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どろとてつ  作者: ニノフミ
第二十五話
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【紅涙】①




 師に続いて花道を歩む門弟、垂水(タルミ)悦子にとっては、全てがどうでもいいことであった。


 古流の薙刀術を覚えること自体、学生時代に習っていた『なぎなた競技』から続く趣味の範疇。

 偶々近所にあった習い事でしかなく、命を懸ける大会の覚悟など狂気の沙汰である。

 唯一の門弟として籍を置いていたが、大金を積まれなかったらセコンドなど引き受けなかっただろう。

 垂水は今更ながらに師を見誤っていたことを後悔していた。


 偉大なる剣豪、滝ヶ谷志津麻の月山流薙刀術を引き継ぐ養女、滝ヶ谷香集(カスミ)


 彼女の来歴を知らない者は地域にいない。

 他所から越してきた垂水がその事実を知ったのは入門して随分経った後である。


 滝ヶ谷香集は殺人者であった。


 巻き込まれた喧嘩で流派の技を振るい、他者を殺めている。

 垂水にわざわざ忠告してくれるお節介者の主観を省けばただの前科者でしかない。

 引き継いだ遺産の殆どを遺族への賠償で失った阿呆である。

 滝ヶ谷は「一生使う機会はないかもしれない古流だが、守るものの為なら迷いなく使う」と言う。

 しかし守られた者は滝ヶ谷を恐れるように転居していた。


 垂水は滝ヶ谷の行動は全て善意、信念から来るものであることは理解しているが、不器用な生き様の果てに散々な結果を残し続けている。

 それはそれで素晴らしいと在り方だと、ある種対岸の火事のように少なからず滝ヶ谷に惹かれるものを感じていた。

 

 だが、撃剣大会は違う。

 自ら進んで踏み入る死地は護身ではない。

 金銭欲か、或いは暴力を目的とした我欲を発露する野蛮極まりない場である。


 何故に、滝ヶ谷がこの場所に来たのか?

 垂水は理解出来ないが、言葉にすることは出来る。


 『流派の存続』。


 滝ヶ谷は養母の築き上げた流派を自分の代で終わらせたくないのだ。

 自ら貫いた愚直な生き方で失ったものを、今更必死に取り戻そうと足掻いている。

 自分の生き方を後悔している。


 ――そんな重荷、捨ててしまえばいいのに。


 垂水は意気揚々と歩む師の背中を眺めながら、心の底から彼女を憐れんでいた。




   ◆




 日馬琉一は後から入場してきた滝ヶ谷に苛ついていた。

 そこはかとなく、どうしようもなく、たまらなく、苛ついて奥歯を擦り減らしている。

 早く来る必要はないが、一秒でも遅れる愚鈍だけは許せない。

 他者の焦燥など無視して、自分を中心に世界が回っていると過信する傲慢は自己性愛ですらない。

 殺し合う程の間柄なら尚更だ。

 気配りと思いやりで相手を最高の一瞬まで連れて行こうという配慮こそが、彼我のナルシズムを満たす至高の作法である。

 ただ自分の欲望だけをぶつけようとする粗野な姿勢に呆れと殺意が湧き上がる。

 鬱屈とした思考が全身に広がりきったことを感じた日馬は無意識に、二対の十手を握る両拳を鉄塊の如く固めて飛び出していた。


 陸上競技の三段跳に似たステップを刻み、最後の踏切で宙に舞った時には二十メートル近い間合いが瞬時に詰められていた。

 滝ヶ谷は自身の身長を超える高さに浮かぶ日馬の巨躯を見上げて、笑っていた。


 全力で突進し跳躍するという愚作。

 素手の格闘技ならば押し切れるかもしれない。

 しかし武器術の場合、向けられる先端の圧力を高める自殺行為に等しい。

 滝ヶ谷は槍使いの小枩原泥蓮がそうしたように、石突を地に固定し、刃を返して先端を宙に浮かぶ日馬に向けて迎え撃つ。

 刀身六十センチ、柄部二メートル、薙刀術としては最長の九尺に迫る得物が日馬の目には一つの点として写っている。

 刃先が向けられるは日馬の胸部。

 前試合で幾度となく見せられた面防具の強度を考慮すれば、突き技の最大威力が出るのは道着と防刃繊維の守りしかない胴体部分に他ならない。

 観客の誰もが相対速度で串刺しになる未来を想起する。


 だが未来は変わる。

 中空に身を晒した後、胴体を狙われるのは簡単に予想出来ることである。

 日馬は胸部に置いていた右の十手に薙刀の刀身を絡めて顔の左側へと逸していた。

 十手の鉤爪で挟まれた刃は回転運動で固定され、剣尖の粘りでは対抗し得ない操作を受ける。

 間合いの広い薙刀の攻撃方法を限定する為の跳躍。

 日馬が着地した時には、既に刀身の届かない柔術の間合いであった。


 ――巻藁と変わらない。


 大振りの左フックを放つ日馬は勝負の終わりを悟る。

 滝ヶ谷の細身のシルエットは華奢な一般女性のそれと何ら相違ない。

 対するは岩石をも打ち砕く、生涯かけて磨き上げた珠玉の鉄拳。 

 女人の筋力では如何なる防御を取ろうと意味を成さないのだ。

 滝ヶ谷は遅れて引き戻した薙刀の柄で防御体制に移行していたが、日馬は柄ごと頭部を吹き飛ばす一撃を加速させていた。


 衝突の瞬間、轟音が響く。

 まるで鐘を突くかのような低い金属音。

 日馬の左拳は柄を保持する滝ヶ谷の右手の半分を潰して、そのまま留められている。

 折れるはずの薙刀は変形すらせずに必殺の剛拳を防ぎきっていた。


 日馬は絶対の信頼を向ける拳撃を止められた驚きよりも、滝ヶ谷の持つ薙刀の異常性に驚いていた。


 鉄薙刀。

 柄の部分をも鉄で作る鉄槍と同じく、総金属製の得物。

 九尺ともなれば重さは十キロは超える。

 それを普通の薙刀と変わらない速度で八相に持ち上げながら引き下がる女が眼前にいる。


 ――なんという筋力。


 日馬は滝ヶ谷と同じく間合いを離す選択をした。

 間合いを更に詰めて攻め続けるには相手が未知数すぎる。

 焦りで持ち上げる日馬の足先を刀身が通り抜けて、土埃を巻き上げた。

 タイミングの妙。

 偶然躱すことが出来たが、当たれば脛が圧し折れていただろう。

 しかし視界の中では尚も信じがたい光景が続いている。

 右八相から脛打ちで通り抜けた薙刀が、体の左側で円を描いて持ち上げられ、日馬の足が地に付くよりも速く遠心力の乗った面打ちが飛んできていた。


 直心影流薙刀術に於いては【風車】。

 月山流に於いては【水車返し】。


 咄嗟に両手の十手を頭上で交差させて留めた日馬は、伸し掛かる金棒の重みで腰骨まで縮みそうな衝撃を受け「うおっ!」と悲鳴に似た息を吐いた。

 何とか耐えることは出来たが、先手を押し返された状況。

 脳内に次々と浮かぶ疑問を処理する暇がない。

 薙刀に添えられる滝ヶ谷の右手は薬指と小指が在らぬ方向へ曲がっているが、骨格筋で強引に柄を握り込んでいる。

 滝ヶ谷の顔には汗一つ浮かんでいない。


 暫しの競り合いの後、薙刀を引き戻した滝ヶ谷は、右手を離して左手と左脇で柄を保持して相対した。

 縦横自在に遠心力を乗せた一撃を繰り出すための薙刀独自の構え、【小脇構え】。

 予め振り上げた状態で待つ剣術の八相や上段に近い攻めの構えである。 


 日馬は幾らか冷静さを取り戻していたが、鉄薙刀の一撃を防ぎ切れるかは測りかねていた。

 初手を十手で絡め取れたのは、ただ漠然と差し出された刀身だったからであり、振り回される先端を押さえるのは別次元の綱渡りである。

 そこには滝ヶ谷を強敵として認めざるを得ない大きな問題があった。


 女体に留めた異常なまでの筋力。

 指を折られても変わらない剣戟と、全く揺らがないメンタル。

 いくらかの無汗症を伴うその異能は八雲會で戦ってきた日馬にとっても珍しい事例である。


 向けられる視線の先で、静かに微笑みを浮かべる滝ヶ谷がいた。

 唇の隙間から覗く褪紅の舌先は、三分の一程が欠損している。




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