幸運の女神
戦闘斧を両手持ちにして、レオは通常時より低く構えた。下半身に力を込めて、最後の攻撃の機を窺う。こちらの出かかりに、また『月面歩き』とやらをされたらひとたまりもない。覚悟は決まっている。後は本当に機を待つばかりだ。
レオの打倒予告から、更なる興奮を湧きあがらせた観客たちも、おそらく最後になるであろう激しい攻防を見逃さんと、固唾を呑んで見守っていた。しんと静まり返る闘技場。聞こえるのはジャリ、という自分の摺り足の音のみ。
パリン
突如、何かが割れる音がした。観客の誰かがビールの入ったグラスでも落としたのだろうか。レオにとっては何でもよかった。最も難しいはじめの一歩を踏み出す事ができたら、後は闘いの神様にでも運命を託そう。
レオは瞬時に相手に飛びかかった。
「激震斬!」
試合開始直後に見せたレオの技、空震斬を上回る勢いで戦闘斧がゲッカに襲いかかる。軌道は然程変わらないが、そのスピードと威力は空震斬よりもはるかに上だ。ゲッカはあの時と同じ方向、同じ動きでそれを躱した。敵ながら鮮やかな回避行動、だが、これがレオの作戦だった。
『あぁ~~っと! これは!?』
鈍い音を立てて石板と戦闘斧が激突する。その衝撃で石板が砕け、いくつかの石礫がゲッカの顔周辺に打ち付けられた。たまらずゲッカは顔をそむけて後退する。そこで思わぬアクシデントが起こった。いや、レオにとっては幸運と呼ぶに相応しい出来事だった。
石板に入った亀裂に足を取られ、ゲッカは大きくバランスを崩してしまっていたのである。これ以上ないと言っていい僥倖。実力差のある対戦相手から、どうしても見出せなかった勝機を掴んだのだ。ここが勝負所、全てを出し切る!
「はあああああああああああああ!」
激震斬による衝撃で大きく上空に跳ねあがっていたレオは、全身全霊を込めて戦闘斧を振り降ろす。相手の命を奪いかねないという感情の揺らぎよりも、ただ勝ちたい、勝利をこの手に収めたいという純粋な願いが勝った瞬間だった。渾身の一撃を、あいつに、月ノ灯流のテン=ゲッカに……!
そこでレオははっとした。バランスを崩したと思っていたゲッカが、禍々しい殺気を放って迎撃態勢を取っているではないか。レオを見上げる漆黒の瞳は、彼のその後の運命を悟っているようでもあった。
はめられた。
亀裂で足を取られたのはフェイク。
全ては隙の多い大技を出させるための布石だったのかッ……!
「レオッ!」
どこからか、メイサの悲痛な叫びが聞こえた。
ごめん、メイサ。俺もうダメかもしれない……。
レオの鳩尾に何かが突き刺さる。貫かれた衝撃で、レオの意識が遠のいていく。意識が途切れる前に彼が最後に聞いたものは、それまで何一つ話さなかった対戦相手の声だった。
「月ノ灯流奥義、三日月――」
*
『いやぁ~セノンさん、本日の闘い、改めて振り返っていかかでしたか?』
『そうですね……。結果的にはゲッカ選手の勝利となりましたが、負けてしまったレオ選手にもあっぱれと言いたいですね。見所はたくさんありましたが、特に最後の攻防はよかったですね。ただ、レオ選手のあれだけの猛攻を抑えきったゲッカ選手の方が、やはり一枚上手だったという事でしょうか』
『ゲッカ選手の最後のあのフェイク、実況している私などはまんまと騙されてしまいました』
『あれはすごいですね……。レオ選手の石板の破片を利用した激震斬も見事ですが、あの流れで相手の攻撃を誘いますか……。何はともあれ、ゲッカ選手はまたもやカウンターで勝った、という事になりますね』
『最後は腰の入った肘打ち三連発、三日月という奥義を見せましたね。……おや、セノンさん、どうされましたか?』
『いや、今気づいたんですが、その三日月というのは、「三回突く」というのとかけているんじゃないかと……』
『んな、な、なななんとぉ!? そうなのであれば、ゲッカ選手は茶目っ気溢れるネーミングセンスの持ち主ということになりますが!? 残念ながら既にゲッカ選手は退場してしまったようです! 今度伺う機会があれば、ぜひその真実の是非を問いたいものです。
さぁ、注目のカードはゲッカ選手の勝利という結果に終わりましたが、シングルトーナメントはこれからも続きます。このザヴァン闘技場に、月ノ灯流のテン=ゲッカより強い奴が現れるのか!? 今後の闘いがますます見逃せなくなってきたぞぉ! 実況は私、九海。解説はセノン・オージムさんでお送りしました。セノンさん、どうもありがとうございました!』
『はい、ありがとうございました』
実況が終わりを迎える中、メイサは目に涙を浮かべて選手治療室に向かっていた。途中何度も係員に呼び止められ、必死に説得してやっとそこに着いたのが一〇分後。日本刀で胸を貫かれたわけではないが、レオは攻撃を食らった後ぴくりとも動かなかった。
もしレオの身に最悪の事態が起こっていたとしたら?
そう思うと気が気でなかった。最後に伝えたのがあんな言葉だなんて、後悔してもしきれない。不安定な鼓動を抑えられないまま、メイサは治療室の前で立ち尽くしていた。扉を開けようにも、体がそれを拒絶する。脳裏に過る嫌な予感が拭いきれず、メイサはドアノブを掴もうとしては、その都度右手を止めた。
メイサが躊躇している間に、勝手にドアノブが回り、扉が開く。見た事のない藁でできた履物が目に入る。メイサが目線を上げると、そこには黒い着流しを着た男が立っていた。そう、レオの意識を途切れさせた張本人、対戦相手のテン=ゲッカだ。
親の敵でも見るようにメイサはゲッカを睨んだが、ゲッカは表情一つ変えず去って行ってしまった。人をあんなに傷つけておいて、あの憎たらしい態度。メイサは腸が煮え返るような憤りを覚えたが、そこで自分がここに来た理由を思い出した。メイサの胸に急に不安が戻り、小走りで治療室の奥のベッドへと向かった。
「あれ? メイサ?」
「レオッ……!」
上半身を起こしてきょとんしているレオに、メイサはたまらなくなって抱きついた。
「うわあぁ! ちょ、メイサ!?」
看護士のおばさんのねめ回すような視線をよそに、メイサは熱い抱擁を止めなかった。
「バカバカバカ! 何で打倒予告なんかしたの!? 私があれだけ止めようとしたのに!」
「わ、悪かったって……。もうあんな事は絶対しないから」
メイサの肩に手を寄せ、泣きじゃくる彼女をレオは優しい声で慰めた。
「……ほんとに?」
「ほんとほんと。だってお前は幸運の女神だし」
「な、何よそれ? どういう意味!?」
いつものように、レオの頬をぐにぐにとしようとしたメイサだったが、彼の思わぬ発言に不覚にもドキッとさせられてしまった。少し恥ずかしかったのだろうか、レオも顔を逸らして軽くはにかんだ。
「ついさっきさ、対戦相手のあいつが、俺の容態を心配してここに来てたんだよね」
「え……? そう、なんだ……」
「ちょうどいいから色々と話を聞いてみたんだけど……。何つーか、ほんっとに掴みどころのない奴でさ、面白いんだよ。最後に俺がやった激震斬だって、大体どういう技が見当がついてて、フェイクを仕掛けたって言うしさ~。どんだけ強いんだって話だよ。だから俺、奴がここから出て行く前に聞いてみたんだ、『最後、何でお前は武器を使って止めを刺さなかったんだ?』って……」
レオは頬を上げ、歯を見せて笑った。
「そしたらあいつ、何て言ったと思う? 『お前の名前を叫んだ観客の声にびっくりして、手から日本刀がすっぽ抜けた』、だってさ。全く、よくわかんない奴だよ」
一人目終了です。こんな感じで進んでいくお話なので、これからもどうぞよろしくお願いします。




