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どろとてつ  作者: ニノフミ
第二十五話
106/224

【紅涙】③

   ◆




 中空で円を描いて振り下ろされる薙刀の先端。

 本来なら受けるべきではないが、完全に虚を突かれた攻撃を躱す時間はない。


 ――防げる。問題ない。


 頭頂部を狙って真っ直ぐに空を切る鈍色を見ながら日馬は己を鼓舞する。

 十手の強度に問題はない。鉤の接合部もリベット接合ではなく現代の溶接技術で繋がれていて信頼できる剛性がある。

 滝ヶ谷の最初の面打ちも防ぐことができた。

 重さがあっても受けた後に競り合う粘りの力が長物と短剣とでは後者に分がある。

 問題はインパクトの瞬間である。

 そこに宿るのは三六〇度回転の遠心力と二メートルの跳躍による重力加速度である。


 日馬は筋力で関節を固めて、額の上で重ねる十手を固定した。

 手首を脱力させれば柔らかに受け止められるが、防御が沈み込んだ時頭部は無事では済まないだろう。

 力を持ってして拮抗し粘りで反撃へと転じるしかない。

 極限の集中力で脳を波々と満たすアドレナリンを想像し、身体の隅々に行き渡る剛力を受け取る。


 瞬時に万全の体勢を築き上げた後、日馬は見た。

 垂直に振り下ろされる刀身が蛇の如く(うね)るのを。


 天井の照明が空調で揺れて反射光が揺らいだかに思えたが、右鎖骨に沈み込む衝撃を受けた時ようやく事実を認識できた。


 ――振り下ろしながら手首を返してまた戻す。


 薙刀の刀身は文字通り刀のように反りがあるので、手首の返しで寝かせれば軌道は大きくずれる。

 断面が円形の柄部を持つ槍とは違い、薙刀は楕円形の柄で刃の向きを操作する意図を持って作られている。

 滝ヶ谷は全力で振り下ろしながらも防御を掻い潜るように先端を緻密に操作していたのであった。


 日馬は知る由もない。

 滝ヶ谷が最も得意とする握力による刀身操作術【袖切(シュウセツ)】の存在を。

 脳内麻薬で歪む視界の端に映る初見の妙技に見惚れていた。

 埋まる鈍色が筋肉を圧し潰し、鎖骨、肋骨を小枝のように折っていくが、今や焼け付く痛みでさえ気持ちいい。

 全ての意図を先回りされ、圧倒的な身体力で封殺されるという新しい快楽がそこにあった。


 ――もっと欲しい。


 肩口を斬り進む刀身が肺腑に到達する前に前腕で押し返すと、防刃繊維があるにも拘らず断裂した筋肉から血飛沫が上がる。


 ――もっと絶望させて欲しい。


 口内から奥歯の割れる音が骨振動で脳髄に響く。

 気付けば防御を捨てて前進し、左手の十手を投げ捨てて鉤突きを奔らせていた。

 滝ヶ谷に痛みが通じないのは知っている。

 向かうはがら空きの右脇腹。

 狙うはこれまで何度かの偶然で体験してきた拳撃による内部破壊。

 粘着く血流が珠玉の鉄拳の硬度を高め、連動する筋肉もリミッターを超えて千切れる音を立てている。

 今なら問答無用で内臓を破壊出来ると確信を持っていた。


 日馬の人生最高の一撃は、滝ヶ谷の脇腹に食い込み、肋骨を砕き、内部にぶら下がる肝臓を水袋のように破裂させる――そんな脳内イメージとは裏腹に、無情にも遥か頭上を泳いでいた。


 左手首に添えられているのは薙刀の柄。

 持ち上がる石突が拳撃の軌道を逸らすと同時に、肩に埋まっていた刀身が反転し右膝を横から薙いでいる。

 長物特有の【陰陽転換】。

 近接距離で棒術のように振る舞う攻防は本来、距離の有利と斬撃を旨とし柄部の断面が楕円形の薙刀が得意とする術理ではない。

 日馬の見落としは薙刀の柄の掴みにある。

 滝ヶ谷は刀身を前に差し出す三分の一程に柄を取っていたところを、陰陽転換の攻めの為に中央へと掴みを変えていた。

 それは必殺の一撃を加えながらも居着くことなく防御に備えていたことを意味する。


 日馬は、大いに満足していた。


 地に転がされ、三度目の上段振り下ろしが面を突き破り顔に迫る。

 右腕は動かず、左手に十手は無い。

 刀身は鼻先を斬り、歯肉を斬り、上顎を砕いて頬骨に到達していた。

 上がる血飛沫がポリカーボネートの内側を赤く染め上げていく。


 赤色の世界の中、日馬は快楽に酔いしれ人生最後の射精していた。

 脳裏に浮かぶのは父親の姿であった。




   ■■■




 赤色の景色。

 それが日馬琉一の最も古い記憶であった。

 それまでどうやって生きてきたのかもよく覚えていない。

 分かることは言葉を覚えるより先に物を殴ることを覚えさせられたことだけだ。


 その日、六歳になったばかりの琉一が眠りから覚めると、真昼のような明るさが出迎えた。

 しかし数秒でその異常に気付く。

 見上げる視線の先にはあるはずの天井が無く、代わりに透き通る夜空が見える。

 光源になっているのは自分の周囲、部屋そのものだ。

 まるで紅葉した草木のように激しく揺れる赤色の正体は炎であった。

 もはや見知った風景ではないが、赤く光る残骸に自室の片鱗を確認できる。

 火災だ。家が燃えている。

 奇跡的に生き残れる隙間にいた琉一は、瓦解する家屋からの脱出の為出口を求めて彷徨う。


 玄関へと向う廊下に差し掛かると二度目の奇跡が眼前に広がる。

 それは、炎がまるで脱出路を指し示すように廊下を避けていた事ではない。

 廊下の隅、積み上がる材木の下にあった。


「……た、たすけ」


 悲鳴を上げる物体は父親であった。

 焼け爛れる顔は両目が潰れ、精液のように白濁の液体が滴っている。

 降り注ぐ火の粉が、垂れ落ちる赤熱が、容赦なく衣服を貫通して皮膚を焦がしていく。


 父親は空手か何かの武術家だったように思う。

 少なくとも表の世界の居場所を失くした哀れな男であるのは間違いない。

 親が子に夢を託すように、自分が到達できなかった境地に琉一を連れて行こうと躍起になっていた。

 彼にとって手先の結合という遺伝子疾患は僥倖とも言える天啓だったのかも知れない。


 琉一は歓喜した。

 今はまだ六歳だが、十年後なら勝てる。

 父親を殺せるその日を夢見て隷属に甘んじていたが、こんなにも早くチャンスが訪れるとは思っていなかったからだ。

 琉一は教わったとおり、異形の拳を固めて目の見えない父親の前で構えた。


「……お父さん、少し早いですが今日の鍛錬をしましょう」


 下段突き。

 六歳とはいえ既に拳法家として完成した拳を持つ琉一の下段突きは、一撃で頭蓋を破壊し得る威力を持っている。

 或いは初撃で既に絶命していたのかも知れない。

 それでも琉一は止まらない。

 

「どうですか? 貴方の望んだ拳は。どうですか? どうですか?」


 殴る。殴る。殴る。

 炎の赤が粘着く赤で上塗りされていく。

 あんなに遠く、果てしなく強かった父が砕かれ、細切れになり、すり潰されていく。

 全てを武に注いだであろう人生が床の染みへと成り果てていく。

 儚く美しい人生の終着点には無情なる消失が待っている。

 この夜の奇跡は全て父の為に用意されたものであった。


「……おい。……何とか言えよ! おい! 返事しろよ!!」


 湿った床板を砕いた時、少年は産声を上げるように咆哮し、涙を流していた。

 初めて自分の意志で掴んだ人生の選択。


 少年は願う。

 いつの日か、父と同じように為す術のない運命の巡り合わせを感じながら死に行きたい。

 その日まで、その瞬間まで、天に与えられた拳で、父の命を染み付けた異能で、全てを叩き潰して生きていく。


 血煙燻る世界の中、琉一は喜びと悲しみで精通を迎えていた。




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