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どろとてつ  作者: ニノフミ
第二十五話
107/224

【紅涙】④

   ■■■




 ――あれから、どのくらい経ったのだろう。


 意識を取り戻した能登原は、身を焼き尽くす怒りで室内の寒さを相殺しながら置かれた状況を観察し始めた。

 広さ二十畳ほどで窓の無い部屋。

 壁と床は剥き出しのコンクリートに囲まれていて、天井のアスベストからぶら下がる裸電球が部屋内にレンブラントのような深い陰影を刻んでいる。

 壁際に並ぶ鉄骨のラックには銅線の束やダンボール箱が乱雑に収められていて、丁寧にアルファベットと数字のラベルで分別されていた。

 床には木箱を引き摺った跡と細かい木片が散らばっている。

 どこかの資材倉庫であることを想起させた。


 身体は鉄製の椅子に座らされている状態で、手は肘掛けに、足は椅子の脚部に、首と腰は背もたれに革ベルトで括り付けられている。

 衣服は下着を残して剥ぎ取られていたが乱暴された形跡は無く、切断された右手中指には包帯が巻かれていて治療の痕跡がある。

 椅子自体は銀色のボルトで床に固定されていて体重を掛けても動かない。椅子の錆に比べてボルトは新しく、急遽拵えた監禁部屋であることが伺えた。


 いくら観察しても身に迫る危険を認識させられるばかりで、時間の経過は分からない。

 それでもまだ日付は変わっていないだろうと能登原は確信を持っていた。

 時限で発動する公安への通報と、体内に埋め込んだGPSがあるので監禁し続けるにも限度があるからだ。


 ――時間は私の味方。


 殺意が口端を歪ませる。

 待つ時間は永遠ではなく決まったゴールがあり、逸る気持ちとは裏腹に楽観的になれる余裕が生まれた。


 能登原が目覚めてから二十分程過ぎてようやく状況が変化する。

 唯一の出入り口である鉄製の大きなスライド式ドアから叩きつけるような金属音が響く。

 続いてシリンダー錠の音。

 外側に閂でも掛けているのだろう。

 音の反響から扉の外も閉じた屋内であることが分かる。

 大方、山奥の廃工場にでも連れ込んだといったところか。


 扉を開けて入ってきたのは予想通り眼帯の男であった。


「おや、お目覚めかい。飾り気のない部屋ですまないな、能登原さん」


 由々桐は無精髭を撫でながら軽く笑ってみせる。

 煙草の残り香で室外から吹き込む風の匂いが分からない。

 能登原は無意識に爪を噛もうとしたが、腕が肘置きに固定されていることを思い出して苛立つ思いが湧き上がる。

 ルーティーンを動作に紐付けていたことを後悔しつつも、時間を稼ぐという再優先事項の為会話を繋げることにした。


「紳士なのね。てっきり意識がない間ずっと犯されていたかと思っていたわ」

「これでも一応はプロを自称しているからな。性欲のコントロールくらい出来るよ。それに俺は誰が相手でも極力人権を尊重する派でね」

「面白い冗談ね」


 治療までして生かしておくのは、未だ望む物が手に入っていないからだ。

 そこに漬け込む余地がある。


「単刀直入に言うぞ。割符データを保存したサーバーへのアクセスコードを教えてくれ」


 ICチップのデータを抜き出していることを知っている。

 つまり由々桐も同じ手段でバックアップを取って嵌めようとしていたのだろう。

 古風でアナログな配達人という認識は改めなければならない。


「条件があるわ」

「聞こう」

「まず、今の時刻を教えなさい」

「十六時を少し過ぎたあたりだな。アンタが寝てたのは二時間弱だよ」


 由々桐は偽りの時刻を伝えてくるかに思えたが、スマートフォンを取り出して今の時刻と撃剣大会のライブ中継を映してみせた。

 画面の中では小枩原不玉と安納林在の試合が始まっている。

 能登原は録画の可能性も考えたが、映像はあくまで公式アプリの中で再生されていた。

 二時間もあればほぼ足跡を特定できない範囲に移送可能であり、時刻を偽る意味はないと判断したのだろう。

 篠咲の試合はまだ始まってすらいない。

 小枩原泥蓮の勝利で公安が焦っている事と、木崎三千風の遅刻による進行遅延が図らずも状況を好転させていた。


「なら先に私と篠咲の安全確保を要求するわ」

「そりゃ無理だ。金を掴む前にアンタの安全確保したらこっちが終わる」

「……貴方を信用して素直に教えろとでも?」

「ああ、そうだ」


 由々桐はこれ見よがしに懐からハンドガンを抜いてセーフティを解除する。

 明らかな脅しであるが能登原は恐れていなかった。


「自分の命を金で買えない事もあるが、今はそうじゃない。金さえ手に入ればちゃんと解放するし、篠咲にも再会できる。俺はこの手の約束は必ず守るようにしているんだ」

「口約束を信じるほど子供じゃないわ。例え貴方が信頼できるとしても他がそうだとは限らないじゃない」

「ん? あぁ、そういや能登原さんは知らなかったか。実はシロ教と一叢流は割符が焼失したと思い込んでるんだ。彼らはアンタ個人の預金を押さえて満足し、後の処分(・・)を俺に任せている。つまり生殺与奪を握っているのは俺と婆さんだけだ」

「それも根拠がないわね。少しは信じさせる努力をしたらどうかしら」


 時間稼ぎが露骨過ぎるか、と能登原は一瞬躊躇したが強気を通すことにした。

 そもそも拷問で口を割らせるつもりならば今の会話自体何の意味もない。

 これは由々桐群造の甘さだ。

 一度は引き受けた依頼を裏切った後ろめたさか、女性を痛めつけることへの良心の呵責か、最初に交渉というカードを出してしまった。

 焦れて引き金を引いたとしても命まで取らないことも分かっている。

 能登原はただの痛みであれば耐える自信があった。

 互いの妥協点を見出すように根気よく会話を続けることは情報収集と時間稼ぎを両立する。

 活路はまだある。


 今出来る最良の行動を辿る能登原は――重要な言葉を聞き逃していた。

 もう一人、生殺与奪を握る人物がいることを。


 その事実に気付いたのは、扉の外から乱雑に金属がぶつかり合うガチャガチャという音が聞こえてきた時だった。


「由々桐さん、準備ができました」

「……はぁ、そうかい。能登原さん、残念だが時間切れだ。俺は別の用事があるから引っ込むことにするよ。お察しの通り、俺は女性相手の拷問は苦手でね。後は専門家に任せる」


 退室する由々桐と入れ違うように入室する百瀬は、白い布を被せたカートをまるで食器を運ぶメイドのように押していた。

 そして能登原の前に折りたたみ式のテーブルを組み立て、布を広げて銀のトレーを乗せ、そこに錆びついた工具を並べていく。

 能登原は急遽打ち切られた交渉と、眼前で展開される作業の意味にまだ思考が追いつかない。

 やがて締め切られた扉から鍵のかかる音が響くと、再度室内に狂気の陰影法が展開されていく。

 百瀬は手を動かしながら茫然自失の能登原を一瞥して「まず最初に、」と口を開いた。


「私達は『必ず約束を守ります』。言葉以外何の保証もありませんが、どんなに辛い時もこの言葉を思い出してください」


 専門家と呼ばれた老女は視線を合わせず事務的に淡々と述べる。

 並べられていく道具は、金槌、ペンチ、ニッパー、ドライバーといった廃工場から即席で掻き集めたと考えられる工具類と、ラベルが貼られた薬品の瓶や注射器が確認できた。


「拷問の内容も予め言っておきましょう。インフォームド・コンセントですね。同意に関して貴方の自由意志はありませんが」


 しわがれた顔が破顔し更に陰影を深めた。


「まず金槌で左足の小指から順番に潰していきます。その次は手の指をニッパーで切断し、ナイフで耳と鼻も削ぎ落とします。その次は左腕を縛り上げ壊死させてから腕の肉だけを削ぎ落とします。あ、この時は死ぬかもしれないので麻酔を使います。止血処理もお任せください。両手足の骨を剥き出しにした後は硫酸でじっくり溶かします。それに耐えたら眼球をスプーンで抉り出し、最後はドライバーで木ネジを頭部に何本も刺していきます。この段階まで来れば間違いなく死ぬでしょうね。その時は我々も貴方の忍耐力に敬意を払って遺産金を諦めましょう」


 最初から不可逆な破壊。

 時間稼ぎと並列して口を開ける死という明確なゴール。

 恐怖心を煽る演出であることは言うまでもないが、耐えれば耐えるほど取り返しがつかないことになる。

 金は欲しいが別に死んでしまっても構わないと優先度を同列にしたのはある種の選択を迫る意図が含まれていた。


「経験上、足指二本で大体の方はギブアップします。どの段階でもギブアップすればすぐに止めますし命まで取りません。途中で心折れるくらいなら今声を上げるべきだとアドバイスしますよ。五体満足であれば人生いくらでもやり直せますから」


 ――大丈夫。私なら問題ない。痛みなら耐えられる。


 これまでも脳が痛みを切り離す瞬間を幾度か体験してきた能登原は、自己催眠の導入のように自身のポテンシャルを信じるワードを脳内で繰り返す。

 しかし、身体は意志に反して震え始めていた。

 心音が早鐘を打ち、呼吸は酸素を求めて浅く短く間隔を狭めていく。

 敢えて注視しない思考の濁流の底に、どんな強者も耐えられない拷問の存在を認める思いが根を張りつつある。


「では早速始めましょうか」




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