封筒
魔族国中央部。二両院公館内、平民院。
多くの机や椅子が並び、その席一つ一つに平民から選出された議員が座っている。不定形族、龍族、人狼族、緑牙族、人魚族など姿形、種族も実にさまざまである。
平民院の部屋で一般的な議員の席は、中央を囲うようにコの字に並べられている。そして内側に椅子や机がきらびやかになった各党代表の席。さらに部屋中央に派閥代表よりも質も良い机椅子。
それぞれの席には名札が置いてあり、中央の席には「首相 ライアー・レッシオ」と書かれた名札が置いてある。
また、コの字に囲った中央には一際大きな、それでいて最も質の良い、豪奢な赤い椅子がデンと置かれているが、その椅子に座っている者は居ない。
「…次は水の党代表、クーア・ベルニト。」
中央の机から、誰の姿も見えないのに声が聞こえてくる。
党代表たちがいる、席の中から体が水で出来た女性が立ち上がる。女性は清楚な仕草でしずしずと演壇へと上がる。そして、演壇の前につくと右手をあげて…振り下ろした。
密度の高い水が演台に当たり、パァン!と小気味良い音をたてる。そして、
「だから、リオラ樹林を切り開いて農地するとか馬鹿じゃねぇのかっつってんだよこのてっぺんハゲがよぉ。コラ。ハゲのくせしてその中、ゴミ詰まってんのか、あぁん!?」
「んだと!この不良水女が!つか、ハゲてねぇわボケが!!蒸発させんぞ!!」
「やってみろや、弱火野郎!!」
まさに一触即発の状況になる。火の党代表の全身が燃え盛る炎に覆われた火妖族(サラマンダ―)の男が机に乗りあがる。一応しっかり机や椅子は燃えないように石でできているようだ。
男から上がる炎は怒りの為か荒れ狂っている。他の党の代表…農地にすることに賛成していた党の代表たちも立ち上がり、その党に所属する議員もほとんどが立ち上がる。それを見た反対派の議員達が立ち、今にも大乱闘が始まりそうである。
「やっかましいわ!!」
ふと、中央の席から叱咤する声が上がる。
大声の元はうさぎ。頭に赤い宝石がついたうさぎに似た生物である。である。
「真面目に質疑応答をしろと何度言わせればわかるんだ!前から議員をしたことがあるやつは、つられるな!まったくもう!いつもいつもいつも…なんでわいが大声上げないかんねん!!もういっつも馬鹿丸出しで喧嘩腰で討論しやがって、いい加減にしてくれ!!」
静まり返る平民院室。赤い宝石のうさぎこと、宝兎族のライアー・レッシオは器用に前足で頭を抱える。
先ほど見えなかったのは、体が机の影に隠れていたからのようだ。
静寂に包まれる平民院室で一人の議員が手を上げていった。
「首相、すいません早すぎて何言ってるかわかりませんでした。」
その台詞を聞き、室内のライアーを除いた皆が頷く。うつろな目で周りの議員を見渡したライアーは大声を出した。
「あぁーもう!!」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ふらふらと疲れた様子で資料が山ほど乗っかっている台車を引きながら魔王城の廊下を歩くライアー。
「…資料書くのとかは良いけど院会はもうやだ…」
あっちにふらふらこっちにふらふらと歩いているため、時々すれ違う侍女達が苦笑いしながら頭を下げて通りすぎる。ライアーがこの時期の院会に出席するたびに疲れているのは有名なことだからである。すれ違った後にメイド達が「首相って大変だよねー。」などと話をしているのを聞いた地獄耳のライアーは
「なんなら変わってくれよ…」
と独りごちる。またとぼとぼと歩きはじめると、廊下の角から見慣れた友人兼同僚の足が見えたため、ライアーは声をかけた。
「おや、ファンファンロじゃないか。仕事は終わったのかい?」
「あ、ライアー。ナターシャのとこに向かってるとこだよ。この書類届けたら終わり…今日も疲れてるみたいだね、ライアー。」
「あぁ…」
ライアーが話かけた人物はファンファンロと呼ばれた。茶髪に袖の長い服を着た少年である。だが、こんな風貌でも侍従・侍女達をまとめる、“侍従長(ホルタ―)”を務める男である。ファンファンロは小脇に抱えた大きい封筒をこつんと叩きながらライアーに言った。ライアーはピクリと耳を動かすと頭を抱えて言った。
「だってあいつらさぁ、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も言ってるのに学習しないんだもんよ、喧嘩するなつってぺや!院会で煽るなって何回も言ってるのにまったくまったくまったくまったくまったくまったく嫌にならぁ。まぁ慣れてくるまでの辛抱なんやけどさ。貴族院は貴族院で裏でなんだかんだ汚いことしてだれだれが裏切っただのだれだれが賄賂受け取っただのってさぁ(略)…だから疲れるんだよぉ…。」
ファンファンロは神妙な面持ちで友人の愚痴を聞く。そして、頷いてこう言った。
「ごめん、早口すぎて最後の疲れるんだよぉ…くらいしか聞き取れなかったわ。」
がっくりとうなだれていたライアーはファンファンロの言葉に顔を上げたまま固まり、また大声を上げた。
「あぁーもう!!」
「まぁまぁ、この後魔王様と話したりできるんだからその時言えば良いじゃない。てか、廊下で叫ぶなって。」
ライアーはまた項垂れた。そんな友人を横目に見ながらファンファンロは経済大臣室へと向かう。
「まぁ、頑張りなー。僕に手伝えることも無いし。ナターシャのとこ行かなきゃだからそいじゃね。」
「あぁ…。」
「あ、ちょっと待った。やっぱり一緒に来てくれる?」
「どうした?」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
経済大臣室の中では一人の女性が机に向かっていた。夏も間近という時期には似つかわしくない袖と襟の長いロングドレスを着ている、露出している肌は顔と手だけだ。とはいえ、そんな服を着ていても魅惑的なその肢体と顔つきは羨望や嫉妬の対象となりそうである。
「…」
もくもくと机に向かって書類にサインをする女性。すると、疲れたのか眼鏡を頭の蛇ではずして伸びをした。その後、脱力した体で壁を見るとだらしなくにへっと笑った。壁にかかっていたのは巨大な肖像画。
女性がにやけていると、ドアをノックする音が室内に響いた。女性は気を取り直すと澄ました表情で「どうぞ。」と答えた。
「ちーす、ナターシャ。ちょっとにやけてるとこお邪魔するよー。」
「失礼する…うぅ…」
「あんた達だったのね…それで、あたいに何の用?」
女性、ナターシャは足と腕を組んで二人を見た。ナターシャに見詰められたライアーは体を少しばかり硬直させた後、ファンファンロとナターシャを交互に見て駆け出し、物陰に隠れた。
「…別に取って食いやしないよ…。出てきなよライアー。」
「そうそう。」
「あ、頭ではわかってても本能的に怖いんだから仕方ないだろ。」
「…ごめん、何言ってるかわかんない。」
「ちくしょう!…俺はいいから続けてくれ。」
書棚の影から頭を覗かせながらライアーが言う。ファンファンロは友人のそんな姿を見て軽く溜息を吐くと、封筒からもう一つの封筒を取り出した。黒、赤、緑、黄の四色に染められたその封筒を見たライアーは耳をピンと立て、ナターシャは頭の蛇達を逆立たせた。ライアーは急いで魔法を唱える。
「“絶対消音化壁”。…なるほど、確かにファンファンロが動くだけのことだ。」
「差出人は?」
ファンファンロは封筒の裏面を見た。そして、そこに書いてある指名を読む。
「大統領…」
「…あそこがなんの用事で…ナターシャ、何かわかる?」
「あたいもわかんないよ。」
「僕も同じく。」
三人は悩ましげに溜息を吐く。
「物流とか移民とかで何かあったとか…?」
「…少なくとも魔族国内ではそういったことは起きてないね。」
ナターシャがファンファンロの問いに答える。
「そうかぁー…やっぱり魔王様に渡すしかないかなぁ…」
「あたい達が開けるわけにもいかないからね。問題は姫様だけど…」
「…?…あ、フェア様か。…誰かに気を引いといてもらうしか無いでしょ…。」
「クロノスは?」
「あいつには先に相談して、これを囮につけまわってる奴がいたら捕まえるようにしてもらってる。」
二人の大臣は納得したように頷く。
「んで…ナターシャはあとどれくらい仕事かかりそう?」
「えーと…二時間くらいだね…」
「了解…。先に行っとくよ?」
「良いよ、別にあたいはそんな事気にしないってば。」
「ういうい。そんじゃね。…そういや、夫の絵を見てデレデレするの止めたほうがいいよ?」
「う、うるさいね!さっさと行きなよ!!って、なんで知ってるの!?」
顔を赤くして反論するナターシャである。そんな彼女を反応を見て苦笑しながらドアを開けて出ていくファンファンロ。
「“絶対消音化壁解除”。そ、それじゃ、後でなナターシャ。」
ファンファンロの後をライアーが慌てて追う。そんなライアーを横目に見ながらナターシャは再び書類に目を通し始めた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
一方その頃、山奥の屋敷の一階リビング。アランはフェアの影響で部下から向けられたロリコン疑惑を晴らそうとしていた。
「だから…お嬢様!この二人に何を言ったのですか!!」
「別にぃ?」
「…魔王様。良いんですよ…。」
「やめろ、メイル!そ、そんな目を我に向けるな…!!お嬢様の言う事など信じるでない!」
「ちょっと…それはひどいんじゃない?」
チラリとフェアがアランを見る。アランはそのフェアの目に
(それ以上何か言ったら、一度殺してさらにいろんな疑惑つけるわよ…?)
という考えを見た。アランは掻き毟るように顔を覆う。怒りで荒くなる息を整えるため、深呼吸をした。そして顔を上げ、ゆっくりとフェアの方を見た。
「お嬢様。」
「…どうしたの下僕?」
下を向いて本を読みながらフェアが言う。
「まぁ…これについては時間が経てば疑惑が晴れると願いましょう。」
「ふーん。」
本のページをめくりながらフェアが言う。
「えー…実はです「へー。」ね…我の部下た「ほー。」がここに来るこ「なるほど。死亡フラグね…」すが………」
完全にスル―されるアランの言葉。
「姫様?」
「何?どうしたの?メイル?」
メイルの声に顔を上げ、にこやかに答えるフェア。アランは血管が浮き出るのを隠せていない。
「…えーと…私の同僚が来るらしいのですが…この屋敷の中に居てもよろしいですか…?」
「物を壊したりしなければいいわよ。あと、身長がどこかの馬鹿より大きかったりするのも駄目よ。」
「…どこかの馬鹿とは誰のことでしょうか…お嬢様…」
アランが質問すると、「何なんだこいつ、こんなこともわからないのかよ…」と言った感じの目でフェアが彼を見る。アラン、ストレスが軍馬の如き速さで溜まっていく。
「…大丈夫…で、す…。そ、そういうのは一応いないです、し…?」
何故怒っていないのかわかっていない様子だが、今にも怒り出しそうなアランにメイルとマーキュリーは怯える。
「そう、じゃあ良いわよ。…どんなのが来るの…?」
その質問に答えようとアランが口を開いた瞬間、リビングに魔法が展開した。
「…来ましたね。」
さすがのフェアもアランのその声に反応し、本をたたんで魔法の方を見る。視線の先に展開されている魔法は赤と黒が混ざった渦巻のようである。
「…なにこれ。」
「転移魔法ですよ。お嬢様。」
「いや…それは知ってるわよ…ただ、こんな色のゲート見たこと見たこと無いわよ…?」
「“空間転移門”の最上位魔法、“超距空間転移大門”。ですからね…。」
「…?そんな魔法聞いたこと無いわよ…?」
「我が重臣にしか教えていませんからね…。」
フェアはアランの言い方に訝しげに眉を顰める。と、そうこうしているうちに渦巻から三人…二人と一匹と言うべきか…が姿を現した。
「魔王様…と、お嬢様。失礼します。」
「し、失礼します…」
「お邪魔するでありやす。」
青い人、茶髪の少年、宝石を乗せた兎である。フェアは立ち上がると、スカートの裾を掴みお辞儀をした。
「初めまして。私はルークが娘、フェア・ハートレスと申します。以後お見知りおきを、皆様。」
突然起きた光景にアランは信じられないという目でフェアを見る。そんなアランの心情を知る由もない三人は順に挨拶をする。
「こんにちは、姫様。僕は侍従長(ホルタ―)を務めております、ファンファンロ・レーランテと申します。」
優雅に一礼。
「五大臣が一角、立法大臣のライアー・レッシオです。よろしくお願いいたします。」
「同じく五大臣が一角、警察大臣。クロノス・ジャン・ルーカスでありやす。」
そろって一礼。アランが三人に質問をする。
「ナターシャはどうしたのだ?」
「彼女はまだ仕事があるそうですので…先に来ました。」
「そうか…」
「まぁ、座っていて下さい。お茶を入れてきます…メイルとマーキュリーもどうぞ座ってて。」
そう言ってリビングを出ていくフェア。アランにとっては驚天動地の行動である。
すすめられるがままに椅子に座った三人は口ぐちに良い子ですね。と、言いあった。
「お前たち…騙されてはいかんぞ…あれは人の面をかぶった天邪鬼族だ…」
「魔王様…暴露されたからってそんなにムキにならなくても…」
「マーキュリーとメイルはいつまで信じておるのだ!いい加減目を覚ませ…!!頼むから…!我の精神をこれ以上削らんでくれ…!!」
「魔力からして…本心、です、けど。でも、無意識下の、事だったら…」
「…何の話をしているんだ?」
二人はアランの疑惑について話した。それを聞いたファンファンロが大笑いする。
「何故笑うのだ…ファンファンロ…。」
「だ、だって…っくく…ま、魔王様がロリコンなら…俺とか、おっさんのクロノスを要職に据えるはずねぇじゃん…ブフッ…」
「…そういえばそうね…。」
「確かに…そう、でした。」
「なんで納得するでありやすか!!」
心外だとばかりに声をあげるクロノス。
「魔王様すいませんでした…。」
「まことに、申しわけ…ありません。」
「よい。わかってくれたのであれば…。」
メイルとマーキュリーがアランに頭を下げると、リビングのドアが開き、フェアが紅茶セットを持って室内に入ってきた。
ティーポットにお湯を入れ、茶葉入れて蒸らし始める。
「熱いのが駄目な方は…?」
フェアが聞くと、アランとメイルを除いた全員が手を上げた。
「…じゃあ先に入れますね。」
「…先ほどから思っていたのですが何故、お嬢様は敬語を使っているのです…?」
「どうでもいいじゃない。ね?下僕。」
「アッハイ。」
三分ほど経ち、フェアはティーカップにお茶を入れる。ティーカップの数は8つ。
フェアは7人に紅茶を渡した。香り良く、色が良く。熱いものも普通に飲めるメイルは紅茶を飲んで、美味しい。と言った。
「ありがとう。はい、これ下僕のね。」
フェアがアランにティーカップを渡す。…見事に茶葉が大量混入している。
(こぉの小娘が…!)
アランは内心で怒りに震えるが、部下にいらない心配をさせない為に意を決して飲む。
(…っむ!…この食感…味…悪くないな…。)
…やはりこの男、重度の味音痴である。
「ライアーさん、あなたの種族はなんなんです?」
「わいの種族は宝兎族です。…可愛いとは言わないでくださいね?」
「ええ、わかりました。可愛らしい兎さん?」
「あ…いや…そ、それほどでも…。」
花のように笑いながらフェアが言う。ライアーは照れたように頭を隠す。それを見たアランは、
(悪女だ…)
と、考えてフェアに一瞬睨まれた。
「あ、姫様。少し魔王様と話がしたいのでよろしいでしょうか?」
「どうぞ。別にここでも良いわよ?」
「あ、いえ、大した用ではありませんので。」
「そう…?」
ファンファンロがドアを開けて出ていく。アランはそれについて行った。見送ったフェアは紅茶を一口飲むと、ポツリと呟いた。
「それで…どんな重要な話をしに二人は出て行ったんですか。」
にこやかに笑っていた…のか片方は分からないが、クロノスとライアーは氷つく。
「…ファンファンロさん、何かを隠してるんでしょ?どこか不自然だったもの。大した用ならわざわざ外に出る必要もないし…それに、小脇に抱えた封筒ね…不自然すぎるわよ。」
「な、何のことでありやすかね…」
「べ、別にわいたちは何かを隠そうとしたりとかそんなこと微塵もしてないですよ…?」
「ごめんなさい、ライアーさん。早口すぎて何言ってるかわからないわ。」
「ちくせう!」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「どうしたのだ、ファンファンロ。何があった。」
「…これです。」
ファンファンロは4色の封筒を取り出した。
「何だと!?差出人は!?」
「共生都市国大統領です。」
「…何を考えておる…。〝四主会議〟の開催だと…!?」
ファンファンロが深刻な面持ちで頷く。すると、そこに響く場違いな声。
「下僕?四主会議ってなんなの?」
アランとファンファンロがゆっくり声の方向に振り向く。視線の先にはフェア。
「な、なんでもありません…よ?」
「嘘おっしゃい。その後ろに隠した封筒はなんなのよ?」
「お、お嬢様にはか、関係ないことですから…」
「ふーん…」
フェアは意地悪く微笑んだ。
「まぁ良いけどね。私とお父さんに危害がなければ。」
そういうと、フェアは引き返していった。
「…今日はどうしたと言うのだ…。」
アランはそんなフェアの後ろ姿を茫然と見送った。




