『柔』と『剛』
男は丹田に呼気を練り、力が逃げぬよう大地を強く踏み込んだ。その蹴った爪先の向こうには、防戦一方の対戦相手が身を固くしている。相手は既に勝ちへの道筋が絶たれているため、その額には大粒の汗が流れ、そのまま頬を伝っていくのが遠目でもわかる程だった。
そんな相手の脇腹に、無情にも男の凶悪な打突が襲いかかる。防御の上からでもお構いなしといった感じの、殴打に近い暴力的な斬撃。刀身が織りなす鈍い衝撃音の後、なす術もなく対戦相手は膝から崩れ落ちていった。
『決まったぁ~! 痛烈な一撃でコネルク選手ダウン! 起き上がる事ができません!』
地に伏せた対戦相手に審判が歩み寄り、手を交差させるジェスチャーを行う。瞬間、闘技場が溜息で溢れた。弱き者が淘汰され、強き者だけがその存在を主張できる場所、闘技場。しかし、その神聖な場所の中心にいる男の背には、何故か疎らな拍手しか送られないのであった。その理由は至って簡単である。
シグナ国での闘いとは、向かい合った両者の優劣をただ決めるものだけではないのだ。そこに熱さが、えも言われぬ趣がなければ――そういった暗黙のルールがあった。剣の振るい方ひとつにしても、やられ方ひとつにしても、客へのアピールひとつにしても、何かしら熱さが必要なのだ。それは闘いを国の一大興業とした、シグナ国が背負った宿命ともいえる。
『圧倒的な強さで勝負を運んだビネガー選手、今回もその薙刀で、対戦相手のコネルク選手から無傷で勝利を収めました! あ、あれ? ビネガー選手はどこへ……? え、もう退場しちゃった? あらら……』
とはいえ、勝者に賛辞を贈らないのは愚かなこと。既に闘いの舞台から姿を消した男に、観客は不満を感じながらも拍手をするのであった。そんな観客を再燃させるため、実況者が気を利かせたコメントを行う。
『さ、さぁ! ビネガー選手が勝利した事により、これで皆が待ち望んだ好カードが実現しますよ!? そうです! ビネガー選手の次の対戦相手はテン=ゲッカ! 月ノ灯流のテン=ゲッカ選手だ!』
その言葉に観客はまんまと飛びつき、闘技場は皮肉にも今日一番の歓声に溢れた。直前に起きたつまらない試合の事などは、もう誰もが忘れ去ってしまっていた。
月ノ灯流のテン=ゲッカといえば、今大会の目玉とも言われる存在だ。初出場にしてその強さは未知数。東洋の剣士の風貌で、日本刀だけでここまで勝ち進んできた強者だ。対戦相手を悉くカウンターで倒す独特な闘い方は、まさにシグナ国が担う闘いに打って付けのエンターテイメントともいえる。
対するは、強さのみを求めた寡黙な武人。つまらない、熱さが足りないと揶揄されるが、それだけ圧倒的な強さを公式の場で披露してきた証拠であろう。恵まれた体の持ち主であり、得物はリーチの長い薙刀を用いている。その男の名は、ビネガー=マルティネス。
『この絶対に見逃せない試合は三日後、再びここザヴァン闘技場で行われます! 連日満員御礼が続いておりますが、この日のチケットは既に完売済みだ! はたして勝負の行方はどうなってしまうのか!? 観客の皆様、乞うご期待ください!』
『柔』の戦士が勝つのか、それとも『剛』の戦士が勝つのか……。この話題は試合当日まで、ありとあらゆる場所で論議が繰り広げられたという。




