なんということをしてくれやがったのでしょう
その日の正午を少し過ぎた頃のこと。
魔王城のとある一室にかけられた巨大な絵画。ナターシャの夫の肖像画が、彼女の仕事部屋の壁に飾られていた。その肖像画の目の前には一つのソファが置いてあり、ナターシャが夏でありながら全身の肌を隠すようなドレスを身に纏って座っていた。
そんな彼女の目の前にはくるんと曲がった茶色の角ともこもことした白い毛に覆われた頭。羊頭人体の魔族、ムートンカルである。見た目とは裏腹に、その頭脳は回転が速く、切れ者が多いとされる種族である。
「急に呼び出して悪いね商人ギルド長。ちょっとここ最近のことを聞きたかったものでサ」
「ナターシャ様からのご招待ならばいくらでも。……えぇ、ほんとうに、すばらしいことですよ」
そう言いつつ視線がナターシャの下へと向いて行くムートンカルの男。ナターシャは自身の目の力を誤爆させないように、不透明な黒いインクを塗った眼鏡をかけていることから、そんな男の視線には気が付いていない様子であった。
「お世辞なのか社交辞令なのかよくわからないけれど、まぁ良いサ。今日聞きたいと思って呼び出したのは、自由都市国方面のことに関してだよ」
「自由都市国ですか……また何か事件でも? まさか昨日の爆発……」
男の言葉を片手をあげて制するナターシャ。その後に悪戯っぽく笑って言った。フェアなどにはない大人の色気というものが存分に含まれていた。
「おっと、それ以上の詮索は良くないね。戒厳令も敷かれてるし、ナニかあってもあたいは知らないよ?」
「も、もうしわけありません……」
頭を下げる男に対して腕を組んで威圧的な態度を取るナターシャ。頭部の蛇が二匹ほど鎌首をもたげた。昔の彼女が考えた末で行ううちに無意識におこなうようになったその行動も、羊の顔しているその男は頭を提げつつ上目づかいで見ていた。
「最近の自由都市国の経済状況はどんな感じなんだい?」
「我がギルドも自由都市国まで勢力が及んでいるわけではありませんので、確証ではありませんが……」
「それでもいいよ」
「まず売れるのは食糧、逆に売れないのは武器ですかね。魔剣などは狩人や金持ちなどが買うこともあるそうですが、普通の大量生産品のような武器は全く売れません」
男の言葉を訝しげに聞くナターシャ。彼女の左後にいた女……いや、メスの蜥蜴人が男の言葉を即座に手元の紙にメモをしていく。
「まぁあの国は不戦争主義宣言してるし……その分移民も多いみたいだから食糧の需要が増えるのも仕方ないだろうね」
「えぇ。まぁでも大量生産……というわけではありませんが、腕利きの職人が鍛造にて作った武器が売れたとかというのは若いもんから聞きましたがね。魔剣でもないのに奇特なことです」
ギルド長の言葉に頷いたのち、何かが引っ掛かったように聞き返す。
「どんなやつが買ったってのはわかるかい?」
「さぁそこまでは……その若いもんは行商中に魔物に襲われて死んじまったようで……相当な大物だとは言ってましたがね」
「なるほどね」
秘書がその襲われたということをメモに書きこんだ後、その横に丸印を書きこんだ。
「まぁ武器にしても原因と言えば最近は楽都産のものの影響のようでしてね……流石に魔法研究の進んでいる我が領の魔剣や魔石に関しては安定していますが、大量生産品となると楽都に客を取られるばかりでして……」
やれやれと言うような息を吐きつつ、男はお茶を啜った。そんな動作を見ながら鉈―syは嫌そうに言った。
「楽都ねぇ……あそこにはバルドロス様が居るし責任者ってわけでもないから、おいそれと何かをするわけにもいかないんだよねぇ……厄介厄介」
「カガクというものは我ら商人には恐ろしい物ですよ……」
普段の心労を吐き出すように溜息をついたあと、ひと肌程度の温度まで冷ましたお茶を飲むナターシャ。全身の肌が隠れているとはいえ、マーキュリーに始まりフェアにメイルのプロポーションまで圧倒的な格差のあるナターシャ。貴族の令嬢と比べてもかなりのもので、身に纏っているぴったりとしたドレスにより、豊かな胸などが動きに合わせて形を変えるのである。当然男である商人ギルド長は、その様子をジッと見ていた。もちろん男はナターシャの秘書である女の蜥蜴人に白い目で見られていたが。
「あとは自由都市国大統領のサーシル氏の絵画や彫刻の施されたブローチなどが……」
「そこまで来ると怖いもんだね。まぁあんまり口出しするつもりじゃないが、そういう商売ばかりしていると破産するって教えた方が良いんじゃないかい?」
「我々の了解として、“責任は個人、同業者組合は即潰す”がモットーですので。そればかりは」
商人ならではというべきか、なかなかにドライなことを言いつつ軽く笑う男。ナターシャも半分苦笑気味に顔を歪めた。
「わかってるよ。まぁいいサ。他に何か思いつくことはあるかい?」
「…………めぼしい物としてはこの程度やもしれません。何か情報が入り次第、お伝えしましょうか?」
「そうだね。感謝するよ」
「いえいえ、それでナターシャ様」
その場で立ち上がり。帰ろうとするように体の向きを変えた瞬間にナターシャの方をその羊面で見た。
「それこそわかってるよ。今度催される式典にてあんたの店から仕入れてやるサ。それでどうだい?」
「それはそれは光栄の極みでございます。それでは私も仕事がありますので……」
「あぁ、急に呼び出してすまなかったね。外まで送ったりできなくてすまないね」
「いえいえ。それでは失礼いたします」
座りながら礼をするナターシャの胸部や背中などを見つつ、部屋を出ていく男。ドアが閉まるとナターシャは背もたれに体を預け、小さく溜息をついた。秘書がどこか忌々しそうにドアを睨みつつひとりごちる。
「あの男、相も変わらずナターシャ様を下卑た目線で……」
「またその話かい。こんな世界だと自分の武器を使わないわけにはいかないんだよ。どれだけ気分の悪いことでも」
男のぶしつけな視線に気分が悪そうに呻きつつも諦めたように語るナターシャ。秘書は心配そうに言う。ナターシャの頭の蛇達はぐったりと垂れ下がり、疲れたようにジッとしていた。
「ナターシャ様はそういつも仰られますが、旦那様が……」
「あぁ……愛しの貴方。はやく仕事を終わらせて会いたいよ……」
仰向けのまま首を天井の方向へと向けて背後の巨大な絵画を熱っぽい表情で見守るナターシャ。秘書はそんな彼女を見て、今はもう話が聞こえない状態であること知り静かに押し黙った。
☆
「ナターシャ様。どうやら外交官の方が来られたようです」
「やれやれ、外交官連中とはあんまり立場上仲が良くないんだけどね……あの子と会っていることが知れたらどうなることか……」
「それは仕方がないことだと思います。さて、来ますね……」
コンコンッと財務大臣室のドアが叩かれた。ナターシャが秘書に向かって頷くと、秘書はドアの下へと歩いて行きそれを開いた。
「失礼します。外交官副長の「いつも話聞いてるんだから良いってそういうのは。早く入りな」
「はい、それでは」
ナターシャに促されて彼女の目の前のソファに座ったのは、上半身は美しい曲線を描く体を持つ人間の女のようでありながら、下半身が蛇のような長い鱗に覆われた尾になっているいわゆるラミアという種族である。男性と女性によって名前の呼ばれ方の違う珍しい種族で、男性の方は一般的にナーガと呼ばれる。
「さて……裏の者達から聞きましたが、自由都市国についてですね? 部下からある程度の情報は聞いてきましたので」
「ありがとう。流石だね」
賞賛の声をあげるサーシルの言葉に、わずかに頬をほころばせただけですぐに固い表情になるラミアの女。そして淡々と報告を続ける。
「自由都市国大統領、サーシル・フェルトリサス。世間では“慈愛の女神”などとも呼ばれ、今現在も直接民主主義制であるあの国で爆発的に支持者を集めていまず。もはや一強状態と言っても過言では無い程の指示を得ているようです」
「魔王様に近しいカリスマ性でも持ってるのかね……それとも政治の形態が似ていたりでもするのか」
ナターシャの独り言に同調するように頷く秘書と女。
「しかし一方で支持しない層や、どちらとも言えないという層が一定数居ます。敵対する勢力はさておき、その支持していない層では彼女の黒い噂があるようです」
ナターシャの肩に頭を乗せていた蛇達が頭を持ち上げ、本人はテーブルに軽く体を乗り出した。女は肩にかけていたバックから紙の束を取り出す。
「どんな噂なんだい?」
「最も多い噂としてはサーシル・フェルトリサスは、『人を殺した聖職者だ』。『失踪事件は彼女が起こしているらしい』。『人口が増えている為に、奴隷として黒骸軍へ売っている』などでしょうか。詳しくはこちらの資料を」
女がテーブルの上に置いた紙の束を持ち上げ、ペラペラとめくるナターシャ。ページをめくるごとにその美麗な眉が顰められていった。
「失踪事件……?」
「調べましたところ、確かにここ最近自由都市国では、子供から大人の男性まで幅広い人々がどこかへ消えるという事件が多発しているようです」
「ふぅん……?」
深く認識したかのようで、どこか曖昧な返事をするナターシャ。どうやら手元の資料に熱中しているようで、女の言葉にあまり意識を傾けられていなかったようである。女は注意してみてやっとわかる程度に頬を膨らませ、そしてすぐに元の無表情に戻った。
「ん? このザムラビってのは誰だい?」
「ザムラビ・イットロン。サーシルが信頼を置く専属ボディーガードとのことです。先ほどここに来る途中でファンファンロ様とお会いしまして、実力で言えば支給品装備のメイル様より二段くらい下とのことです」
呆れた声を出すナターシャ。
「二段下って……軍人とかじゃないんだからそんなことでわかるわけないだろうに……あの鳥頭。けど、結構評判は良いみたいだねぇこの男。ボディーガードに評判てのも変だけど」
「そうですね」
そしてナターシャが資料の最後の一枚を見た。そして瞬間的にその目は見開かれ、女の方を見た。
「馬鹿な……この国に向かって来てるだって!?」
「そうです。大統領サーシルは、今、この魔族領へと魔王表敬と称して訪れる予定のようです。あと半日もするころには使節が来るやもしれません」
◆◇◆◇◆◇◆◇
その頃、警察庁最高長官室。
四時間ほど睡眠を取ったクロノスは、寝ているうちに部下達から届いていた資料の山に目を通していた。ふと、部屋のソファで横になって寝息をたてている婚約者を見て、軽く微笑んだのちに再び視線を元に戻す。
机の上には丁寧に整頓された資料の山がいくつもあり、それを整理していたのが婚約者だったのである。クロノスが寝ている間にずっと資料の整理に始まり、室内の掃除や部下達の応対まで受け持ち、疲れて寝てしまっていたのであった。
あらかたの資料を読み終わり、クロノスは手元にある箇条書きされたメモを見た。
「こうなると……それぞれの事件は別の犯人がやっているように見えやすね……」
同じ日に発生した二つの大事件。その調べられた内容を要点だけ書いたその紙に、赤いインクのついたペンで推測や行うべき行動を書きこんでいく。
「レヴァンズ=キル……擁護士クラウス……何か接点が……?」
そうクロノスが独り言を言っていると、ソファで寝ていた婚約者がのそりと起き上がった。
「あ……長官、おはようございます……申し訳ございませんでした」
「良いでありやすよ。ところで、これを見て欲しいでありやすが」
「なんでしょうか……」
どこか寝ぼけ眼で起き上がり、クロノスがまとめた事件の概要を読む婚約者。
「あっしは水属性以外の魔法を使えないでありやすから、他の属性に関して知識がからっきしでありやすから……擬態魔法となるとどんな属性になると思いやすか?」
「擬態魔法……光、闇大地属性をあたりでしょうか……たしか、闇と地属性の複合魔法と聞いたことがあるような気がします……」
「闇……魔王様も”人体化”を使いやすが、あれは複合属性であったはず……やはり、我々の知らない新魔法でありやしょうか……されど、魔力の質まで変える魔法など、理論的にも存在するわけが…………」
◆◇◆◇◆◇◆◇
場所は代わり、魔族領王都インペリアルへと入る為の東側の門。閻魔はそこで天照を連れながら長蛇の列に並んでいた。晴れやかな空の下、紅蓮の髪を下げながら順番を待つ。
「凄い並んでるねぇ……これ何時間くらいかかるんだろう……」
「ちょっと、疲れてきちゃうね」
「天界じゃほぼありえないことだからねぇ……」
閻魔はそんなことをだべりつつ、チラリと視線だけ天照の背後に移動させた。天照の臀部に迫っているのは背後に並んでいた、いかにも力がありそうな筋肉ムキムキな男二人組の片方の男の手。閻魔はそんな様子を見て、ガシリとその腕を掴んだ。
「お前、何をしてんの? 人の嫁に」
「え?」
閻魔の声にて、背後の男に気が付いた天照。
「なんだよてめぇ、離せよ。魔力を微塵も感じとれねぇクソ雑魚のくせによぉ」
「は?」
腕を掴まれた男の挑発に、キレたような冷静なような言葉を返す閻魔。男は勝ち誇っているのか、微塵も動じずにさらに続けた。
「”魔力探知妨害魔法”でも発動したような感じすらしねぇってことは、魔力ゴミってことじゃねぇか? 負け惜しみは良いから離せよ。なんならやるか?」
「……何言ってんだお前」
呆れたような声をあげながら男の腕を離す閻魔。男はそんな言い方が癪に障ったようで、
「てめぇふざけやがって、てめぇみてぇな雑魚がこんなべっぴんな女連れてること自体が生意気なんだよ!! ”上級筋力強化”!」
自身の肉体の筋力を一時的に強化する魔法を使用し、閻魔に殴りかかった。割合で言えば、自身の筋力を三割五分ほど引き上げる魔法。剣士などでは使える者と使えない者で、かなりの実力差が生じるとも言われるのが、身体強化魔法というものであった。”上級筋力強化”という魔法はそれなりの魔力を必要とする魔法であり、ただ筋肉があるように見える鬼にしか見えない閻魔を格下に見ていたのである。
周りが喧嘩だ喧嘩だとざわめくなか、閻魔は心底嫌そうな顔をした。
「魔力が無いんじゃなくて、必要ねぇだけだって」
そう閻魔は言い放つと、コンマ一秒以下という速さで男の両足を左足で払い、右手で男の頭を右に払った。閻魔の目には遅く見える一瞬の世界の中、閻魔は倒れてくる男の腹へと軽く膝蹴りを喰らわせた。
「ぐぇっ……!!?」
五十メートルほど打ち上げられる男。それだけでは足らず、上昇しながら吐しゃ物をまき散らしていた。閻魔はその吐しゃ物をよけるため、地面に置かれている打ち上げられた男の荷物から毛布などを取り出して傘替わりのように掲げた。近くに並んでいた人々から上空から吐しゃ物が落ちてきたことに関する悲鳴が聞こえてくると、閻魔はその毛布を相手のバックに入れた。もちろん、大量に吐しゃ物がついたままである。
「ぐへっ!!」
地面に落下しかけた男の襟首を掴み、自身の目の前にぶら下げる閻魔。男があまりの出来事に今にも気を失いそうになっている中、頭に白い液体を乗せた連れの男に閻魔は渡して言った。
「これに懲りたらやめておくことだねぇ。あんまりこういうことばかりしてると、地獄に行っちゃうから」
「は、はひぃぃぃ!!」
閻魔はやれやれとした後、あたりに散らばった液体の酸っぱい臭いに顔を顰めた。チラと脇に居た天照を見ると、同じく顔を潜め、鼻をつまんでいた。
「こらーー!! そこで何をしてるんだ!!」
「ん?」
そんな閻魔達の下へと向かって来る門番達。鎧などを纏いながらも走ってくる姿は、相当な訓練をしているのだろうというものを感じさせた。
「貴様か! そこの男性に何をした!!」
「え、こいつが俺のよ「こ、こいつが急に殴って来たんだ! 何もしてないのに!!」は?」
思わず素っ頓狂な声をあげる閻魔。
「何ぃ? 城門前で暴力とはいい度胸だな」
「は? こいつらが「ひぃっ大丈夫か兄貴ぃ!! ひっでぇ……なんてことだよ……」おい」
閻魔の底冷えたような声にビクリと震えるも、演技を続ける男。
「なんてやつだ! こんな(素晴らしいカップリングになりそうな)兄弟を!! ひっ捕らえろ!!」
「おい、私怨というか完全に趣味じゃねぇか。小声のつもりだろうが俺にはしっかり聞こえてんぞ。死んだら碌なとこいかないんじゃないか、おい」
思わず門番達の中でも最も偉いのであろう女性の命を受け、閻魔と天照を取り囲む鎧を着た者達。
「うぅ……」
「もうふざけんなよ……」
自身にしがみついてくる天照の背中をさすったのち、これ以上事を荒げないようにと両手を上げて降伏するポーズを閻魔は取るのであった。




