欠けたモノ
魔族領のとある平原。ドス黒い色の雲が空一面を覆っており、今に大雨でも降りそうななかある一点だけ晴れ間が覗いている。ほぼ完全な円形に太陽の光が地面を照らし、あたかも光で出来た塔のように神秘的な印象を見たものにうけさせる。とはいえそれを目撃した理性的生物など周囲には居ないわけだが。
「さて……久々の現世旅行だけど、ほんと発展してないねぇ」
その光の中に立たずむ男が言った。燃えるような色の紅蓮の髪に、頭部に二本の角を生やした巨体の男。厳つい見た目とは裏腹に気怠そうに一人ごちる。そんな男の袖を掴んだ少女然としつつもしっかりとした大人の体つきの女性が、上目使いをしながら心細そうに聞いた。
「来る途中で見かけたけど……悪魔でも天使でもない人ばっかりで怖い……鬼さん達もいないの?」
「鬼も居るっちゃ居るけど、現世のはゴブリンとかオーガみたいな食人ばっかりだから……地獄の鬼とはちょっと違うからねぇ。いや、ちょっとどころじゃ無いか」
嘆息するように大きく息を吐き出す男。それを見た女性が心配するように「やっぱりかえろ?」と言った。
「うーん……あの行方不明の悪魔を調べるのをアランに頼むために現世へ出張……って形で創造神のクソ野郎脅したからなぁ……今かえるとめんどくさいんだ」
「創造神様をそんな風にいっちゃ駄目だよ」
「む……天照が言うなら目の前で言うのはやめるよ……ま、とりあえずアランを探そうか。どこに居るか知らねぇけど。魔王城かね?」
大柄な男……閻魔は一緒に現世へと降臨した天照の手を握った。天照は導かれるまま閻魔の目の前に来ると、ふわりと宙に体が浮いた。のは錯覚で、閻魔に薄いガラス細工を扱うように優しくお姫様抱っこをされた。顔を赤く染めた天照を朗らかな顔で見下ろしながら閻魔が言った。
「かなりの距離、移動することになると思うからさ。天照も疲れちゃうだろうし……」
「う、うん……」
どこかの屋敷で見たような構図になり、これまたそれと同じように閻魔は天照を抱えたまま全力で駆けはじめた。アランさえも軽く凌駕する地獄の鬼達の長の筋力によって、先ほどまで居た地面は大きく抉れていた。審判に不満を持って暴れて抗議する霊魂を懲らしめるという仕事もある閻魔は、その役目を果たすため創造神に現世や天界においても並ぶものは居ないとされる力を持たされていた。
(負の力の数が多いのはこの方向かな……アランのやつ、最近死んで来ないから要件を伝えることも出来やしない……ま、こうして仕事サボれるし良いんだけどさ)
轟々という音を引き連れながら大地を駆ける閻魔。猛烈な勢いの向かい風に目を瞑る天照を腕に抱きながらその向かう先にあるのは、魔王アランが治める領地。今現在、領主が不在である“王都インペリアル”である。
◆◇◆◇
アランが屋敷に戻ったのは、人間領では春が過ぎ、夏と呼ばれる季節に入ろうかという頃であった。夏の入りはじめは途轍もなく乾燥し、ギラギラと容赦なく太陽の光が下僕という立場の今のアランをけなすかのように照らし続ける。
「夏が暑いものだと感じたのは何年振りであろうか……お嬢様、元の姿に戻りた「駄目よ。これは罰なんだから夏の暑さを感じる人間の姿じゃないと」……やはりそうですよね。はい、わかっておりましたとも」
体に溜まった熱をなんとか出そうとするように深く息を吐くアラン。何故かそんなアランの左側で日傘を手に持ち、冷精石――腹と呼ばれる平たい部分に触れることで冷風を発する魔法が込められた魔族領の工芸品――を持ったフェアが、アランの傍に寄り添うように立っていた。夏であるにも関わらず、その反対側、つまりアランの右側では
「え、えぇと……姫様? 草取りなら私の槍の能力を使えば……」
「だ~めっ。メイルは私と一緒にお茶でも飲んでましょうよ」
「え、いえ。でも、えっと……ま、魔王様は会議から帰られたばかりでまだ危険かもしれませんので……で、出来るだけ近くに居た方が良いかと、思いまして……」
などと言いつつアランの手伝いをすべきか、フェアの言うことに従うべきか右往左往しているメイルがいた。そんな彼女の頭上でふわふわと浮いている三頭身の人型……地槍と呼ばれる真っ黒なランス、ジグルオンゼムの化身が心外だとばかりに抗議した。
「なんで私がそんなのしなくちゃなんないのさ! 私は殺したり痛めつけたりする為の武器であって、穴を掘る為の農具じゃあないんだよ!」
「ジグルオンゼム。少し静かにしろ、暑さと相まって大声に怒りが溜まる」
「はっ、すいませんでしたアラン様」
「申し訳ございません魔王様……うん、ジグル達と話すのも良く考えたら久しぶりだし……ちょっと話そっか」
アランはしゃがみながら黙々と花壇に生えた雑草を抜いていた。植えられた色とりどりの花を抜かないように注意しつつ、次々とテンポよく根っこを引き抜いていく。メイルとその頭上に浮かんでいた三つの武器の化身達は、アラン達から離れた木陰へと歩いて行き、ボソボソと会話を始めた。フェアは足元にいるアランから視線を逸らし、そんな一人と三つを目で追いながら疑問を唱えた。
「そういえば、聞き忘れてたのだけれどあの青と白と黒の……ぬいぐるみ? みたいなのって何?」
「剣と槍と弓ですよ」
「……あんまり説明になっていないけれど」
日傘をくるりと一回転させながら、ジットリとした目で睨むフェア。アランはそんな視線を感じ取ったのか、ゆっくりと立ち上がって手についた土を軽く払い落としながら補足をした。
「あー……あの白いのは“ガルドゼニファ”という剣が化けたもので、黒いものは槍の“ジグルオンゼム”。青いものは“サーディンリュー”という弓です」
「……なんていうか、全体的に名前が長くないかしら?」
何気なく呟いたフェアの言葉に、沈黙するアラン。
「……あの三つは我が特別な金属の武器に魔力を込めて作ったもので。まぁ、使用者の支援をするために意識を持たせた剣です」
「私の質問を無視するなんて、下僕のくせに生意気ね……! まぁあなたのことだし、どうせ教えてくれないだろうから別にいいけれど……」
アランは苦々しく笑い、それを横目にふて腐れるように言葉尻をフェアは濁した。そんな二人の目の前を二匹の子ザルが、追いかけっこをしながら駆けて行く。逃げてている方が若干足が速いようで、徐々にその差が広がりつつも森の中へと姿を消した。
「でも、やっぱり魔王ともなると流石ね。命を吹き込むだなんて魔法、聞いたことも無いもの」
「我が国の魔法研究の特記秘密事項ですから、いくらお嬢様でも我が国の利害の為にこれ以上お教えすることは出来ませんがね」
「はいはい、わかってるわよ。いっつも国の損得、損得って……この馬鹿……」
消え入るようなフェアの罵倒を鋭敏な聴覚で聞きとりつつ、アランはフェアとの関係をどうしていくべきかと頭を悩ませた。現在主とその下僕という立場である二人だが、最近はそんな関係も崩れつつあった。それもアランとしては都合の悪い形で。
(最近の行動からしてどう考えても、この小娘はあの拉致から助けた時から我に惚れておるからな……と、あまり考えるのはやめた方が良いな。この娘は察しが良すぎる)
アランが危惧した通りにフェアはアランが考え込んでいるのを察知し、アランの方を不思議そうに見ていた。アランは一度深呼吸のようなものをすると、またしゃがんで草取りを再開した。黙々と作業を続けるアランの背中を見て、不機嫌そうな表情になりながら屋敷の壁にフェアはもたれかかる。メイルも話が終わり、会話の無い二人の下へと戻ってきた。三つの武器達はふわふわと浮かびながら、離れた場所で遊び始めたが。
なんとなく重い空気を察したメイルが、どうすればよいか困っているのに気が付いたフェアはまた新たな話題を出した。
「えっと……そういえば、今日はマーキュリーとか他の方の姿を見てないのだけど」
「皆仕事がありますからね。マーキュリーなんかは今日裁判があるそうです」
「裁判?」
メイルは一瞬、しまった! とでも言いそうな表情となり、チラリと足元の自身の主を見た。アランは獣の如く大きく溜息をつくと、五日前に雑草を抜いたばかりの場所からまた生えてきた大きな雑草を引き抜きながら呟いた。
「テロリスト……人間領で言うならば、国家反逆者の裁判ですよ」
「国家、反逆者……?」
アランは再び立ち上がり、フェアの方に向き直った。(何度立ったり座ったりせねばならんのだ……)などと思いつつ。
「我や五大臣、平民院や貴族院などの政治体系に不満を持つ者達……一概に不満を持っている者だけとは言い切れませんが。そういったモノを脅かす者達のことですよ。もれなく重罪です」
「なぜ?」
「そりゃあ、国の政治系統が混乱すれば民が被害をこうむるもんだからな……です……あれ?」
脳裏に過去の光景が浮かんでジッとフェアを見つめるアラン。そんな視線から顔を赤くして目を逸らすフェア。そんな二人を脇で見ているメイルは無表情であった。それも、何かが振り切れたような。
「な、何よ……」
「あ、いえ……申し訳ございません……ただ、今の会話と似たような会話を、昔誰かとしたことがあるなと……」
そのアランの言葉は、多くの部分を“本当のこと”で構成されていた。
意識を取り戻したメイルが言った。
「リュシア様、でしょうか」
アランの記憶力は友人との酒盛りなどで話のネタにされるほどのものであり、古今東西の膨大な数の魔法をも記憶している。言うなれば生きた書物のようなものだ。だが、
「……そうかもしれんな。我が記憶に出てこないならばそうかもしれん」
「リュシア?」
その魔王は、とある記憶が欠けていた。
「……お嬢様には隠せないでしょうし、また拗ねて誘拐されるのも手間ですからね」
「むっ、何よ」
「……我が最愛の妻にして、今は無きリュシア・ニコラオスという女性のことです」
「妻……?」
フェアは顔を少し伏せ、何かを考えるかのように神妙な面持ちとなった。アランとメイルは静かに立たずみ、フェアの反応を待った。
黒い布で出来た日傘はフェアの体を影によって黒く覆い隠し、その遥か上空では夏のはじまりの頃特有のギラギラとした灼熱の太陽が、まるで地上の全てのモノを焼き尽くさんとばかりに、楽園ともいえるこの屋敷の庭を照らし続けている。
三つの武器達は体が金属である為にその体に熱がこもりやすいため、いつの間にかコネクトアイフィールが繋がれている馬小屋に行き、藁の上で寝転がりながら体を冷却させていた。
そして、ふとフェアが顔を上げた。
「って、何を悩んでるのかしらね、下僕に妻が居たから何って話だし。……そもそも、なんだか心がぽかぽかするのよ。気分がいいわ」
「あ、はい……そ、そうでしたか……」
フェアの反応にどこか拍子抜けたような反応をするアランとメイル。アランは手の甲で額の汗をぬぐい、説明を続けた。
「我の記憶力は相当なものです。自分でもそう言い切れますが、何故かリュシアのことに関しては……記憶がどこか断片的なのです」
「へぇ、最愛の妻なんて言っておきながら……まぁいいけれど。私もリュシアっていうのはどこかで聞いたことはあるけれど、どうせ本の中のことだろうし。……って、もうこの話はおしまいにしましょ。なんだか湿っぽいわよ」
と、フェアは話を唐突に打ち切り、アランに「とりあえず草取りをしっかりなさいよ」と促した。大事なことを話した直後に現実に引き戻されたアランは、冷静だったのが急激に怒りが溜まりフェアに向かって激昂した。
「だぁぁぁぁぁもう! どれだけ仕事をさせれば気が済むのですか!! 会議から帰って以来、我が復活したと民に知らせる為に一度魔族領に帰りたいと申しても、ここを掃除しろあそこを掃除しろ草を毟れ畑を耕せと!! もう何日間も満足に寝られてませんよ!」
「いいじゃない、下僕が居ない間にやることが増えたんだもの……」
憤怒の形相を浮かべるアランを押さえつつ、頭に血が上って頭の働いていないアランの代わりにメイルが質問をした。
「な、ならば何故私達が手伝っては……」
「……こ、これは罰……あぁ、もう! ……こ、怖いのよ! この前の誘拐された時のことを思い出して……あの時の怖さが、癒えてないの! だから下僕に近くに居て欲しいってだけ……あっ……い、今のはただの嘘だから!」
「は、はぁ……な、ならば魔王様の帰省に、姫様も同行するのは……」
メイルが放った何気ない一言に動きが止まるフェアとアラン。互いにキョトンとした目で見つめ合い、そして同時にメイルの方を向いてその言葉をハモらせた。
「「その手があったか」」
◆◇◆◇
「おぉぉぉぉ……ま、おぅさまぁ…………またこの老い先短いジジイがあなた様に、またお会いすることが出来るとは……あぁ、大いなるマナよ……感謝いたします……」
「はいはい、御爺ちゃん。魔王様から離れて離れて」
紺色のような、黒色のような石柱が乱立する巨大な空間。人間領のガリオンフォード城の大広間を、黒く、更に絢爛豪華に、また更に広くしたようなそんな空間である。床には踏み心地の良い柔らかくも美しい刺繍の施された絨毯。内部の空間は半永久的に灯り続ける魔法のランプが、まるで舞踏会のごとく不規則に宙を舞いつつも何故かどんな場所でも暗くなることが無い。
そしてそんな大広間で大勢の侍女や兵士、侍従に囲まれているのは狼の骨に鹿の角が生えたような頭の怪物。アランであった。
「まぁ良いではないかファンファンロ。……我もそなた達に会いたかったぞ!! マイケル! ジャッキーとロッキー! ボンレス! ベニーとハム! ヤギヤマ! ランド!」
次々と家臣たちの名前を読み上げるアラン。名前を呼ばれた家臣は感極まって泣き出す者もおり、なんだかわけのわからない状況になっていた。“超距空間転移大門”を通った瞬間、メイルにアランから引き離されたフェアがそんな様子を茫然と見守っている。
「危なかった……体が鋭利な者もいますので、危険だと思い引き離しました」
「あ、ありがとう……それにしても「なんだっ!!」え?」
突如フェアから顔を逸らし、あさっての方向を向くメイル。アランやファンファンロもその方向を睨んでおり、遅れてその他の家臣たちがその方向を見つめた。
大広間の窓から見えるのは、屋根の上に剣を地面につきたてた巨大な像が立っている建造物。魔族領の、最高裁判所である。
「……ッ! マーキュリー!! “空中浮遊”&“急加速”!!」
家臣たちをどかし、大広間の窓から体を乗り出すアラン。窓枠を蹴り上げてジャンプすると、そのまま落下……などはせず、段々と速度を上げながら建物へと向かって行く。
「クソッ!! 間に合わん!!」
窓からアランを見つめる家臣たちが息を飲み込んだ。アランの口から雄叫びの声が上がる中、最高裁判所から眩いばかりの光と火柱が立ち上った。




