魔族将軍、メイル・フローレンス
アランは自分に起こった出来事が理解出来ずにいた。
(魔族の王たる我が何故、目の前の女の下僕などになっているのか……別に掃除などをするのはいい。昔から自分の部屋の掃除などは自分でしているからな。っじゃない! だから、何故我が人の命令なんぞ受けねばならんのだ!!)
と、自分の家があるという洞窟の外へと歩いて行く目の前の少女に意見した。その言葉を聞いた少女はさも不思議そうに、それでいて煽るように言った。
「別に貴方が気にかけている魔族がどうなろうと、私には関係無いけどね? だけどもし、貴方がここで復活を求めず、あの世にいる間に貴方の国が滅びたとしても私は知らないわよ?」
「お前が死ぬまで待たないといけないのならば、同じような事が起こるかもしれんであろうが!」
アランは激昂した。目の前の少女が老衰で死ぬまで、近くにいなければならないのなら、単純計算で60年ほどはかかるだろう。それほどの時間を過ごすなら、天界で待ってるほうがいいかもしれない。
「私だって悪魔じゃないんだから、貴方の国に危機が訪れたら帰省も許すつもりだけど? まぁ、私にも危機が迫ったら私の命令を優先してもらうけど」
アランは一瞬思考した。この話は表面だけ聞けばかなりいい話なのだが、実はかなりブラックであった。帰省を希望しても、絶対帰る事が出来ないのだ。彼女が危険だと思えば、床に針が落ちていただけでも戻らなければならない。また、彼女が自分から火傷をしたりしようとしても戻らねばならないからだ。
(ならば天界にて他の復活させられる者を待つのが一番良いか)
「どのみち、この洞窟のある山の一帯は私の家の敷地だから……他の人が来ることは滅多に無いわよ?」
フェアが何気なく言った言葉は追い討ちとなった。アランは損得計算をし、まだ言うことを聞く方が良い。そういう結果になった。
(嘘かもしれんが……その時は殺すしかあるまい)
◆◇◆◇◆◇◆◇
長いトンネルを抜けると雪国であった。
……ではなく。洞窟を出ると、快晴の山頂の平らになった、屋敷の庭であった。花が咲きほこり、蝶達が舞い、小鳥たちが歌う。よく、人が思い描く楽園といったものにそっくりである。
楽園の中心にはまずまずの大きさながら、豪邸とも言える美しさと機能性を兼ね備えた、家が建っている。
「こいつは……何とも美しい」
アランはぽつりと言葉を零した。娘のストレスの溜まる言葉などにささくれだっていた、心が綺麗にならされるような気がした。
「あら、貴方にも解るのね? 意外だわ。魔族の長である貴方に、感動なんて感情は無いと思ってたのに。」
フェアは洞窟入り口に置いていた黒い日傘をさしながら、小憎らしげにアランに言った。黒いローブを纏った怪物のアランは、少し自慢するような調子で答えた。
「心外だな、小娘よ。魔族にも感動という感情は存在するのだ。逆に人間には感動という感情は無いと我は思っているがな」
フェアはその言葉にカチンと来たようで一瞬眉をひそめ、口を開こうとしたのだが、アランが言った言葉から少しだけ混ざった哀しみや恨みの様な感情。自分では無く、他の、さらに大きなものに向けての感情を感じ取ったため、口をつぐみ、目の前の光景に目を向けた。
☆
庭に咲く花に、水やりでかかった水滴が光り輝き、その水滴を飲んでいたシロアゲハチョウの幼虫を小鳥たちがついばみ、我が子のいる巣へと持ち帰る。
風に草木はなびき、池にはカエルが飛び込んだ後の波紋が岸へと届き、水を飲んでいた兎がその波紋に鼻を濡らす。
自然の動きを見ながら時を過ごすこと十数分。それまでの間、二人はこの光景をずっと見ていた。フェアがゆっくりと口を開き、
「他の人間はどうかは知らないけどね、少なくとも私は感動という感情を持ってるわよ」
今度はぽつりと、アランのすぐ隣に立っていたフェアが呟いた。どこからか湧き出でてくる、信頼して欲しいとの無意識のアランへの思いを込めて。
「……そうだな。訂正しよう。少なくとも小娘はあるようだな」
アランは彼女の方を向き、軽く頭を下げた。アランは礼節を重んじる者であった。たとえ、相手が最下級の魔族だとしても同じことをしただろう。
フェアは目を瞬いた。魔王が頭を下げるとは思わなかった為に。流石に、魔王に下僕になれとのたまうフェアも、これには大いに調子を崩した。そのため、「じゃあ、屋敷に行くわよ」としか、言えなかった。
春の陽気の中、黒い巨体と黒いドレスの少女は屋敷に向かって歩く。しかし不意に少女は地面に埋まった敷石の一つを踏んだところで立ち止まり、隣を歩く自身の二倍の身長はあるであろう巨体に話かけた。
「というか貴方、体を小さくしたりとかできないわけ? そのままじゃ入れないじゃない」
二人が向かう先、屋敷の入り口は人間用の大きさに作られている。両開きのドアで横幅は十分にあるが、身長が三メートルを超す巨体のアランではドアの高さの為に入ることすら不可能と思われる。仮に入れたとしても天井が三メートルにも満たないため、角によって天井が傷つくことは避けられぬことだろう。
「小さくなるよりは、人間の姿になった……方がいいのではないか?」
何故か台詞の途中で言葉に詰まったアラン。数秒の間をフェアは不可解に思ったが、人間の姿になれるという言葉への興味に負けてしまい、疑問を放置した。
「へぇ……人間の姿になれる……その方が何かと都合がいいかもしれないわね。さぁ、早く変わりなさいよ」
期待を悟られないように遠回しめに言うフェア。なお、アランにはその努力も虚しくすぐさま期待を見破られてしまったが。少々呆れ気味にアランが答えた。
「わかった、わかった。……我、アランは原型を変え、人間の姿となりて活動する。……“人体化”。」
アランが魔法を唱えると、彼の体から滲み出てきた影のような黒い魔力がその巨体をすっぽりと覆った。真っ黒な物体は中心に向かって小さく収束していき、やがて高めの身長の黒い人型を形成していく。
ある程度時間が経った後に影は消えていき、うっすらと健康的な肌の色が見えてくる。やがて、真っ黒な影はその姿を跡形も無く消し、その場には黒いマントを羽織った精悍な顔立ちの青年が立っていた。黒づくめの服に黒髪という姿だが、髪の一部分だけが白くなっていた。
「どうだ? これで、良いであろう。……ん?」
「……えぇ、良いんじゃない?って、どうしたの?」
フェアが初めて見た人間へと姿を変える魔法への驚愕と、黒づくめの男、もといアランの人間の姿が思ったよりも画になるルックスをも負っていたため、呆気にとられた表情をする。自慢するかの如く喋って微妙にフェアの反感を買いつつ、アラン達の下へと向かって来る莫大な魔力の一団を察知した。一団の中には久々に感じた、昔懐かしい魔力も含まれていた。
「ここに魔族将軍がやってくる」
「……魔族将軍? お父様から聞いた話だと……たしか、あなたの国の将軍のことだったかしら?」
「詳しいな? 人間領では魔族に関する情報に戒厳令が敷かれていたと思うが……まぁそれはいい」
アランは戒厳令が解除でもされたのか?などと思いつつ、肯定の意味を込めて頷いた。
(この魔力の群れの大きさからするに、魔将クラスが……三人程か)
微妙に過剰戦力な気がしなくもないと思いつつ、まぁ敵地なのだからと考えれば仕方ないかもしれないと思うことにするアラン。フェアはずっと自身が向かおうとしている玄関とは異なる方向を向き続けるアランに、また更に不満を募らせる。
(ここに向かってきたのは我の魔力を感じとったから、であろうな。移動しているのは気がついていたが……我が“最強”の家臣にしてはどこか恐怖しているように感じる気がするが……一先ずは再会を喜ぶとすべきか)
遠くから感じる魔力の荒ぶり方のおかしさから、アランは僅かに残る感情を感じ取った。それは極僅かなものではあったが、長年の付き合いから察するのは容易であった。
「済まないが、将軍と会って話がしたい。ここで待っていても良いか?」
そう言って隣に佇む白い髪の少女に話かけた。見るからに普通の少女らしく線が細く、あまり長時間立たせると怒られそうではあるが。
「……良いわよ。ただ私も待つから、この日傘は貴方がお持ちなさい。」
「ああ」
フェアも興味を惹かれたのか、屋敷へと繋がる唯一の山道の方を見る。実際はまだ参道よりも若干右側の方角に居るわけなのだが、アランはその様子を見てフェアは魔力を感知できないようであると心の中で仮定づけた。
◆◇◆◇
時が流れること数分。ある程度重い物を背に乗せて走る馬の蹄の音がアランの耳に聞こえてきた。重量感のある足音を響かせながらも、同行者の三人がそれぞれまたがる馬を差し置いて軽やかに、参道特有の上り坂など存在しえないかのように超高速で駆け上がってくる。そしてフェアの耳に音が聞こえてくる前に、その姿を捕えることが出来た。
金色のギラギラと輝く目立つ馬鎧をつけた白馬にまたがるのは、こちらも目立つ色合いの真っ赤な厳つい鎧を身に纏った騎士。馬を庭の前で止め、ひらりと地上に降りた。
「魔王様、お会いしとうございました!」
ヘルムのおかげで中性的な声に聞こえるなか、赤い騎士は精一杯の声を張り上げた。そしてアランに深々と一礼した後、アラン達の方に歩み寄る。
「うむ。魔族将軍、メイル・フローレンス、我もそなたに会いたかったぞ」
アランは心からの満面の笑みを赤い騎士に向けた。面食いの女であれば一発で射止め殺すような、凶悪な破壊力を持つ惹き込まれる表情である。十六年ぶりの最愛の部下との再会ということもあり、極度に柔和した優しさと嬉しさが前面に出た笑顔となっているのだ。
「……あ、えと……恐悦至極に存じあげます。……ところで何故、人間の御姿をしておられるのです? それと、この御令嬢はどなたで?」
魔族将軍が一度言葉を詰まらせ、数秒後にアランの台詞に返答した。騎士の言った率直な質問に、アランは思わず言葉を詰まらせる。アランがなんと言おうか考えている隙に横からいけしゃあしゃあとフェアが言った。
「彼は私の下僕になったの。それも、自ら望んでね。下僕だから私に使える為に人間の姿になったのよ。元の姿じゃ、体が大きすぎて家に入れないから」
この日、この時間。アランの目の前で爆弾発言が投下された。




