カラスは涙を知っている
この街にはカラスと呼ばれている人々がいる。
樽一杯分の墨を全身にぶちまけたかのような異装。
顔を覗き見ることが出来ぬように、ガスマスクをしているものから、墨染めの布を巻きつけているものまでいる。
そう、彼らは顔を隠して、現れる。
朝日と共に街へ、繰り出し。
日暮れと共に巣に帰る。
そう、何十人という群れが街のあちこちに現れる。
その光景は、沼の底に淀む土のように重々しく、一種何かを崇拝する僧達のようですらある。
その異様な光景はいつからか、ここでは当たり前のものだった。
カラスたちはある日突然、街に現れるようになり。
気が付けば、彼らはこの街に受け入れられている。
ごみ拾いや、清掃。各地でボランティアをしている群。
農家やらスーパーの廃棄品があると聞きつけて、炊き出しをしている群。
楽器を演奏したり機械修理をしたり……お経なんかを唱えている変わり者までいる。
彼らは時に、自警団として街を回り、老朽化の激しい建物や危険な場所について、誰よりも把握し警鐘を鳴らし続けている。
警察から異様な団体としてマークされながらも、協力体制にある彼ら。
俺は……この街でカラスと呼ばれている。
さて、どこから話そうか。
ううん、話したくない。
いやね、きっと話を始めるには、話した方がわかりやすくなる事柄があると思う。
だが、人間には話したくないこともあるだろう?
こう思うということは、いまだ俺はどこか過去を割り切れていない、そういうことなんだろうな。
ううむ、簡単に言ってしまえば……。
一言で言えば、俺は会社をクビになったんだ。
クビになった切っ掛けはどうだっていい、なにかの失敗の、そのすべての責任を、俺がひとりで負うことになったんだと思ってくれていい。
……俺は社会で一番、信頼していた人に捨てられたんだ。
ろくに貯金も出来ず、その日の暮らしがようやくだった俺は、とうとうアパートまで追い出された。
残ったなけなしの金を見て、俺は最後に全部酒に使ってやろうと思ったんだ。
人生はもう終わったんだと思った。
人生の最期くらい、ぱっとやりたいじゃないか。
翌朝、俺はごみステーションのなかで寝てた。
「おい、そこの若いの」
俺を起こした最初の一言は、そんな言葉だった。
それは低くかすれた、酒焼けしたようなような男の声だった。
「ここで寝てたら風邪を引くぞ。 ……寝るなら、さっさと家に帰れ」
俺はその言葉にイラっと来て、言い返す。
今気持ちがいいところなんだ、ほっといてほしい。
「俺に家なんかないよ、ほっといてくれないか。 もうこのままのたれ死ぬ予定なんだから」
俺がそう言い返すと、その声の主は誰かと相談を始めた。
「どう思う? この若いの」
「いやぁ、どうもこうもここに置いておくのはまずいだろう」
「しかしなあ……。俺達のようなのといても、まずいんじゃないか?」
「ううむ…」
俺はその相談しあう声を聞いているのか、聞いていないのか。
思い返せば覚えているものだけど、二日酔いついでにのたれ死にする気だったから、無関心だったのだろう。
「おい、若いの立てよ」
「ほっといてくれ、って言ってるだろう」
そう言い返したら、勝手に肩を貸されて起こされた。
そこで、むっとして見てみたら。
全員、黒尽くめの異様な人間が十数人もそこにいたわけで。
俺はなにもそれ以上言えずに、固まった。
別の意味で死を覚悟した。
きっと、これ以上ろくでもないことになる、と思ったんだ。
どれだけ自分は不幸なんだよ、と嘆いたような気もする。
気が付いたら間借りしているのか、でっかいテントに連れて行かれて甲斐甲斐しくおばさん方に世話を焼いてもらった。
もちろんみんな上から下、髪の毛先から足のつま先まで黒尽くめだ。
全身、嘔吐物まみれだったり、ごみで薄汚れてたにも関わらず、いやな顔せずにおばさん方は俺の世話をしてくれた。
いや、だいたいの顔が隠れてたんで、本当はいやな顔のひとつくらいはしていたのかもしれない。
それでも、自暴自棄になった俺みたいな若造の世話をしてくれたんだ。
「ああ、この服サイズよさそうだね。ほら、着替えなさいよ」
「水飲むかい?」
「どうせ、ろくに食べてないんだろ? 味噌汁飲むかい?」
「ひどく汚れてるね、顔くらい洗いなさいよ」
「ほら、この布で髪を拭いて」
正直、どこまでなにをしてもらったのかも覚えてない。
食事から、着る物。寝る場所。全部、面倒見てもらって。
気が付いたら、俺はカラスだった。
どこにも行く場所のなかった俺はカラスになった。
カラスになる前は、遠巻きに見る得体の知れない集団でしかなかったが。
こうしてみると、とても色々なことをしている。
この間なんか、警察に捕まって事情聴取されるかと思ったら、ぜんぜん様子が違った。
ふらっと、うちの古株さんがやってきて、この辺で起きた事件の目撃証言なんかをその警官さんに教えていた。
カラス同士でいろいろな情報を共有しているらしい。
どこからお金が出ているのやら、当たり前のように携帯電話を片手にし、たくさんの人に話を確認しながら警官と話していた。
なかにはカラスの格好をして、悪いことをする他所者もいるらしいのだが、そんなことをすればここの連中がただじゃすまさなかった。
それどころか、だ。
「おじさん、ちょっと聞いていい?」
「なんだ、若いの」
「あの人、なんかしたの?」
俺の指す先には、それぞれの腕を大男二人に掴まれて、引っ張られていくカラスがいた。
時々、カラスの中じゃある光景だった。
「ああ、なんでも薬に手を出したんだと」
「薬って?」
「聞かなくてもわかるだろ、悪い薬だよ。それを売りさばこうとしたらしい、うちでそんなこと許されるわけないのにな」
「あー……、あの人どうなるの?」
「さあ? 知らなくていいだろう、どうせ二度と顔を見ることはないだろうしな」
そう言われて、そのまま何事もなかったかのように俺は今夜の寝床に案内された。
その夜は、まともに家具のない空のアパートで、みんなで雑魚寝をした。
誰の持ち物かはわからないけど、みんなまるで自分の家のように使っていた。
私物なんて言えるものは、ほとんどなかったけど皆で互いの持っているものを分け合った。
俺も何事もなかったかのように眠れた。
不思議なことに、それが当たり前のことのように思った。
もう姿も見ることのない彼を、思い出すこともないだろう。
今まで助け合ったことがなかった訳じゃない。
でも、アイツは群を危険にさらした裏切り者だ。
だから、もうカラスじゃない。
ここの人たちはみんな俺にとって、大切な恩人なんだから。
ある夜のことだった。
俺は見回りを、他のカラスとしていた。
カラスはみんな、スプレーやら警棒の使い方を教わったりして、自分の身の守り方を教わる。
数少ない若い女性や、子供のカラスなんか特にだ。
年若いカラスは一番大切にされているけれど、それだけ俺達みたいな身分が保証されていない人間が危ないという事なんだと思う。
たぶん詳しく聞いたことないけど、元警官とかのカラスもいるんだと思う。
だから、そういった危険に関するについては数え切れないほど教わることが出来た。
たまにまったく人生に役に立たない下ネタやら女の口説き方も、年長のカラスが酔っ払ったときに教わる羽目になるけど、この環境下でどう使えというのだろうか。
それはさておき、俺が夜の見回りしているとき。
髪を染めた若い人物達が、高架下で大騒ぎしているのを見つけた。
どうやら、金属バットなんかを片手に、スーツ姿の中年を追い回しているように見える。
オヤジ狩り、という奴だった。
話には聞いていたが、現場に出くわしたのは初めてだった。
他のカラスたちもそれに気付いて、立ち止まる。
遠巻きに見ながら、電話で応援を呼んでいるカラスもいる。
この黒尽くめの格好のせいか、まだ気付かれていないらしい。
そうだよな、いきなり突っ込んだりしないよな。
だが、俺はなぜか気が付けば。
走り出していた。
うずくまる傷だらけの中年の姿を見て、そのまま見ていられなかった。
「あ? なんだ、こいつ」
「おい、こいつカラスとか言われてる奴じゃね?」
「なに見てんだよ、オマエに関係ないだろ」
どうやら彼らは、俺が一人で来ているものだと思っているらしかった。
恐怖を感じなかったわけじゃない。
でも、ただ見てることがなんだかそれよりもすごく怖かった。
「た、助けてくれぇ……」
かけていたのだろうメガネは半壊となり、血まみれの中年が俺の脚にすがり付いてきた。
その男が顔を上げて、俺を見たとき。
俺はひそかに息を呑んだ。
……課長?
そう、この人は。
俺を見捨てて、クビにした男だ。
その男が今、俺に助けを求めている。
「死にたくない……、助けてくれぇ」
男は俺の正体に気付いていなかったようだった。
それはそうだ、俺は顔を隠している。
知り合いにさえ、ばれないように念入りにガスマスクでだ。
俺は、この人が誰より憎くてたまらなかった。
「頼む。 家族がいるんだぁ… 娘も妻も、邪魔そうにしてるけど… もし自分が死んだら、まともに生きてけないはずなんだ」
俺は、この人のせいでクビになった。
死ぬことさえ覚悟した。
俺が生きてるのは、カラスのおかげだった。
カラスがいなければ、死んでいたかもしれない。
「いいから、おっさん。 別にアンタが死んでも誰も悲しまねえよ」
「マジ、ウケル。 そうだよ、アンタさ、自分の臭い嗅いだことある? 鏡、冷静に見たことある? めちゃくちゃ臭いし、見た目も最悪じゃん?」
「奥さんも娘さんも、もっとかっこいい人見つけるって。 いや、もう見つけてるか。 じゃないと耐え切れないわ」
そう言って、笑う若者。
「なあ、カラスさん。アンタもそう思うだろ?」
ああ、俺は確かにそう思う。
こんな奴がのうのうと生きてる資格なんてない。
でも、俺は。
「俺はカラスだ」
俺はこいつが憎い。
今にも殺したいくらいに。
この若者たちと同意見だ。
でも。
「俺はカラスだ」
だから、俺は警棒を抜いた。
「ありがとぅ… ありがとぅ…」
俺にすがり付いて泣きじゃくる男がとても哀れに映った。
「いいから、さっさと帰れ。アンタには家があるんだろ」
鼻水と涙と血でぐちゃぐちゃになりながら、男はうなづいた。
他のカラスに肩を貸されて、立ち去っていく。
若者たちは薬を打たれた後、針金で親指同士を結ばれるように拘束された。
そのままワゴンに乗せられ、どこかに連れられていくようだった。
俺はそのあと散々、古株のカラスに叱られた。
おばさん方に「怖かったろうによく頑張ったね」とこっそりほめられて、夜食の味噌汁をもらい、ようやく一息つく。
マスクをはずすと、涙が流れていた。
涙が入った味噌汁をすする。
元上司が俺に泣きつく姿を思い出して。
俺はもう、あの人たちとは違う。
俺はカラスだ。




