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どろとてつ  作者: ニノフミ
第四話
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【怨嗟】①




古武女(こぶじょ)かお前は」


 隈掛かった目を気怠げに細めながら泥蓮はぼやいた。


「こぶじょって何ですか?」


 鉄華は部室の資料を並べて読みながら、要点を纏めて自分のノートに書き写していた。

 窓を打つ雨音は激しさを増す一方で、時折校舎の隙間を通る風が笛の音を上げたり、遠雷の低音が大気を震わせたりしていた。室内に籠もる湿気は肌着の隙間を粘つかせ着心地を悪くしていく。

 時節は六月。日本列島は梅雨前線の真っ只中にあった。


「古武術女子、略して古武女だよ。来る日も来る日も伝書読み耽りやがって。他にやること無いのかよ」

「いや、だってここ古武術部ですし……」


 入学から三ヶ月間、鉄華はひたすらに座学を続けている。――というより、それしかすることがなかった。

 出来れば実際に誰かを相手に技を試したかったが、他の部員と顧問には「やる気がないから」という理由で尽く断られていた。

 先代部員の遺産であるレポートのお陰で幾つかの流派を学べてはいたものの、文字と絵だけでは覚えているという実感がまるで湧かない。


 ただ、あの日に篠咲から得た情報である守山蘭道という人物については色々知ることが出来た。


 明治初期に生まれた蘭道は幼くから剣術・柔術を学び、神道無念流の道場を任されるまでに成った後も足繁く各地の流派を訪ねてその殆どを修得。

 同時期に学校教育に組み込む武術の制定に関わり近代剣道の基礎を作り上げた。

 第二次世界大戦中は軍刀術の指導教官を勤めて、戦後は戦犯容疑者として収容されたがすぐに無罪釈放。その後は剣を捨てて隠居生活を送る。


 彼の評価を剣神、剣聖と呼ばれるまでに押し上げたのは、宮内省主催で行われた天覧試合という催事に由来する。

 大会は当時としては画期的なトーナメント形式を採用し、その結果も含めて全国紙で大きく報道されていた。

 警官や軍人といった職業剣道家や、流派名を名乗る剣術家までが群雄割拠する中、優勝したのは六十歳という還暦を迎えた守山であった。

 廃刀令から銃器の普及も進み、もはや誰もが懐疑的に思っていた古武術の神話性を公の場で体現した伝説的人物である。


 一方で、鵜戸水泉という刀工としての側面はどんな資料を探そうとも記載はなく、その全ては謎に包まれていた。

 終戦から逮捕されるまでの期間に彼が打っていた刀を何故祖父が持っていたのか?

 繋がりがあるとすれば、祖父に剣術を教えたのが守山である可能性が高いのだが、しかしこの推測は篠咲の言葉以上の情報が無いので信憑性という点で疑問が残る。

 当然母親も祖父の剣歴は全く知らないのでそれ以上の進展はなかった。


「私らと違って鉄華ちゃんは真面目なんすよ。やる気があるのは良い事じゃないっすか」


 机の上に並べた手製の手裏剣らしきものを砥石で研ぎながら一巴は泥蓮をなだめた。


「お前も十分ガチってるけどな。何だよその刃物は。銃刀法って知ってるか?」

「いやだなデレ姉、これはダーツみたいなもんっすよ。いわばパーティーグッズっす。ほら見てくださいよ、これなんかタングステン製の特注品っすよ。車のドアくらい余裕で貫通するんですから」

「どこのパーティーで使うんだよ。狂ってんのかオメーは」


 恍惚とした表情で十字手裏剣を磨く一巴は狂気を滲ませて舌舐めずりした後、ふといつもの表情に戻り「とはいえ、」と穏やかに続けた。


「周りに流されないというのはとても重要な事っすよ。集団というのは常に正しいわけじゃないっすからね。共依存だったり怠惰だったりするなら尚更っす」


 手裏剣のくだりをウヤムヤにして褒められるのは少し引っかかりを感じる鉄華だが、話自体は共感できるものがあった。中学時代の剣道部を思い出していた。


「例えば災害やテロなんかが起こった時に集団でいると逃げ遅れるという事例も結構あったりするもんなんです。皆がいるから安全、まだ大丈夫、という同調性の先入観が発生しちゃうんすね」


 毎回のことだが一巴の薀蓄はどこか達観した視点を持っていて、恐らくは体験談ではないだろうかと鉄華は勝手に想像していた。

 過酷な人生を送ってきた結果、忍術というサバイバル術に帰結するのは至極当然のようにも思える。


「しっかりと自分の軸を持って立ち位置を見極めるのは武術にも通ずる基本っす。鉄華ちゃんは大したもんです。ご褒美に新作の兵糧丸をあげるっす」

「いえ、結構です」


 短い付き合いではあるが、木南一巴は何かにつけて保存食を制作し部員に毒見役を押し付けることを知っていた鉄華は、反射的に断っていた。

 前回出されたジャムと味噌入り丸薬の味は思い出すだけでも喉から込み上げてくるものがある。


「いやいや、今回のはかなりの力作っすよ! 現代の栄養学を参考に糖質脂質タンパク質各種ビタミンを加え、その上で食べやすいスティック状に固めて焼き上げてるんすから! っああ! 自分の才能が恐ろしいっす!」


 そう言いながら冷蔵庫から取り出したのは、クッキーのように成型された小麦色の焼き菓子であった。


「……これ、もうカ○リーメイトでいいのでは……」

「カロリーメ○トだな。なぁイッパ、これいくらかけて作ったんだ?」

「……」


 鉄華と泥蓮の率直な感想に一巴は黙り込んだ。

 その重い沈黙は部活が終わるまで続き、ただ雨音だけが室内に響き渡るのであった。




■■■




「でね、そのあらすじだけ見た副部長が言うわけよ。『また人が死んで感動する話っすか? 泣けますか? もう飽きたわー。泣ける話とか暴力と同じだわー』ってさ。いやいや、ちょっと待てよと」


 部活終わりに合流した鉄華と曜子は、中間考査の打ち上げということで一緒に映画を観てからファミレスでパンフレットを広げて余韻に浸っていた。


「だって人はいつか必ず死ぬわけじゃん。人間ドラマの最後に死の喪失感があるのは当たり前でしょ。話の中で最後まで書き切るか、後日談を受け手の想像に丸投げするかの違いでしかないと私は思うのよ。死ぬ場面だけ切り取って文句言うのは違うっしょ。百二十分という限られた時間の中で、全力で生きて燃え尽きるという凝縮した人生を見せられるからこそ感動があって、それ故に死の喪失感が生まれるのよ! もうぜんっぜん伏線を分かってない! ダメダメなのよ! あんな奴に面白い漫画描けるわけないじゃん!!」


 漫研での出来事を語る曜子は段々と語気が荒くなり、揺れる机に合わせてグラスの中で灰色の液体が揺れていた。

 やがて周囲の突き刺さる視線を感じ取って冷静さを取り戻し、軽く咳払いしてから恥ずかしげに着席した。


挿絵(By みてみん)

 

「……なんか熱くなっちゃった。ごめんごめん」


 そう言うと曜子は顔を赤くしながらグラスのストローを吸い上げた。ドリンクバーで数種類ミックスした最強のエナジードリンクということらしい。

 鉄華の想像以上に曜子は本気で創作活動に臨んでいた。周囲に流されやすいように見えてちゃんと自分の軸を持って生きている。彼女の方が一巴言うところの自立した個人によっぽど近いと鉄華は思った。


「あーもーこんなことなら私も鉄華ちゃんとこ入っとけばよかったな~。ぶっちゃけ漫画なんて部活入らなくても描けるし、そっちの副部長さん超面白そうだし。話聞かされる度にマジの忍者としか思えなくなってくる」

「いやいや、やめといたほうがいいよ。なんか想像以上に闇が深そうだから」


 一巴だけではなく、泥蓮に関しても闇の部分が今だ見えてこない。古武術に精通しながら、一体いつどこで学んだのか全く不明な二人である。

 泥蓮の使う一叢流に関して調べてみた鉄華であるが、特定に繋がる情報は一切出てこなかった。

 しかしながら一子相伝で秘匿され続ける古武術は今も多く存在し、故人の葬儀の場で家族がその存在を知るという事例も少なからずあるようで、分派で名前を変えたり、口伝のみの継承であったり、失伝からの復活であったりと、古武術体系の全容を追うことは不可能に近い。


「なになに? 闇が深いとか私気になっちゃうんですけど~」

「んー、何て言えばいいんだろう。すごくさ、物怖じしないというか、修羅場や暴力に慣れている感じがある」

「あ、遠慮します。ヤンキーまじ怖い」

「ヤンキーじゃないよ。むしろ温和な常識人って感じで、でもたまに闇を感じる……」

「なにそれ。完全に黒幕ポジションのキャラじゃん。絶対重要な場面で裏切られるよ。気を付けないと」


 頬杖をつきながら謎の忠告をした曜子は、急に何かを思い出して「あー、そういえば」と目を見開いた。


「部長の小枩原さんって三年の間じゃ結構有名人らしいよ。剣道部のお嬢様やなぎなた部の主将も返り討ちにしているとかで、刃女の裏番じゃないかと噂されてんの」

「ああ、そうなんだ……」


 世界三位の警察官と鉄華自身も倒されているということは伏せてしまう。

 泥蓮のエピソードを並べると全てが暴力で埋め尽くされるような気がして、二人の先輩に続く自身の評価にも影響しかねないと判断した。


「大丈夫だよ? 鉄華ちゃんは道を踏み外したりしないって知ってるんだから。あなたは私のヒーローなの」


 鉄華の心中を察した曜子が微笑んでみせた。

 鉄華は時折、彼女が向ける安心や期待に困惑することがある。

 もしそれが過去の剣道の戦績に由来するものであるなら、今ではもう応えることが出来ない期待だ。

 剣道部の最上歌月のように諦めや失望を言葉にしてくれた方がまだいくらか気が楽になる。


「ところで曜子は夏休みなんか予定あるの?」


 違和感を振り払うように話題を変えてみた鉄華であった。


「ん~私は前半はコミケで、後半は……中間考査の補習……デス」

「あぁ……」


 変えた話題にも地雷があった。

 担任教師が言うには、受験の閉塞を抜けた先の高校デビューで一気に成績が落ちる生徒は多いとのことであった。

 鉄華は全教科平均点をキープしていた。下から這い上がってきた者は気を抜く暇がなく、曜子には失礼だと思いつつもウサギとカメの童話を連想してしまう。


「鉄華ちゃんは予定あるの? というか古武術部で何かやったりしないの?」

「そんな話聞いてないしなぁ。多分家でゴロゴロしてると思う」

「ずるい! 世の中不公平だ! 私は現代教育の在り方に疑問を呈するね! 画一的に記憶力を試すのではなくもっと個性を伸ばせと!」


 嘆く曜子に対し、「私ごときでよろしければ勉強お教えしましょうか?」とドヤ顔になる鉄華であった。





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