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どろとてつ  作者: ニノフミ
第二十四話
102/224

【生存】⑦

   ◆




 予備動作の音という確実な先を抑えられたことを知らない犀川は、アウトファイトを徹底する由々桐を捕捉するべく深く踏み込んだ。


「大人しく犯されとけよ! 片目野郎ッ!」


 吠え猛る犀川は、避けるであろう予想位置を目指して突進する。

 人間は後退に特化した身体ではなく、深く前に出れば必ず追い付くことが出来る。


 ――が、その意図すら由々桐には見えていた(・・・・・)

 間合いの外を捉えようと無理な前進をする時、それはアウトファイターにとってカウンターを放つ絶好の機会である。


 由々桐は剣尖を突き出して前進していた。

 後退するとばかり思っていた犀川は虚を突かれ、急遽踏鳴で地を叩き、切っ先を避ける為スウェーバックで上体を反らす。

 それでも間に合わない。

 喉元に刺さった突きが気道を圧し潰していく最中、犀川は刀から右手を放して由々桐の刀身を掴む。

 西洋剣術家が見せた防刃服を利用する白刃取り。

 大会ルールに守られた防御法を使わざるを得ない醜態に狂おしいほどの羞恥心を感じながら、残る左手を大きな外回りで振り始めている。

 近接距離で右眼の死角に回り込みながら左手で大振りのフックの軌道を辿れば確実に見えない。


 ――見えないはずの打突を、由々桐はまたも先読みの後退で躱していた。

 刀身を掴む犀川の手に力が籠もるほんの一瞬手前、視界の外で聞こえた小さな衣擦れ音が続く攻撃を明らかにしている。

 余りにも優位性を示す聴力に笑みが零れた由々桐は思わず言葉で口にしてしまう。


「悪いな。一対一の戦いだと、想像以上にミスしようがない」


 視覚以上に物が()える。

 金網はあっても、場内には広大な逃げ場があり、アウトファイトスタイルの有利は揺るがない。

 時間による判定勝ちは無いが、手足の末端から少しずつ破壊していけば犀川の筋力など恐れるに足りない。

 直情的な性質を利用して言葉で煽り続けて疲弊を狙うのも悪くないと思えた。


「……」


 由々桐の煽りに暫し押し黙る犀川は、感情を爆発させるように大きく息を吸う。

 また呪詛めいた淫語を撒き散らすのかと思われたが、発せられた声は由々桐の予想を覆すことになった。


「キエェエエエエエエエエエエエエエエエエエエイッ!!!」


 咆哮。

 吠えるのではなく吼える。

 空間を震わせる音の波を最も近くで受けた由々桐は、呆けたように立ち竦むしかなかった。


「……ふむ、耳か。面倒な奴め」


 自顕流の剣客が使う猿叫を実行した犀川は、対手の反応を満足そうに眺めてから、おもむろに道着と袴を脱ぎ始める。

 面防具も外した全身黒タイツの相手が対面に立つのを、由々桐は遠間で眺めることしかできない。


 ――辿り着けるわけがない。


 視覚を超える聴覚を持つという異質に気付き、衣擦れの音を最小限にする為の脱衣。

 もしかしたら、という小さな疑問が浮かぶことはあっても、死闘の中で確信にまで辿り着くことなど普通ではないのだ。


 由々桐には知り得ない事実がある。

 異能、異質ということに関しては人材の宝庫とも言える闘技場が存在すること。

 そんな地の底の闇試合で勝ち続けた男が相手だということ。

 犀川にとって聴覚に頼る手合は初めてではないということ。


 由々桐は事前に犀川の情報を得ているが、それは流派を代表するごく普通の古武術家を超えるものではなかった。 

 ここに来て能登原から貰った犀川の情報が全くの誤りであったことに気付く。

 明確な裏切り行為。

 試合後すぐにでも襲いかかってきそうな能登原の殺意を感じさせるには充分である。

 能登原とはいずれ敵対する覚悟でいたが、向こうから仕掛けてくる可能性を軽視していた。

 殺意が籠もったトラップを踏み抜いてしまった愚を今すぐ修正しなければならない。


 思考が錯綜する由々桐に犀川が有無を言わせず迫る。


「キェェエエエエエエエアアアアア!」


 会場全体に響き渡る音の爆発を受け、由々桐の脳内映像は砂の絵のように崩壊していく。

 右側に回り込まれると、もはや踏み込みが深いのか浅いのかすら判断できない。


 ――ならば、躱す。


 由々桐は左手で鞘の下げ緒を解きながら、読み合いを拒否すべく後退を開始する。

 同時に腰帯から解放した鉄鞘を見えない前方へ射出した。

 間合いを離すべく斬り下ろしを振りかぶる由々桐は、ようやく左眼で犀川を捉えることが出来た。


 先に投げた鞘は犀川の頭上を掠めている。


 ――腰から水平に投げたはずの鞘が頭上へ、


 由々桐の思考が寸断される。 

 上げた両手の間を突き抜ける刀身が喉垂れに埋まっていた。


 面打ちの起こりを捉える下段からの突き技、【虎逢(とらあい)剣】。


 身を伏せる程充分に溜めた一撃は頚椎を圧し折る威力を持って放たれていたが、幸運にも由々桐は首を捻って勢いを受け流せていた。

 左眼を中心に置くスタンスに移行する最中の突きであったことが命を拾い繋げでいる。


 それでも、もう後退はできない。

 この先の攻防は一方的なものになるであろうと予想する由々桐は、刀身を体に引き寄せて筋肉を硬直させて構えた。


 引き戻した柄部に犀川の膝蹴りが刺さる。

 テコの原理で刀身を小さく前に振り下ろし、面防具を外した犀川の額を斬った。

 だが止まらない。

 見えない右側から飛来する大振りのフックが側頭部に激しく打ち付けられる。

 今度もスリッピングアウェーで躱した由々桐は大きく左側を向くことになり、本格的に詰みの気配を感じていた。


 完全に視覚を失った由々桐を前に犀川は仕上げの足絡みを狙う。

 試合開始直後に想像した通り、押し倒して一方的な蹂躙を開始すべく互いの足を交差させる程深くに踏み込んだ――


 と、同時に犀川は手を止めていた。


 思考の裏側でけたたましく鳴り響く音がある。

 それは犀川の猿叫すら上回る轟音で場内を切り裂き、新たな敵を想起した犀川は追撃を止めざるを得ない。


 謎の音で固まる犀川を尻目に視界の端でゆっくり立ち上がった由々桐は、何事もなかったかのように犀川の横を通り過ぎて、投げ捨てた鞘を拾って納刀していた。


「……お、おい」


 勝利の一歩手前、快楽の瞬間を寸止めされた犀川は情けない声を由々桐に向けるが立ち止まる気配はない。


 試合に割り込んできたブザー音は試合終了を告げる合図である。

 由々桐のセコンドがタオルを投げていたことに犀川が気付いたのは、立ち去る由々桐が控え室へと続く通路の向こうに消えた後であった。




   ■■■




「ふっざけんなァ! 野村のクソゴミインポ野郎が!」


 場内では一旦納得したものの、控え室に戻ってからまた激情を撒き散らす犀川がいた。

 ソファを持ち上げてサイドテーブルに振り下ろし、刀でシンクや冷蔵庫を何度も斬りつけ破片を撒き散らす。刀身が折れると今度は拳で壁のコンクリートに穴を開け始めている。

 傍らに佇む黒服の男、三矢谷は無言を貫き通していた。

 この状態の犀川を説得する方法など存在しない。

 口を開くことすら赤旗を振って暴れ牛の前に飛び出す行為になることを熟知している。


 それでも問題はない。

 裏賭博の運営も八雲會の手中にあり、一般人も混ざる今大会の賭けでは会員のアドバンテージの大きさを示すことが出来た。

 迷うことなく特別闘技者に賭けた会員は労せず大きな富を得たはず。

 それを鑑みれば犀川の横暴など些細なことだ。

 勝者は法を超えた自由を手にすることが出来る。

 全てを納得して八雲會を招待している主催者側も黙認するだろう。


 ――まだ足りない。


 三矢谷は思う。

 もっと誰の手も付けられない程の暴走をしてもらわないと。

 犀川は狂っているが、欲望に素直であるが故に優先順位まで見失うことはない。

 彼の最大のプライオリティは日馬琉一にある。

 だから野村の棄権を受け入れるしかなかったのだ。

 今も無軌道に暴れてはいるが試合に必要なセコンドまで手にかけることはしない。

 どこまで行っても鎖の繋がれた忠犬のままである。


 ふと手を止めた犀川が唯一無事なモニターを見つめていた。

 次の試合は日馬の出番である。

 日馬も頭のおかしい殺人者であり、普通に考えれば相手の女武術家に勝ち目など無い。

 やる意味すら無いと思われる消化試合。

 滝ヶ谷という女が多少の善戦をしてくれれば犀川の火も燃え上がるかもしれないがあまり期待できたものではないだろう。


 三矢谷は求める。

 薪を焚べる方法を。油を注ぐ方法を。

 ただ口を開けて待っているだけでは不十分。

 犀川と日馬がトーナメントでぶつかる前に八雲會の存続に関わる問題を起こさなければならない。


 八雲會の抱える闇、会員名簿という決定打を売り込む相手を探していた。




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