【生存】⑧
■■■
撃剣大会会場から少し離れた立体駐車場。
ボックスカーを改造した司令室の中、【特別高等班】の御島は一ノ瀬の報告に耳を傾けていた。
「春旗、小枩原の両名に聞いたところ、例の刀の買収に関しては特に不審な点は無いようです。ただ一つ、副次的な情報ですが、茎の部分に地図のようなものが掘られていたと小枩原不玉が証言しています。これに関しては春旗鉄華と守山流の守山為久も同様の見解を持っているようです」
「はっ、本当に宝の地図だったのかもしれないな」
例えそれが埋蔵金の在り処を示すものであろうと、全ては後の祭りである。
大会運営資金の出処に不確かな可能性を示しただけだ。
「あの~途中参加な手前、口挟むのもアレなんですが、どれを優先するかははっきりして欲しいっすね」
資料を眺めていた山雀は睨み付ける三白眼で御島を問いただす。
ここに来て、悪党が揃いも揃っている。
国際指名手配の極左。
非合法の闇賭博と殺人興行、その関係者リスト。
犯罪を生業とするカルト教団の実態。
そして、政界の汚職。
全ては大会を誘致した篠咲と能登原に繋がっている。
「我々のケツ持ちは公安だ。――が、即物的な話、まず金を押さえなければならない。非合法な活動をする以上、信用できるのはこの場にいる者と金だけだ」
「では……」
「能登原の身柄を押さえる。これだけネタが揃っているんだ。拉致しても大義名分はこちらにある」
特別高等班の面々は無言でハンドガンのチェックを始めた。
能登原はセキュリティに守られているが、訓練を受けた警察官の中でもエリートに位置する集団が『何でもあり』で動けば為す術はない。
目的の為に殺傷すら織り込み済みである警察庁の独立愚連隊が相手だとは予想もしていないだろう。
山雀は考える。
最善の一手を。
残念なことに作戦を指揮する御島は俗物でしかない。
金を得られるのなら能登原を懐柔する腹積もりだ。
目と鼻の先にいる悪党どもを見逃すのは山雀自身の存在意義に関わる問題である。
――ここでもまた独断行動か。
小さく溜め息を零してから、装備の点検を始める山雀であった。
■■■
「割符を譲ったと聞いているけど本当なのかしら」
『分からないな。ただ、割符持っている婆さんが試合直後から行方不明なのは事実だ。GPSでも付けとくんだった』
電話口の向こう側で呑気に話す由々桐に、能登原は抑えようのない殺意を感じていた。
割符すら持っていないとなれば生かしておく理由が完全に無くなったと言える。
「恐ろしく使えないわね、由々桐」
『行く宛は見当がついている。シロ教との交渉が終わったら捕まえに行くさ。で、この交渉幾らまで出せるんだ? 何なら能登原さんには同席して欲しいくらいなんだがね』
「同席は無理ね。常識的な範囲で纏めなさい。それがあなたの本業でしょう」
『……分かったよ』
――どこまでも小賢しい。
自身の執務室で試合を観戦していた能登原は爪を噛んで呪詛を吐いていた。
由々桐は負傷せずに試合を終える為、タオルを投げる合図を予め決めていたのだろう。
五体満足の上、場外では銃を携帯している。
気炎を吐いた男が惨敗した様に多少胸のすく思いはあるが、始末する難易度は依然高いままだ。
そしてもう一つの苛立たしい問題、能登原の眼前に立つ女が不敵に笑っていた。
「あ、電話終わったっすか? じゃあそろそろこっちの要求を言いたいんですけど」
木南一巴。
割符の情報を携えて接触してきた彼女は、赤軍幹部の百瀬夏子と春旗鉄斎の関係性を説明した上で、譲渡の交渉を提案していた。
発言に矛盾はなく、百瀬の失踪も合わせて真実味を帯びている。
しかしまだ真意は測り切れない。
彼女が小枩原泥蓮のセコンドであることを鑑みれば、狙いは篠咲との直接対決に他ならないが、それなら能登原に交渉を迫るのは意味がないことも理解しているはずだ。
「一応聞いてあげるわ。当然だけど、本物だと確認が取れない限り一円も支払わないわよ」
「分かってますよ。要求は二つです。まずは金。そうっすねぇ、欲張ると殺されちゃいそうですから十億でいいっすよ。随分安上がりでしょう?」
「もう一つは?」
「篠咲さんの棄権です。あ、これは奏井至方との対戦終わった後でいいっす。試合後さっさと安全な場所へ避難して欲しいっすね」
奏井至方の名前が出る辺り、残る割符の在り処も理解しているのだろう。
「解せないわね。貴方は篠咲の安全を気にする立場じゃないでしょう?」
「私と春旗さんは一叢流ではありません。友人を殺人者にしないよう妨害する意図で動いているっす」
「へぇ、貴方の口から出るにしては随分な綺麗事ね、木南一巴さん。もっと精液臭い、粘つく悪意かと思っていたわ」
「……」
木南の顔から笑みが消える。
それは能登原は能登原で敵対する者を調べ上げていたことを意味する。
現代でも血の濃さを重んじるという狂った一族の、誰の種かも分からない忌み子の人生など想像するまでもない。
友人などと言ってはいるが、その実、自分の人生を買えるだけの金を得ることが全てで動いている。
勝敗を先に知り、賭博で更に稼ぐことが目的だろう。
「残念だけどご期待には添えないわ。貴方達を信用するくらいなら殺して奪い取った方がマシなの。交渉相手を間違えたようね」
交渉の余地はない。
たかが十七歳の女子供。
単純な暴力で解決できる簡単な問題だ。
タイミングという点で春旗鉄華にも劣る間抜けである。
能登原は机の裏に設置してあるボタンを膝で押した。
話題の性質上人払いをしていたが、執務室前に待機するセキュリティ達はこういう事態にも対処できる裏社会の人間である。
拷問で命を天秤に掛けてやれば小鳥のように割符の在り処を囀るだろう。
「そっすか。まぁ、どっちでもいいんですけどね」
「はぁ?」
「私の役目はもう殆ど終わってますから。因みにそのボタン必死にポチポチしても何も起こらないっすよ」
言葉の意味を探る能登原の思考は、突如開け放たれたドアの音で中断された。
入室してきた面々。
その顔触れが目に入った瞬間、能登原は思考よりも先に身体が動いた。
「貴方達は!」
右手が懐中のグリップを掴み、身を捻る居合で銃を抜いた。
グロック17。
フルオートの改造が施してあり、一度トリガーを引けば一秒で屍の山を築き上げる。
リロード動作も二秒以内に行えるよう身体に染み込ませてある。
――まずは裏切り者から。
狙いを見知った眼帯の男に向けていく。
だが、トリガーを引くよりも先に手の内からハンドガンが滑り落ちた。
机の上にゴトリと鈍い音が響き、ハンドガンの傍では赤いマニキュアが塗られた指も一緒に跳ねている。
能登原は追認するように自分の右手を確認して気付く。
円盤状の金属片が中指を切り落とし、人差し指と薬指を半分以上切断して留まっていた。
それを木南一巴が投げた手裏剣だと理解する前に、再度刺す痛みが走る。
右手と右頬を貫く金属の針。
その末端から伸びるワイヤーは、キラキラと輝きながら木南の手元へと続いていた。
――テーザー銃、
刺さった針を中心に、ハンマーで殴り付けるような衝撃が全身に広がっていく。
能登原の意思とは無関係に筋肉が痙攣し、火花が弾けるように思考が明滅し霧散していった。
頬に張り付いたのが机だと気付いたが、首を持ち上げる筋肉が動かない。
どこからか声が聞こえる。
「敵をね、作りすぎっすよ。バカでしょおばさん。全員が組んだらどうなるか考えてなかったんすか?」
入室してきたのは、由々桐とシロ教の連中だ。
利害の一致する間柄だが目的も存在意義もそれぞれ違う。
――間を取り持つ手引きをした者は?
それは考えるまでもなく理解できていた。
「やぁ能登原さん。悪いが裏切るのはお互い様ってことで一つ納得してくれよ」
「……」
喉が震えて声も出せない。
或いは呼吸すらままならないように感じられる。
能登原は朧気な思考の中でなんとか答えを積み上げた。
電流値の高い改造テーザー銃は、相手の生命を考慮しない殺傷兵器である。
交渉の余地もなく、うっかり殺してしまってもいいという制圧方法。
連中の優先目標は金ではなく、篠咲を孤立させることで一致している。
能登原は怒りが脳を覚醒させるのに期待したが、燻る感情はあっけなく靄掛かる思考の泥濘に沈んでいく。
悔しさで目元から涙だけが流れていた。
滲む視界の中、感覚のない指が持ち上げられスマートフォンに添えられるのが見える。
――許さない。
もはや出来ることはなく、この先は最後の保険と篠咲の機転に期待するしかない。
――もし、目覚める事が出来たなら、ただの一人も残さず殺し尽くす。親族、友人、関わる者から殺して生首を食卓に並べてやる。
能登原は欠けた指に関連付けて憎しみ記憶し、暴力のように押し寄せる眠気に抗いながら意識を閉ざしていった。