入道雲
「貴之は浪人して宇宙工学科に入ったんだよ」
貴之と同じ高校に行った裕未が偶然会った駅で教えてくれた。
今は、その大学の近くで暮らしているらしい。ずいぶんと遠くに行ってしまったんだな。
私は三年も会っていないのに寂しくて涙が出そうだった。
「朱里は全然連絡とってないの?」
裕未は貴之が後輩の女の子と付き合っていたこと、その子とはすぐに別れて、違う同級生と付き合い始めたことを教えてくれた。
「あいつ暗くて何考えてんのか分からないのに、けっこうモテたんだよ」
裕未は知らないんだ。貴之は暗いんじゃなくて人と人見知りが激しくて、照れ屋だということを。
本当はいろんな夢があって、でも、そのことをあまり話してくれないだけ。
そのことを、貴之と付き合った他の女の子は分かってあげたのだろうか。
「僕らは宇宙人なんだよ」そう言った意味を理解出来たのだろうか。
中学三年の時、私たちは同じ塾で遅くまで勉強をしていた。帰り道で自転車を降りた私たちは、白い息を吐きながら星を見上げ、少しの時間だけ話をすることにしていた。
家の灯から離れた公園の中で、
「地球人も広い意味で宇宙人ってことじゃないんだ。僕たちの細胞は全て宇宙の分子で出来ているんだよ。要するに僕に組み込まれている運命と言う遺伝子は宇宙で作られているってことなんだ。だから」
私と貴之は同じ宇宙空間を彷徨い、何兆分、何十兆分の一の奇跡で同じ痣をもってこの星に生まれた。それは、偶然なんていうものではなく、宇宙で作られた設計図なんだ。
そう言ってくれた。そして、周りを気にしながら私たちはキスをした。
公園の木に隠れて貴之は私の痣を抱えるように抱きしめ唇を重ね、私も貴之の胸にある痣に手を乗せて貴之の唇を受け入れた。
雨宿りをしたときは私より背が低かった貴之が、体を曲げて私にキスをしてくれたのが頼もしく思えた。
貴之は新しい彼女にも体曲げてキスをしたのだと思うと、もう自分とは関係がないはずなのに悲しかった。
でも、遠くに行ってしまった貴之が、今でも宇宙のことを勉強しているのも涙が出るほど嬉しかった。
大学三年から気象情報会社でアルバイトを始めた。そして大学を卒業する時には、三回目の受験で気象予報士に合格することが出来た。
「朱里は就活しなくていいな」
同じ大学に通っていた彼がヨレヨレのスーツを着て愚痴っていた。
「結局、何もしたいことが見つからなかったな」
メーカーを中心に就活をしていた彼は、大手と呼ばれる会社を一時面接で落ち、中堅企業を二次試験で落ち、結局親のコネで地方の部品メーカーに就職することが出来た。
私たちの通う大学で大手に就職出来るのは、運動部か親の強力なコネしかないことは分かっていた。
それでも彼は何十社も受けては落ち続けてもめげなかった。
「三年したら朱里と結婚したいから」それが就活中の口癖だった。
有りがたいし嬉しかった。たとえ、小さな会社しか入れなくても、私は彼と結婚しようと思っていた。
要領が悪く、サークルでもゼミでもすぐに幹事を押し付けられ、終わった後で「盛り上がったかな」と私に尋ねる彼が好きだった。
卒業したら同棲をしようと彼が言ったとき、私はとても嬉しかった。ずっと、傍で彼の心配が出来ることが、私の幸せだと思っていた。
なのに、大学四年の夏は入道雲が多かった。
入道雲を見ると、貴之のことを思い出す。高校二年の時に好きだった野球部の男の子とアイスを食べている時も、入道雲が見えた。
あの雲から貴之が落ちてきそうな気がして、ずっと見ていた。
卒業式の一週間前、大学の傍のカフェで、彼は神妙な顔で待っていた。
「気象予報士って朱里の夢だったんでしょう」
田舎に帰ることが決まった彼が「頑張れよ」と言って別れを告げた。
「朱里が気象予報士に受かったとき、実は焦ったよ。俺なんか特に夢もないまま生きてたからさ。いつかお天気お姉さんとかなったら、どうしようとか思っていた」
お人よしだと思っていた男の悲しいプライドを見たようで腹が立った。
「そんなプライドいらないよ。優しい貴方が大好きだったのに」
私は腹が立って彼をなじってしまった。
「さよならも」も「ありがとう」も「別れたくない」も言えずに。 彼が半べそをかいて帰ったあと、私はなぜ気象予報士になりたかったのか考えた。
私が気象予報士の資格をとったのは夢なんかじゃなかった。ただ、そのことを貴之に自慢したかったからだと思う。
気象予報士に受かった夜、私は貴之にメールを送ろうと思った。でも、なんて書いていいのか分からず、結局送らなかった。