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水の王冠

肩に近い右腕に大きな痣があった。

その痣は、色は薄いが直径が五センチもある。

 だから、いつも夏になるのが憂鬱だった

「そんなに目立たないよ」

 親しくなった友達はいつも言ってくれるが、私にとっては切実な悩みなのだ。もしかしたら、これが原因で好きな男の子も出来ないのではないかと真剣に考えるほどに、私にとっては大きな問題なのだ。

 だから、五年生になった夏もさりげなく左手で右肩を隠すようにプールの縁に座って入道雲を眺めていた。

 雲を眺めるのが好きだった。

 真っ青で雲ひとつない空は、退屈な空に思える。

 そして、それは驚くべき速さで黒い雲をプールの上まで運び、大粒の雨を降らせた。

 先生の注意も聞かず大喜びではしゃぐ男の子もいたが、私は大急ぎでプールの端に作られたテントの中に、他のクラスメートと一緒に逃げ込んだ。

「水の王冠って言うんだよ」

 体育座りでプールに落ちる雨を見ていた私に、貴之君が話しかけてきた。

 貴之君とは五年生になって初めて同じクラスになったが、今まで話をしたことはなかった。

 いつも数人の男子と一緒にいたが、その中でもあまり声が聞こえないタイプの男の子だ。

「雨が地面に落ちて跳ねかえる。その形が王冠に似てるでしょう」

 確かに良くみると跳ね返る水は一瞬王冠の形になる。

「雨が降ると、いつも王冠を探すんだ」

 そう言って、貴之君は左胸を右手で指差した。

 そこには、私よりも小さいけど、同じ形をした水の王冠が薄く見えた。

 貴之君ははにかんで、すぐにその痣を隠してしまったので、私も脛の前で組んでいた手を解き、左手を痣の上に置いた。

 その時は、馬鹿にされたようで悲しくて涙が出た。この男の子は絶対に私は嫌いだと心に決めた。

 だから、二学期になり私と貴之君は、図書委員になったときは、悔しくて消しゴムを握りしめてしまった。

 昼休みに順番で図書室に行かなければいけない図書委員は、人気がなく、貴之君が立候補した時は、みんなが驚き、最初に立候補した私は顔が赤くなった。私はやっぱりこの男の子が嫌いだ。

「それじゃ、神崎貴之と神戸朱里でいいな」

「来年には定年になる」と言うのが口癖の先生は、黒板に私と貴之君の名前を並べて書いた。

 他にも給食委員、体育委員、理科準備係、うさぎ当番など何人もの名前が書かれたが、私は貴之君と私の名前だけが大きく書かれているような気がした。

「神崎君、朱里のことが好きなんじゃない」

 予想通り、理香が嬉しそうに私を冷やかした。理香の甲高い声はきっと貴之君にも聞こえていたと思うのだけど、彼は声の方を気にすることもなく、窓から雲を見ていた。

 図書委員会の初日は図書館司書の由美子先生から委員の仕事について説明を受けた。その間中、貴之君は窓から外を見ていたかと思うと、急に「雨が来るよ」と小声で隣に座る私に教えてくれた。

 窓の外は、まだ雲は薄く雨など降る気配はない。

「秋のイワシ雲だから、雨は降らないよ」

 私は言い返した。

「ううん、もうすぐ雨雲が来るんだよ」

 変な奴だと思ったが、雲については言い返さずにはいられない。

「秋空にイワシ雲だよ」

 コソコソと言い争う私たちを、由美子先生は見逃さなかった。

「じゃあ、今日の掃除は二人にお願いね」

 老眼鏡を頸から下げた由美子先生は、ニコニコと笑って委員会の終了を告げた。

「ほら、すこし雨の匂いがするよ」

 窓から顔を出した貴之君が、遠くの山の方を指差して私に言った。

「雨に匂いなんかないじゃん」

 私はそっけなく答えると、机の上を拭くのを止めなかった。

「そうかな。夏は夏の雨、冬は冬の雨の匂いがすると思うだけど。

小さいころに読んだ絵本で、フクロウがそう言っていてね。僕もそうだと思ったんだ。

 その絵本の中で、雷様が人は雲からお母さんのお腹に落ちるって言ってた。

 でも、僕は雲から落ちていったん地面に落ちて、それから、お母さんのお腹に入ったんだと思うんだよ」

 貴之君がこんなにしゃべる男の子だとは思わなかった。それに、小学五年生にもなれば、なんとなく子供が出来る仕組みだって分かっている。

 それに、私は雲から落ちたのではなくキャベツ畑でお母さんに見つけてもらったと信じていた。

 だから、私の本当のお母さんは他にいるに違いないと、叱られるたびに思い、いつか本当のお母さんが迎えに来てくれることを祈ったものだ。

「雨が降る前に帰ろう」

 貴之君は窓を閉めると私の顔を見た。その顔は、大嫌いと決めたはずの男の子の嬉しそうな笑い顔だった。

 貴之君の予報通り大粒の雨が降ってきた。仕方なく二人で不動産屋さんの軒下で雨宿りをすることになった。

「ほら、雨の匂いがするでしょう」

 しゃがみこんで雨が王冠の作るのを見ながら貴之君はくんくんと雨の匂いを嗅いだ。

「言われれば少し変な匂いがするね」

 私も貴之君と同じようにしゃがんで雨の匂いを嗅いでみた。

「僕の痣は、きっと雲から地面に落ちて、その時に雨があたって出来たんだと思う。きっと朱里ちゃんの痣もそうだよ。この痣は雨のしるしみたいで大好きなんだ。」

 貴之君は自分の痣が好きだと言ったのだが、なんでか、私は私のことを好きだと言われた気がしたのは、男の子で初めて私のことを「朱里ちゃん」と呼んだのが貴之君だったからだ。

 その時から、私は少し自分の痣が嫌いじゃなくなり、少し貴之君のことが好きになった。



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