【紅涙】②
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少女は生傷が絶えない人生の中にいた。
主な原因は先天性の無痛症にあるが、性格にも大きな問題を抱えていたと言える。
恐怖心というものが著しく欠如していて、一度好奇心に支配されると自分に降りかかるリスクを予測できなくなることが度々あったのだ。
火を触ったり、かさぶたの奥の真皮に爪を立てたり、手にホチキスを刺したり、限界を超えて息を止めたり、舌を噛み千切ったりする。
度を越えた好奇心を発揮する少女、香集のことを、周囲の大人は『自傷癖のある子供』と認識していた。
転機が訪れたのは一九九五年、大規模地震災害後のある日。
家族を失った香集を養子に迎え入れた滝ヶ谷志津麻との出会いであった。
無痛症を患う者の寿命は短い。
痛覚のみならず温度感覚すら失う疾患は人体にとって最も重要な危険信号の喪失を意味するからだ。
生来の好奇心と相まって日常生活の中で容易に落命しかねない少女だと知った志津麻は、武術を以て香集を教育することにした。
それは狂気の沙汰である。
少女の対手に立ち、教えた技を自らの身体で受け止めるという常軌を逸した教育。
無痛症の香集に、痛みと恐怖心という概念を伝えられる唯一の手段であった。
滝ヶ谷志津麻は生来の武人である。
父親は爵位を返上した旧華族の出身で、終生髷を解かず、懐に短刀を忍ばせ腰に木刀を差して武士であることを貫いたという。
しかし滝ヶ谷家は家系の終着点で男児に恵まれることはなく、代わりに生まれた志津麻は、望む望まないに関わらず父親から武芸百般を叩き込まれることになる。
箸よりも先に刀剣を掴み、文字よりも先に型を覚える。
華道も茶道も裁縫も縁はなく、朝に夕に剣を振るうという武人としての鍛錬のみを与えられた。
虐待とも言える修練の日々を潜り抜けた末に剣豪としての人生を歩み、生涯土を付けたのは天覧試合の守山蘭道のみという女傑へと成った時、志津麻は自身の生き方を悔やんでいた。
時代の中で頑固を通した親を恨む気はないが、子供の可能性と女としての人生全てを失った道程に時代錯誤な歪みを感じずにはいられず、終戦を目の当たりにした志津麻は時代に取り残された想いをより一層強めていた。
縁談をすべて断り、結婚することなく貞操を守り続けたのは、歪みの結晶である自分が子育てなど出来ないと考えていたからである。
しかし死を待つだけの人生の終わりに香集を受け入れてしまった。
同じく死を待つだけの疾患を抱えた不憫な娘に親としての責務を果たさなければならない。
かつては『鬼小町』『虎淑女』とまで呼ばれた武人ではあるが、老齢の志津麻にとっては少女の一撃でも死に繋がる。
それでも避けず受け切る。
例え打突が急所に飛んできても、打点を逸らすことすらしない。
痛みを伝える為。
生命の儚さを思い知らせる為。
全ては少女を生かす為に、自らの身を挺して教訓を刻む。
歪んだ人生を歩んだ怪物が唯一伝えられることは言葉ではない。
数年に及ぶ決死の教育が実を結んだ時、志津麻は立ち歩くことも儘ならない破壊を受けていた。
香集は好奇心の向くままに義母を打ち据え、武人としての人生を終わらせてからようやく人の限界を知ることになる。
生まれてこの方、言葉では理解できなかった痛みというものを心で感じることが出来るようになった時、教えの中にある包み込む愛情に気付いた香集は、己の愚かさに恐怖して紅涙を絞った。
武道そのものとも言える人生の果て、偶々拾った小さな命を繋げる為に身を削り、手にした技全てを失った剣侠。
滝ヶ谷志津麻は愛する娘に罪悪感を残さないよう、床に臥しても豪胆な性格を損なうことなく気丈に振る舞い続けて生涯を閉じた。
そして滝ヶ谷香集は技を覚え、痛みと恐怖を知り、愛するべき人を失って、己に与えられた人生の意味を知った。
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痛覚というリミッターが無いことは、常人では無意識にセーブされてしまう人体の限界出力を意図的に出せるということである。
もちろん長所ばかりではない。
扱いを間違えれば筋肉の断裂や骨折に繋がる自殺行為となる。
――しかし扱えている。
日馬は洞察力と経験知識を組み合わせ、些細な疑問から浮かんだ予測を確信へと変えていた。
滝ヶ谷は無痛症でありながら戦いの中での自身の限界というものを把握出来ている。
出力の限界を知り、辛うじて身体が壊れない範囲の鍛錬を長年続けることで少しずつ人間の枠を外れていったのだろう。
世の中には筋肉の成長異常で生まれながら強靭な肉体を手にする者がいるが、度を越えた高負荷トレーニングでも血中ミオスタチンの抑制が可能である。
では何故、ボディービルダーのような筋骨隆々にはならず女体を維持できているのか?
それが最適だからだ。
筋トレで手に入れた身体ではなく、何千何万と型を繰り返し、立体的な薙刀の技に必要な筋肉だけを成長させた結果だろう。
「……美しい」
想いが飽和し言葉が溢れた。
痛みを感じない肉体を安易な強化に走らせず、水滴が巌を削る年月を以てして流派の化身とも言える芸術品へと進化させている。
同じくして先天的な身体異常を闘技へと進化させた日馬は、滝ヶ谷に対して自身へ向ける尊厳に似た敬意を感じずにはいられなかった。
日馬は神を信じてはいないが祈りを捧げたい気分になった。
堪らない破壊衝動が脳髄から背筋を伝い下半身へと流れていく。
負の特別を持って生まれ、気の遠くなる時間研磨し続けて裏返した奇跡の集大成を今から思う存分に破壊できる。
今大会における濃密な運命の巡り合わせに感謝し、人目を憚らず勃起していた。
小脇構えから空間ごと削り取るような横薙ぎが伸びてくるのを捉えた日馬は、遠心力の先端を避けるべく膝抜きで前進を開始する。
敢えて薙刀の技を存分に受け切ってみたい衝動に駆られたが、それでは純度が濁ってしまうことも分かっていた。
日馬は滝ヶ谷を敵として認め、闘いは相互の性能を振り絞る性行為へと移行している。
もはや試し合いではなく、全てが全力で必殺の愛撫でなければならない。
日馬は右の十手を逆手で握り、頭上を通り過ぎる薙刀の長柄を押さえ込むように鉤爪を絡めた。
遠心力を乗せたまま円軌道で次手へ繋げることを封じつつ、再度、柔術の圏内に踏み入る。
一度目は引き下がりながら脛を狙う薙刀の【抜き技】で対処されたが二度目は見逃さない。
無痛症攻略の糸口は不可逆な部位破壊にある。
狙いは足。
膝を破壊すれば痛みに関係なく立てなくなる。
撞木足で立つ滝ヶ谷の膝へ下段前蹴りを刺しても関節技として機能させることは出来ない。
日馬は躊躇いなく地に伏して足首を取りに行った。
足首をロックして踵を捻り上げるヒールホールドは筋力では抗えない。
袴から覗く白魚のような足先に飛び込み、万力のような豪腕が掛かろうかという瞬間、足を捻り折る暴虐性とは相反する思考のブレーキが掛かった。
「――ッ!?」
空を切る両手の感触に気付くと直ぐ様、前転で受け身を取って防御態勢に入っている。
滝ヶ谷は柔術技にも精通し膝関節を狙う意図を読み切って躱したのだろう。
敵と認めた相手ならば当然のことだ。
対剣術に特化する古流薙刀、それで満足し進化を止めるような間抜けな手合ではない。
しかし、日馬の視界のどこにも滝ヶ谷の姿は無かった。
どうやって躱したのかが理解できない。
眼の前には刀身を地に埋めた薙刀が直立しているだけである。
武器を捨てたのかと思えたが、その予想は即座に覆される。
眼の前の薙刀が動く。動いている。
直立しているように見えたのは円運動のその瞬間しか見ていなかったからだ。
持ち上がる刀身の軌道、円運動の支点は遥か上空に存在する。
日馬の予想を超える上方向への跳躍は長柄を利用した棒高跳びに近い運動であった。
異能異質たる滝ヶ谷だからこそ可能な術理に思わせたが、その技には名前がある。
操者自身の名を冠する上方向への抜き技、【霞車】。
滝ヶ谷志津麻の月山流は短剣、柔術を想定して長物が届かない足元を攻撃する術を持っていた。