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太陽のイラスト

 浪人をしてまで入りたかった大学は、海の近くにあった。

 そして、入学式で赤い傘を持った女の子を見かけた時は、すぐにそれが沙世だと分かった。

「同級生になったんだね。今日は雨は降らないよ」

 肩まであった髪は首がすっかり見えるほど短くなり、少し明るい色になっていた。

「こんいちは。これは私のお守りです」

 僕と歩いた駅までの道でも、沙世はそういっていたのを思い出した。

「何学部?」

「経済です」

「そっか、少し残念だね」

 僕が入学した宇宙工学部と経済学部は離れていて、最寄駅さえ違っていた。

 それでも、沙世とはとはよく食堂であった。

 沙世の通う経済学部から工学部の食堂は離れているのだが、沙世は「ここのうどんが美味しいんです」と言ってよく来ていた。

 経済学部の食堂に行ったことがない僕は、その違いを実感することはなかったが、僕もよく沙世に付き合ってカレーうどんを食べた。

 この大学に入ったのは、気象衛星を打ち上げる実験に熱心だったからだ。

 小さな衛星から送られる地球の画像を見ると、この星に僕や沙世そして朱里が生きていることが現実ではない気がした。

 青く丸い地球の上を流れる白い雲。それはどんな風景よりも美しいと思う。

「気象や軍事を目的に衛星を飛ばしているけど、今は宇宙そのものの観察をするために衛星を飛ばしている国もあるんだ。

 宇宙開発は今すぐ何かの役に立つわけでも、宇宙の始まりをしったところで、なにも僕たちの暮らしは変わらない。だけど、宇宙をしることは、運命を知ることだと思うんだ」

 僕はきつねうどんを食べる沙世に、そんな話をした。

 宇宙工学部の仲間は、運命なんかに興味はない。だから、僕はこの話を誰にもしたことがなかった。

 なのに、上手に麺をすすれない沙世に宇宙と運命の話をしていた。

 それはきっと、沙世が赤い傘をお守りだと言ったからだと思う。

 縁起を担ぐことを人はよくする。特に勝負事の時には右足から靴を履くなど、成功体験からくる縁起ごとだ。

 でも、沙世は違った。

 自分が生まれた時に、その傘はすでに自分のものだったのだと教えてくれた。

「どういう意味?」

 僕はメルヘンチックな話が好きな方じゃない。でも、その話には興味をもった。

「赤ちゃんのときに、私の枕元には赤い傘があったんです。もちろん、今もっているのとは違うんですけどね。

 私が生まれる一週間前に亡くなった祖母が、私のベビーベッドに置いて『悲しいことがあったら、この傘をさしなさい。傘の中なら泣いても誰にも気づかれないからね』そう言ったそうです。

 これは、記憶違いだと言われるんですが、私はその言葉を覚えてるんです。生まれてもいないのに」

 極めてオカルト的な話だが、もしも宇宙で生命が生まれ地球に降ってくるのだとすれば、その途中で誰かの話を聞くことが出来るのではなか。

 体内で成長しているのは頭脳を含めた肉体で、魂という言葉は好きではないが、その核となるものは肉体が完成したあとに注入される。そうは考えられないだろうか。

 僕がぼんやりと信じている運命の設計図にその話は新しい見解をもたらした。

 だから、僕は沙世に僕の話をした。

 沙世はその話を真っ白なノートに書きとめると、嬉しそうに鞄の中にしまった。


 

 半年が過ぎ、夏休みの前に、僕は小さな手を一生懸命動かす沙世からペンをとりあげると、

『付き合ってくれませんか』とノートの端に書いた。

 突然の告白に、沙世はしばらく口を開けていた。

『ほんとうですか?』

 沙世は鞄から違うペンを出すと、赤い文字でノートに小さく小さく書いて尋ねた。

『駄目かな』

 僕はまた、黒いインクで書いた。

『駄目じゃないです』

 沙世の眼は潤んでいた。

 初めて僕のアパートに来たのは、どしゃぶりの日だった。

 最後の講義が終わり、学校をでると沙世が赤い傘を持って待っていてくれた。

「今日は雨が降るって、先輩が言ったから」

 相変わらず沙世は同級生になった僕を先輩と呼ぶ。何度か「貴之でいいよ」と言ったのだが、直らなかった。

 傘を持たない僕を送ってきた沙世は、左側半分がずぶ濡れだった。

「風邪をひくよ」僕は散らかったアパートに沙世を入れた。

 雷の影響で停電した部屋で、濡れたままの沙世を抱きしめた。

 ぎこちないキスに、沙世は僕の胸の痣に額を押し付け、「夢みたい」と呟いた。

 僕の痣は、少し熱くなり昔のことを思い出させる。

 僕は思わず沙世の右肩、ちょうど、朱里の痣のあるあたりに手を乗せ沙世を強く抱き寄せた。

 窓には大粒の雨がぶつかり、パチパチと音をたてる。

 その日から、沙世は毎日のように僕の部屋を訪ねては、掃除や洗濯をしてくれるようになった。


 沙世のノートが三冊終わったのは、大学三年の秋だった。

 研究室に入った僕は、宇宙望遠鏡の研究に没頭し、沙世の話に真剣に耳を貸さなくなり、メールの返信もおざなりになった。

「見せてくれない」

 あまり話しなくなった僕との昼食にも、沙世はノートに何かを書いていた。

「いいよ、後で部屋に置いとくね」

 いつものように遅い時間に研究室から戻ると、そこにはノートと一緒に小さめのタオルが入っていた。

 太陽の下で子が遊ぶイラストが描かれたハンカチ。

 そして、ノートには僕の言ったことが小さい字で細かく書かれ、その横には地球と思われるイラストやハートマーク、それに水素らしきボツボツが寄り合って赤ちゃんになっている絵が散りばめてあった。

 そして最後のページには

『やっぱり先輩が大好きです。そして、いろんな話を聞かせてくれてありがとうございました。

 高校の時、先輩は何も話してくれなかったのが悲しかった。でも今は、こんなに話してくれるのに、私が全然理解できないのが悲しいです。どれだけノートを埋めても、ちっとも先輩との距離は埋まらない。やっぱり、私と先輩の運命は遠く離れているのでしょうか。

 雲が嫌いです。雨が嫌いです。

 先輩が悲しそうな顔をするから嫌いです。

 私には、何が先輩を悲しませるのか分かりませんでした。

 私は真っ青な空に太陽が照りつけるのが大好きです。


 明日からは、もううどんを食べに行きません。

 でも、きっと、ずっとずっと大好きです』 そう書いてあった。

 僕はそんな予感がしていた。沙世とはいつか別れの時が訪れる。

 ノートを持って外に出た僕は、沙世が好きだと言った小さな神社で泣いた。

 朝から降っていた小雨は王冠をつくることなく、境内に水たまりを作っていた。


 それから、一年して僕は同じ研究室の先輩と付き合ったが、半年ほどで別れた。その間、沙世が食堂にくることはなく、僕も経済学部の敷地に行くことはなかった。

 研究室から戻ってもやることがなくなった僕は、ビールを持ってよく海に行った。

 雨の日は透明なビニール傘を差し、水がつくる王冠を眺めていた。

 こんな僕を朱里は怒るだろうか。不誠実な男となじるだろうか。いつか、朱里に褒めてもらえるようになりたいと思っていた。

 朱里からメールが来なくなっても、朱里のアドレスを登録しなくても、いつか僕たちは、きっとまためぐり合うと信じていた。


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