核に一巴が居ることに気付いていたが、目を背けていた。
それでも一度考えてしまったら堰を切ったように思考が流れ出す。
一巴が裏切っていたのなら、泥蓮を戦わせるつもりならば――もう誰にも止められないのではないか。
一巴にとってのメリットは? 一叢流の毒術はもう知っている。セコンドを務めるのは金が目的だ。金。大会賞金を超える金。或いは即金。赤軍遺産はもう手に入らないはず。能登原を直接脅迫して即金を手に入れる方法。拉致監禁。何故犯罪を犯してまで即金が必要なのか。それはこの大会以降、表社会から去るのが――、
「鉄華」
次々浮かぶ推論の奔流を割って入る不玉の声で鉄華は我に返った。
「なんて顔しておるのじゃ。『全部分かっちゃったんですけどー』とか言って解答編突入されても儂は反応に困るぞ」
「は、はぁ。ですが……」
「あれこれ背負うな言うたじゃろ? 手の届かない範囲を妄想して居着けば足元掬われるのがオチじゃ」
鉄華は返す言葉がなかった。
最悪中の最悪を考えているだけであり、説得力を発揮できる根拠はない。
曖昧な言葉を並べて試合を控えた不玉の心を乱すのはセコンドとして不適格である。
有りもしない問題、出来もしない解決策、『あの時ああすれば良かった』という想い。
試合が始まれば、全ての感情を横に置いて向き合わなければならない。
――知る事を望み、今やれるだけのことはやっている。
残る結果はただ受け入れるしかない。
鉄華は自分に言い聞かせるようにして問題の追求を停止した。
「不玉さんは……安納さんに勝てるんですか?」
「ああ、勝てる。安納も篠咲も、あの滝ヶ谷とかいう怪力女も問題なく勝てる。どんと構えておれ」
ゲーム画面を見据える不玉の真意は読み取れない。
無根拠な自信を披露する人間ではないが、どこか強がりにも聞こえる。
もし不玉が虚勢を張っているのなら、そうさせているのは鉄華のせいだ。
――今は学ぶ時。
遠回りして立ち止まってでも、観なければならない戦いがある。
鉄華は自分の試合でやってきたルーティーンを思い出し、目を閉じて気持ちを切り替えた。
集中力が作る静謐で居着きを切り捨てる。
目に映る全てを取り込み、武術家、春旗鉄華を更新していかなければならない。
これから始まるのは誰のためでもない、自分自身の戦いだ。
全てを血肉に。骨身を支える技に換える。
鉄華の脳裏に浮かぶのは、ただ一人。
冬川亜麗の姿であった。
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「打撃は八極拳や沖縄空手に近いな。確か【当破】といったか」
「そうだね、俺もそう思う。でも実戦で何度も狙える技だとは思えないな。力技だから隙も大きい」
「だからこそ、わざと見せた可能性がある。見栄えのいい大振りの力技だと居着かせておいて速度重視の小手先技で急所を狙ってくるかもな」
控え室のモニターの前、腕組みで立つ二人の男。
安納林在とセコンドのアールシェは、それぞれ一晩中考えて出した結論を一致させていた。
画面には予選試合の小枩原不玉が写っている。
リモコンを握るアールシェは打撃の瞬間から巻き戻してコマ送りで再生し直した。
「古流でよくある膝抜きの動きだけど彼女のはかなり厄介だね。完成度が他参加者の比じゃない。普通、あんなに速く身を屈めるとどうしても宙に浮く瞬間が発生するんだ。けど彼女にはそれがない。脱力への振れ幅が直滑降並みだよ」
「アールシェ、君ならどう戦う?」
「安直に槍を持ちたいところだが、一叢流には槍術もあるようだしなあ。術比べではない初見殺しなら盾と【ウルミ】を持って遠距離戦かな」
「ウルミってのは鞭みたいな長剣を束ねたやつだっけか?」
「うん。あれは日本の乳切木という武器よりずっと不規則で、素手じゃ絶対に防ぎきれないからね。もし俺がアノーなら二刀流は避けるよ。無刀取りってのは如何に柄を取るかが本質だし、片腕を両手で掴まれると簡単に操作されてしまう。防刃服があるし上手く反撃できるか博打に思えるなぁ」
「なるほどね」
アールシェは日本の古武術への造詣の深さを隠すわけでもなく、敵の戦力分析に努めていた。
本来は参加者でありたい思いを捨てて安納に協力することを決めているのは、自分の立ち位置を理解しているからである。
アールシェは大会以前に日本に呼んでくれた安納と、どちらがセコンドになるかを賭けて立ち会って、そして敗れている。
タイで別れたあの時からどんな時も安納を仮想敵として鍛錬を繰り返してきた。
日本で、フィリピンで、中国で、アフリカで、欧州で、アメリカで、南米で、恐らくは交渉下手な安納より多くの戦う機会を潜り抜けてきた。
真っ向勝負で強い者もいれば、不意打ちや集団戦を使う歪んだ者もいた。銃を突き付けられた命の博打を制したこともあった。
それでもまだ追い付けない道の先に安納はいるのだ。
全ての動きを封殺する術理【続飯付】。
ビー戦で見せた安納の実力は発端でしかなく、アールシェが掛けた年月だけ安納もまた技に磨きをかけて強さを増している。
悔しさと尊敬が入り混じり、自分の戦い方というものが分からなくなっていた。
分かることは、安納の真似では駄目だということだけだ。
安納が自分だけの型に辿り着いたように、アールシェもまた自分の四肢に宿る最適な動きを見出さなければならない。
そのヒントがこの大会にあるのかも知れないと考えて、敢えて観察側へ回帰することを決心していた。
迷いの先、いつかもう一度安納と戦う時。
安納が全盛期を維持していられる間に追い付けなかったら、その時こそ本当の敗北だ。
扉をノックする大会スタッフが遅延していた試合の再開を告げると、安納はいつものように二対の刀を腰に挿してアールシェに視線を飛ばした。
「なんだ、二刀流でやるのかい?」
「ああ。結局のところ、いつだってその瞬間手の内にあるもので戦うしかないんだろうな。万能の術理なんてものがあればいいんだが」
「よく言うよ」
技の起こりを全て押さえられ、たったの一度も打突を放てず安納に敗れたアールシェは苦笑いを浮かべて応えた。




