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空の匂い

 気象会社での私の仕事は、衛星画像を整理することだった。

「神戸さん、君はどう思う?」

 リーダーが台風の進路について尋ねた。

「たぶん、下からの高気圧に押されて、太平洋側に進路をとりながら紀伊半島に上陸すると思います」

「極めて表面的な検討だな。この上にある小さな低気圧の影響まで検討してないね」

 アルバイトの時は優しかったグループリーダは、意地悪な言い方で私の意見を一蹴して去って行った。

「厳しいね」

 二年先輩のコータさんが、紙コップのコーヒーを飲みながら私の右肩を叩き慰めてくれたが、私は今でも右肩を触られるのが好きじゃなかった。

「もう、アルバイトじゃないですから」

 私はコータさんの手から逃げるように体の向きを変え、もう一度衛星写真を見直してみた。

「まあ、実際は朱里ちゃんが言うように、紀伊半島から上に上がるルートだよね。

 山科リーダーが意地悪なのは、他に理由が有りそうだけど」

 コータさんは、意味ありげに笑うと「帰りに食事に行こうよ」といつものように誘ってきたが、私はいつものように「また、今度お願いしますと」断った。

 山科さんが私に気があるいう噂は少し聞いていた。

 三十五歳でバツイチの背も高い山科さんはモテと思う。なにも私みたいな地味な女を好きになる必要などない。だから、その噂は嘘だと私は思っている。

「朱里ちゃん、ときどきメールを見てるじゃない。彼氏から?なんか、見るつもりはなかったんだけど、手帳に張ってるプリクラも山科さん気にしてたよ」

 コータさんの話はいつも気分が悪くなり。仕事の話がいつも誰かの噂話にすり代り、最後は自分の自慢話で終わる。

 だから、コータさんが近づいてくると上手に席を外す人が多いのだが、私にはそんな器用な術はない。

 ましてや、今日のように自分のプライバシーにづけづけ入ってこられると、本当に腹が立つ。

 

 昔から、自分ではどうしょうも出来ないことが起こると、貴之からのメールを読んでしまう。携帯からスマホに機種変更しても、消すことが出来ず移動させてしまう。

 そこには、いっぱい大切な言葉がつまっている貴之のメール。

『運命は生まれる前から、決まっているんだ。僕たちの運命はきっと何千年も前から決まってる』

 私がいま、こんなに苦しいのも運命?いつも貴之に聞いてしまう。

 そして、中学三年のときに二人でとったプリクラは、手帳が変わるたびに、裏表紙に隠すように張り替えられる。

 それは、私にとって名前を書くのと同じぐらい自然なことに思えた。

 

 台風は私の予想と違い上からの低気圧と、新たに発生した台風によって迷走を続けた。

 私たちのチームは衛星写真と過去の資料を並べ、今後の予想進路を発表する準備に追われる。

「どうだ、神戸」

 山科さんは、いつものようにボールペンをクルクルと回しながらせわしなく気象図の上に予想円を書き始めた。

「予想がつきません」

 適当な回答で怒られたくなかった私は、さんざん悩んだあげく、正直に答えた。

「神戸、俺たちがしてるのはただの天気予報じゃないんだ。命に係わる問題なんだ。いま、台風の近くを航海している船にとっては、一刻も早く進路から遠ざからなきゃいけないんだぞ。その覚悟がないなら、このチームにはいらない」

 その顔は見たこともないほど厳しかった。

「この下の台風が勢力を強めた場合、偏西風の影響で今までとは違い、こっちのルートが考えられます」

 私は必死で衛星写真と過去の天気図を見比べ、自分でも驚くほど大きな声を出していた。

「あるね」コータさんがパソコンで風速を観察しながら、予想移動円を導き出した。

「よし、あまり良いことではないけど、何種類かの予報を出そう」

 それは、予報士としてはしたくない決断だった。

 

 空が見たくて屋上に行ってみた。

 まだここからは、台風の雲は見える訳がない。

それでも、私は空を眺め、匂いを嗅ぐ。昔、貴之がしたように。

「空の匂いか」

 深呼吸をする私に、後ろから声をかけてきたのは山科さんだった。

「空の匂いを嗅いでみろ。昔、先輩に言われたけど、俺は信じなかった。衛星写真、気象図、過去のデーター、事実だけを積み重ねるのが予報だと思ってる」

「そうですね、私たちは科学的に仕事をするべきですよね」

 私も山科さんと同じ意見だ。それでも、雲を見てしまうのは、その先に宇宙があって、その宇宙には貴之のいう運命があると思ってしまうから。

「でもさ、雲を見ている君は好きだよ」

 山科さんは、それだけを言うと、また大きなため息をついて戻って行った。

 台風は私が予想したルートを辿り関東に甚大な被害をもたらした。

「今回は朱里ちゃんのお手柄だね」

 ひと段落ついた私たちのチームは居酒屋で慰労会を行った。酔ったコータさんは何度も、そう言って私を困らせる。

「そうだな、神戸は雲と仲がいいから」

 お酒が入った山科さんは、目じりが下がりとても優しい顔になる。

「雲だけじゃないですよ」

 コータさんは、また要らないことをいいそうになると、山科さんが「飲めよ」と言ってチュウハイを飲んでいるコータさんにビールを注いだ。

 チュウハイにビールを注がれたコータさんは、驚いて言葉を失ったようだ。

 珍しく酔った私に、山科さんは「ごめんな、きつい言い方ばかりして」と小声で言った。


私は十二歳年上の山科さんに恋をしていた。

 それは、大学の時に付き合った彼とはまったく違う恋だった。

 入社して1年が過ぎ、また夏が来て入道雲がビルの谷間に現れる。

 山科さんと二人で残業をしているときに食事に誘われた時は、コータさんの時とは違う理由で躊躇った。

 このまま恋をしてしまうのが怖かった。もう、しばらくは恋をしないと決めて彼と別れた。そのことを知っているのは、スマホの中の貴之だけだ。

「近くのハンバーガーショップだよ」

 躊躇う私に山科さんは笑って誘ってくれる。

 山科さんについて行ったハンバーガーショップは、マックともロッテリアとも違い、輸入ビールやワインが飲める店だった。

「上手いんだぜ、ここのアボカドチーズバーガー」

 ライトが落ちた店内で、山科さんはビールとハンバーガーを食べ、私はフレッシュジュースとアボガドバーガー、それにオニオンリングを頼んだ。

「来月、チーム編成が変わる。お前は俺とは違うチームになると思うけど、もう大丈夫だ」

 山科さんのチームは主に海洋関係に情報を流していたが、今度、私が異動するチームはテレビ向けの情報をまとめるチームだった。

 中にはお天気お姉さんもいるが、地味でスタイルも良くない私には、そのチームは居心地が悪そうだ。

「嫌です。って言っても駄目なんですよね」

「駄目だね。だいいち俺が決めることじゃない。でも、良かったと思ってる」

「私には海洋系は向きませんか」

「そんなことは、まだ分からないけど、一年間、しっかり教えたつもりだから、新しいチームでまた鍛えられるのはいいことだ。

これから、気象はどんどん進化する。衛星の精度も上がってくるし、いずれ宇宙観測衛星の利用だって出来る日が来る。

その前に、神戸にはいろんなことを学んで欲しい。そして、またいつか一緒に仕事をしよう」

『またいつか』その言葉が心に響いた。

前の彼も「またいつか会える時が来たら、その時は昔話をしてくれよ」と言った。

 貴之は「僕たちが離れ離れになる時がきても、きっとまたいつか出会う。そして、どんなに離れていても、僕はきっと朱里を好きだ」

 男はみんな「また、いつか」と出来ない約束をする。

「約束はしません。また、いつかの約束はしないことにしてるんです」そう言いながら、貴之の顔が浮かんだ。



 


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