切断した赤い糸
「ねぇねぇおとーさん。この糸はなーにー?」
女の子が、お父さんに右手の薬指を見せようと、背伸びをしました。
そして指に巻きついた赤い糸のことを尋ねました。
でも、お父さんは答えてくれません。
女の子は疑問符を浮かべて、もう一度聞きました。
こんどはうんとうーんと大きな声で、
「おとーさん、おとーさん! なんでこの糸は赤いのー?」
するとお父さんは、悲しそうに顔をうつむかせました。
それ以来、お父さんは赤い糸のお話を聞いてくれなくなりました。
女の子は悲しくなりました。
だから次は、お母さんに聞きました。
「おかーさん、おかーさん! この糸はなーにー?」
悲しい顔をさせないように、女の子は元気よく言いました。
ですが女の子の努力は無駄でした。
お母さんも赤い糸のことになると悲しい顔をします。
そしてこう言うのです。
「赤い糸なんてない」
また無い、と言われました。
「そんなことないもん!」
だから女の子は強く返しました。
確かに見えるのに、赤い糸は無いって二人は言います。
女の子は、本当のことしか言っていません。
それなのに、お父さんもお母さんも信じてくれませんでした。ヒクヒクと泣きそうな顔をしましたが、二人は無視しました。そしてどんどん女の子を腫物みたいに扱いました。
お父さんもお母さんも笑ってくれなくなってから、女の子は赤い糸が大っ嫌いになりました。自分の好きなモノを取ってしまう糸なんて見たくもない。
だから女の子は薬指に巻きつく糸ごと――指を切り落としました。
――……――
薬指にピリピリと張りつめた違和感が襲ったため、藍原ツムギは目を覚ました。
すっかり眠気の虜になっていたのだろう。授業後、机に突っ伏していたら、あたりが夕焼け色となっていた。
そう、あの赤色。
机も教卓も黒板も、真っ赤だ。
なんだかグロデスクな色合いだな、とツムギは不安になる。
「最悪」
まるで血の色と一緒だ。
目をこすり、悪夢を取り払う。
そろそろ帰宅しないと里親が心配しだす。ツムギは学生鞄を開けて、机に突っ込んでいた教科書を流しいれた。
すると赤い糸がチラつく。
夢にもあった赤い糸。
幼いころから巻き付いている糸だ。
なぜか巻き付いている血染め色の糸は、自分以外には見えず、学校の黒板をすり抜けて、ずっと東へと伸びている。指を切り落とした後も、指を接合した後も、両親に捨てられた後も、一六才になった後も、ずーと付きまとってくる。
「なんで、巻き付いている?」
嫌いで、キライで、大きらい。
自分の吊り上った目元より嫌いだ。
なぜなら前髪を長くして隠せる目元と違って、指の糸は隠せれないからだ。
この糸は誰かに繋がっているのか、それとも自分を苦しめるために神様がつけやがったのか、謎の存在にツムギはうんざりしていた。
「……帰ろ」
嫌な思いを掻き消して、教室を出ていった。
――……――
学校と自宅は、そんなに離れていない。
帰宅時間は徒歩で三十分ほど。途中にコンビニでアイスを買ったのち、公園で食べても五十分程度だ。
あとすこしで自宅につくだろう。
通学路として利用している公園に入った。
ここもまた赤く染まっている。
あの嫌いな赤。とても綺麗に赤くなっているのに嫌いだ。
でも、ほんの少し顔をしかめて忘れることにする。世界が真っ赤になることなんて、夕方じゃ珍しくない。気分を変えるため一息つくことにした。飲み物を買って休憩しよう。
里親が心配するまで余裕はある。
「飲み物……」
自販機の中身には有名企業のロゴであふれていて、飲み物選びに不自由はなかった。
必要額入れて、味は好みだけど嫌いな色をしている炭酸飲料水を購入。あとはベンチでもブランコにでも座ってがぶ飲みするだけだ。ちょうどペンキが廃れたベンチがあるので座る。
「よっこいせ」
教科書でパンパンになった鞄を放り捨てて、白ワイシャツの袖で汗をぬぐう。ぬぐったところから、ひんやりとしてきた。うっすらとかいた汗が下着にへばりついている。この不快さを吹っ飛ばすため炭酸飲料の蓋を回す。
爽快な空気の音、炭酸が元気よく唸った。
グイッと一口。のどにちくちくと刺さるような旨味を感じる。
「ふぅ」
微かに息を吐いて、空を見上げた。
空は濃く赤い色彩になっている。
嫌いだ。
赤色は嫌いだ。
ツライ思い出があって嫌いだ。夕日の赤も炭酸飲料の赤も嫌いだ。
でもなんで赤い色なの?
この夕日も炭酸飲料もなぜ赤い。
なんでわざわざ赤い色にしている。
理由があるのだろうか。この糸と同じ色をしている理由が。
ツムギは全身の力を抜いて、薬指を夕焼けにかざし、神様にでも聞かせるために呟いてみる。
「なぜ赤いの?」
両親がまだ笑っていた時期、なんども言ったことを再現。
そうすればなんだか楽になれる気がしたけど、なにも――
「それはね、夜を迎えるためよ」
真後ろから、太陽が沈む真逆から声を聞く。
それも結構間近。女の人ぽい声で柔らかい。
ツムギは目ん玉をギョロリとさせて振り向いた。すると声の主がまた語る。
「夕焼けは終わりの色。青かった空を赤色にして、一日の終わりを知らせる」
女の人は大人だった。自身よりも身だしなみが整っていて、幾分か背が高い。黒髪が流れるようだ。
「夜って暗いでしょ。あの暗さを出すために夕日がちょっぴり赤くさせているの」
オレンジっぽい色のワンピースを着こなしている。
あとは薬指には赤い糸。首には青いチョーカー。耳にはきらりと光るイヤリング。頭にはおっきな麦わら帽子。このあたりでは見ない風体で、お目にかからないほど優美な顔立ちをしている。
「夜を迎えるため。だから赤いの」
女の人は満足気に微笑む。ちょっとばかし気の抜けている笑顔だけど、はっきりとした優しさがある。
「へ……?」
優しそうな人――だけど、ツムギはそこ以外の場所に仰天した。
あれが巻き付いている。
それも薬指。
あの忌々しい赤い糸が左の薬指に巻き付かれているのだ。
自分の赤い糸と繋がった、嫌いな赤い糸。
「驚かないで。私、最近引っ越してきたばかりで話し相手が欲しかったの」
そう言って女の人は近くに寄ってくる。
「隣、座っていいかしら?」
女の人がふにゃっと、微笑む。
ツムギは驚いたけど、失礼にあたると思って精一杯、冷静になろうとした。
できる限り目元に気をむけて、
「……はい。その、どうぞ」
でもダメだった。嫌に頬っぺたが引きつれる。もともと吊り目のせいで不機嫌な顔色をしているのだから、なおのこと酷い顔になっただろう。
だって仕方がない。赤い糸が繋がっているのだから。
それとなんだかおかしい。赤い糸が巻き付いているのに、この女の人はなんだか自然体すぎる。
「変な人に話しかけられて驚いたでしょ? ごめんなさいね」
ツムギの隣に女の人が座ると、いい匂いが香る。
香水だ。優しくて心地よい。
「えっと。変な人、ですか」
「そう変な人よ。よく言われるの。君はロマンチストすぎる、もっと現実を見なさいって」
ふにゃっとした声だ。
「自己紹介しましょ。私は西園寺裕子。あなたの名前は?」
「藍原です。藍原ツムギ」
「藍原ツムギ……ツムギちゃんね、とっても素敵な名前」
「素敵な名前だなんて、そんなことないです」
「お世辞なんかじゃないのよ。本当に素敵な名前だと思って……少しイヤだったかしら?」
西園寺裕子と名乗った女の人は、力なくふにゃっと笑顔で返してきた。
なんだか残念そうにしているから、ツムギは慌てて訂正。
「いえ! イヤじゃないです」
急ぎ首を振る。
「西園寺さんも素敵な名前ですよ、えぇ本当に。あと見た目とかとっても可愛いですし」
照れたツムギを気にすることなく、ふっくら微笑んで、
「あらあら、ありがとう。ツムギちゃんも可愛いわ。うふふ」
「そんなことないです……」
「あるわ。ちょっぴり前髪が長すぎるけど、とっても綺麗な目をしている。私は好きよ」
西園寺の言葉を聞いて、ツムギは頬を赤くさせる。
でも指。なんで巻き付いている?
赤い糸に気が逸れた。
「あの西園寺さん」
「なにかしらツムギちゃん」
「その、えっと」
なんで赤い糸が巻き付いているの?
言葉を出そうとするが、本能が止めてしまう。
この糸が見えるのは異常なことであり、見えてはいけないことだ。
見えてないふりをしないといけない。
そう思うと言葉が出なくなる。だから、
「どこからきたんですか?」
すると西園寺は、にっこりともふにゃっととも取れる笑顔で返してきた。
「東から。ずっとずーと遠くの東からきたの」
赤い糸が伸びていた方角だ。
「隣の県ですか?」
「違うかも」
西園寺はゆっくりと横に首を振った。
「地名はわからないわ。単純に私が覚えてないだけなのだけどね……そうだ!」
なにか閃いたのか大人っぽさとは裏腹の子供じみた閃いたのポーズをとる。
「私はねぇ、東にある幸せの国からきたの」
のんびりと得意げに語ったのは、なんとも幼稚なことであった。
「ふざけてる? 西園寺さん」
「おふざけってより、そうだったらいいなーって感じかしら。どうせ地名のことは覚えてないから、素敵に変えても怒られないし」
「はぁ……?」
「ロマンチックに言い換えるの。たとえばぁ。幸せの国では国民全員、幸せに暮らしていてお互いが助け合ってるの。すごく綺麗で優しくて可愛らしいお姫様が統治していて、たくさん素敵なお花を咲かせるのよ」
この人はかなり変だ。ロマンチックだなんて、それにまだ語っている。
「でね、お姫様がお城の中でお仕事をする妖精たちに無茶なお願いをしたりして、まいにちドタバタで幸せな生活をしてるの」
止まることない妄想に満足したのか、ふにゃっと笑みを向ける。こんどのふにゃはどこか幼い。
「ツムギちゃんも、なにかあるかしら」
「え?」
「幸せの国の幸せ。なにか付け加えましょ」
とろけたような笑みで、ツムギに提案。
「いえ、その。こういうの苦手で」
「妄想に苦手も得意もないわ、思いつくままでいいの。テストのように正解はないから自由にしましょ。そうしたら楽しい気持ちになれるわ」
幸せって――いきなりいわれると、なにを述べたらいいのやら。
自由に幸せを思考する。
なんでもいい。
なら身近なことでも。そうツムギは決意。
「幸せの国では、自販機の飲み物は全部一〇円で買える……」
我ながらバカなことを言っている。とツムギは、恥ずかしくって顔面が燃えそうになった。
でもそんなことどうでもいいのか、それとも盲目的になるほど妄想につかっているのか。はしゃぐように西園寺は喜んでいる。
「とってもいい案ね。それ賛成!」
「いいの?」
「いい! 缶ジュースとか大好き。あと紅茶とココアと甘酒とコーンスープも好き」
「そ、そうなんですね」
「ツムギちゃんはなにが好きかしら――もしかして炭酸かな」
「わかるんですか!?」
「うふふ。私は人の心を見る魔法が使えるの、ってのは冗談。ツムギちゃんの隣に答えが置いてあるわ」
西園寺が指摘して、赤い炭酸飲料を思いだす。
目の前でふにゃふにゃの笑顔を見せる人が、唐突過ぎるので忘れていた。
ふふ、と西園寺が笑うと、なんだかツムギは嬉しくなった。自然と力が抜けて、張りつめていた糸がほぐれてくる感じだ。
でも赤色の飲み物を見ると、指に巻き付いている赤い糸がチラついてしまう。今まで赤い糸とは無関心を決めつけていたけど、赤い糸と繋がっている人と出会ったのだから聞いておかないと。
「西園寺さん、聞きたいことが……」
「なにかしら。ツムギちゃんにならなんでも教えてあげるわ」
大きく深呼吸
「――赤い糸って見えますか?」
「えぇもちろんよ。だって私、見えていたのよ」
やっぱり見えていた。
でもだったらなんでここまで驚かないのか。
「ツムギちゃんは信じれないかもだけど、薬指に私しか見えない赤い糸があったの」
まるで昔話をするかのようにゆっくりと、
「とっても綺麗な赤色だった。ちょうどこの夕焼け模様みたいで宝物だったの。でもある日突然にね、見えなくなっちゃった」
「今は見えないのですか?」
「うん……あら意外。ツムギちゃんはバカにしないのね。この話をするとみーんな明後日の方向むいちゃうのだけど」
「そう、ですよね」
自分見えています。だから信じます。
とは、言えなかった。
ツムギはなぜか言えなかった。だから笑みでごまかした。
「でもねツムギちゃん、私にとっては、とても大切だったの」
西園寺が左腕を空にかざす。まるで大切な指輪を夕焼けに透かして、思い出を懐かしむように。
こんなことをするぐらい、赤い糸が大切だったのだろう。
「こうやって夕日に透かしていると思い出すわぁ。運命の赤い糸のこと」
「そんなに大事なんですか。自分にしか見えないのに」
ツムギは言った。
自身に巻き付いている赤い糸は悪魔の糸で、自分しか見ることができない。
「自分にしか見えてないから大事なのよ。だってなんだか特別な気がするでしょ」
「特別は特別だけど、変じゃん。自分だけが見えているなんて頭がおかしいとか考えたりは――」
「――なかったわ」
西園寺は即答した。やさしくふにゃりと。
「赤い糸が見えるのが、おかしなことだったとして、それは重要じゃない……大切なのは赤い糸が運命を可視化させた存在で、どこかの誰かと繋がっているかもしれないってことよ」
「それ怖いですよ。見ず知らずの誰かと繋がってるなんて」
「そうね。ただの糸だったら気持ち悪いかもしれないけど、ここに巻き付いていた赤い糸は特別なの。ほかの誰にも見られない糸で運命を具現化させたもの、と考えてみたら、むしろワクワクするでしょ?」
「運命……ですか」
「そう、運命。ツムギちゃんは嫌いかしら」
あんまり好きではない言葉だ。
「嫌いってわけじゃないけど、好きでもない」
「素直ねツムギちゃん。ちなみに私は運命とか大好き。だから運命の赤い糸って思ってたわ。見えていた時も見えなくなった今も」
「運命的な出会いが見えていたからこそ、大事だったってこと? 西園寺さん」
「そう言うこと。でね、この糸が伸びていた方向に向かったら運命的な出会いがあるんじゃないかなーって。だからここまできたのよ」
「そのためだけに引っ越してきたのですか!?」
そうよ、と西園寺はふにゃっとして、
「だってどんな運命的な出会いがあるのか待ちきれないでしょ?」
「だからって……」
「ロマンチックは待っててもきてくれないのよ。自分から行かなくちゃ」
「でも繋がってた人が酷い人だったら? 醜くて豚のような人だったら嫌じゃん」
「嫌じゃないわ。どんなに酷い人でも、運命で繋がってたら愛し合えるもん」
「じゃあさ、王子様じゃなくって、お姫様だったら? 運命と繋がってるのは女の人だったらどうする?」
「うーん、そうねぇ」
ちょっとだけ小首を傾げて、ふにゃっと笑う
「もしもお姫様だったら、私が王子様になって告白するわ。『あなたに一目惚れしました、付き合ってください』て」
西園寺の言葉に、ツムギはどぎまぎしてしまた。
西園寺の言う、赤い糸の王子様は自分自身。運命によって繋がる王子様は自分であることが、赤い糸から流れ着く。
運命が指に、きつく結び付けられていく。
ツムギは、指の糸を見る。
嫌いだった糸に、運命って色が塗られて色鮮やかになる。
また一つ、聞きたいことができた。
「西園寺さん、もし……もしも。わたしと赤い糸が繋がってたらどうします?」
「そうね。そのときは私が、白馬に乗る王子様になってツムギちゃんをさらっていくわ。うふふ」
西園寺が、ふにゃっとした笑みを向ける。
ツムギはそれを見て、胸を鷲掴みされたかのように苦しくなった。
体が火照る。感情が湧き上がっていき、息苦しくなる。
「ツムギちゃん。赤くなってる」
「ちょ、違う! これはその……」
西園寺は、またしてもまたしても微笑む。こんどの笑みはどことなくイジワルだ。
気が付けば、外が暗くなり始めた。
「そろそろ暗くなっちゃうから帰りましょ、ツムギちゃん。送っていくわ」
「その、めっそうも!」
「うふふ、なんだか面白い口調になってる」
西園寺の笑顔を怨めしく見る――西園寺さんのせいです。あなたの笑顔のせいで頭が真っ白なのです。
「こんなおばさんで恥ずかしいかもだけど、可愛い女の子が一人で帰るなんて危ないわ。送ってあげる」
「恥ずかしいだなんて、そんなことないです」
「なら決まりね」
スッと立ち上がって、
「私がエスコートしてあげる。さ、行きましょ。お姫様」
左手を差し伸べ、ふにゃりと笑み。
その笑みにつられて、ツムギは右手を伸ばした。
赤い糸と赤い糸が絡み合う。
ツムギは理解できなくなった。
でも一つだけ、わかったことがある。
運命的な出会いをしたのだ、と。