闘いに実況はつきもの
試合当日。結局あの一件以来、一言もメイサと会話する事無くこの日を迎えてしまったレオ。控室から出てすぐにあるベンチに腰かけて、自分の名を呼ばれるのを待っていた。あの後すぐにメイサに謝ったものの、まるで相手にされなかった事は、ひとまず心の隅にでも置いておくしかない。今は目の前の試合に集中しなければ。
太股の上で軽く組んだ手をぼうっと眺めて心を整えていると、左にある階段の向こう、闘技場へと繋がる入場口から威勢のいい女性アナウンサーの声が響いてきた。いよいよか、とレオは身を引き締めた。
『さぁ、本日もやって参りました! 最強を決める闘い、シングルトーナメントの予選六日目。例年にも増して、今年はさらに真夏日が多いそうです。実況は私、九海(チュー=ハイ)。解説には、前回のシングルトーナメント本選にも出場した、セノン=オージムさんにお越しいただいております。セノンさん、今日はよろしくお願いします』
『はい、よろしくお願いします』
『連日の真夏日に負けるとも劣らぬ、熱い闘いが繰り広げられる闘技場ですが、本日のザヴァン闘技場には、既にほぼ満員の客が押し寄せています』
『このカードは見逃せませんね……。僕もただ解説しにきたわけじゃありませんから』
『おぉっと!? セノンさん、それは今回の勝者が本選に勝ち上がってくるのを見越して、偵察も兼ねていらしたという事でしょうか!?』
『もちろんです。闘いは剣を交える前から始まっていますから』
『さぁ、実力者であるセノンさんのお墨付きをいただきました今回の対戦! 余計な説明は不要でしょう、さっそく選手の入場です!』
スタッフに行くよう促されたレオは、狭くて暗い階段を上がり、出入口で一旦足を止めた。身体が少し震えている。怖気づいたわけではない、むしろその逆だ。攻略の糸口が掴めない対戦相手、大勢の人々による歓声で満ち溢れた闘技場。否が応でも湧き出る高揚感を抑えきれない。俗に言う武者震いというものだ。得物を持つ右手に力がこもった。走り出してしまいそうな自らの両脚を抑えて、レオは歓声が待つ闘技場内に一歩足を踏み入れた。
『一人目は、シグナ国でその名を知らない人間はいないとも言われる有名ブランド、バーナード武具店。その名門武器屋の跡取り息子、レオ=バーナード選手の入場だぁ!』
斧を持った青色の髪の青年の姿が見えると、闘技場にさらなる歓声が轟いた。思わずレオは闘技場に集まった群衆を見渡した。全員が全員、自分の視界に映る人間が全て、自分の事を見ているではないか。老若男女問わず、拳を突き出していたり、口に手を添えたりして自分に声援を送っている。
しかし、人間と言うのは不思議な生き物で、雑多な群衆の声援の中から、聞き覚えのある声だけ器用に聞き取れたりするのである。カクテルパーティー効果と言えば、ご存知の方もいるだろう。レオはまさしく、そのカクテルパーティー効果を体験するのであった。
「レオのバカ~! 甲斐性なし~! 負けたら許さないから~~!!」
一際クリアに聞こえたその声の方を見ると、幼馴染のメイサが観客席の最前列で熱いエールを送っているではないか。何か色々と罵声のようなものも混じっていたが、この際エールという事にしておこう。
武者震いが起こる程度に昂ぶっていたレオは、メイサのおかげで良い按配に冷静さを取り戻したのだった。そのせいもあってか、スピーカーから放たれるテンションの高い実況者の姿を、レオは捉えることができた。自分が出てきた入場口を仮に南口とすれば、実況席は東側の観客席の最前列、その区切られたスペースにあった。
そこでマイクを持って、大きな口を動かしている女性が九海という実況者だろう。メイサと比べると大分小柄な人だが、セミロングの髪型と、肩のラインが見える露出の多い服装からして、自らの魅力を自覚しているのが窺える。メイサにも見習ってほしいものだ。
その実況者の隣にいるのが解説者だろう。自分より少し年上に見えるその青年は、九海と違って律儀にマイクをスタンドに立てて喋っている。さすが前回の本選出場者とあって、自分を見据えるその構えに隙がない。おそらく今自分が接近して得物を振り下ろしても、あっさりと躱されるどころか、反撃されるかもしれない……。群衆の歓声が響く中で、レオはそんな事を思いながら歩を進めた。
『右手に戦闘斧を引っ提げての登場です! あの斧ももちろんバーナード武具店のものでしょう』
『およそ十年前に鉄砲が開発され、刃物を振るう時代は終わったとも揶揄されましたが……。鉄砲は鉄砲のみを扱う大会を開くという事で落ち着き、由緒正しきシングルトーナメントは消滅する事無く今も続いています。これもバーナード武具店を始めとする多くのブランド、そしてそれを扱う達人たちの強い訴えのおかげに他ありません』
『そうですね。ただ、そのバーナード武具店の大事な跡取り息子が出場するにあたり、数多くの噂が囁かれております。何でも、レオ選手のお父上から出場の許可が下りなかったとか……』
噂が流れるのは本当に速いものだ。まさか既に実況者の耳にまで入っているとは思わなかった。しかも、その噂が事実であるというのもいただけない。気まずくなったレオは、実況者の声を切り裂くように得物の戦闘斧を振るい上げ、その場で軽い演武を行った。バック転や宙返りなどをして見た目は良いが、全く実用的ではない派手な演武である。
歓声に応える形になった、活きの良い若者のパフォーマンスに観客は大いに喜び、実況者の言葉はかき消されてしまった。九海が少し驚いて口を噤むのを見て、レオはほっと胸を撫で下ろした。
『事情はよくわかりませんが、彼が非凡な武の才能を持っているのは事実です。男なら誰でも、強くありたい、強いという事を証明したいのは当たり前ですからね』
『セノンさん、レオ選手の今回の見所というのは一体どこにあるのでしょうか?』
『戦闘斧による豪快な立ち回りと思い切りの良さ、そしてバーナード製の武器ならではの特性を、いかに引き出せるかどうかですね』
『ならではの特性、というのは……?』
『それは見てみればわかるでしょう』
『むむ、詳しく追及したいところですが、ここまでにしておきましょう! そしてそして~、皆様お待ちかね、二人目の選手の入場だぁ~!』
九海のその言葉を待っていたと言わんばかりに、歓声のボルテージが一気に上昇する。自分が通ったところのちょうど反対側の入場口を、レオは真っ直ぐな瞳で見つめた。
『月ノ灯流のテン=ゲッカ選手の登場です!』
通路の暗闇から、対戦相手がゆっくりとその姿を現す。静まり返った夜を彷彿とさせる、深い闇色の着流し。緩い曲線を描く刀を携え、足には稲藁でできた履物を履いている。東洋特有のサムライ・スタイルだ。
『さぁ、まだ予選である今回の対戦ですが、このザヴァン闘技場が熱気に満ちているのは、この人のおかげと言っても過言ではありません! それほどの実力を持っているという解釈でよろしいでしょうか、セノンさん!?』
『これまでのゲッカ選手の闘い方を見る限りでは、ですけどね。後手に回りながらも勝ちを収めてきましたが、今回のレオ選手相手にそれが通用するかどうか……』
『セノンさんがおっしゃる通り、ゲッカ選手の今までの勝ち方が、全てカウンターによる一撃での勝利という、極めて珍しいものとなっています。これはゲッカ選手が狙ってやっているという事ですよね?』
『間違いないと思います。ただ、初見の相手にそんなリスクの高い行動を取るのは無謀とも言えます。そこに何の意図があるのかはわかりかねますが、何であれ予選とは思えないハイレベルな試合が期待されますね』
沸き起こる歓声を全身で浴びながらも、精神の乱れ一つも感じさせないのは流石と言わざるを得ない。一重瞼から覗かせる漆黒の瞳は、必然的に正面にいるレオの姿を捉えていた。ゆっくりとこちらに近づいてきているのに、好戦的な気配は一向に感じ取れない。強敵であるが故のその立振舞いに、レオはネガティブな溜息を漏らした。だが、それと同時に神に感謝した。自分の全てをぶつけられる相手と、巡り合わせてくれた事を。
『戦闘斧のレオ選手に対して、ゲッカ選手は日本刀という東洋の剣を使用しています。これについてはいかがでしょうか?』
『間合いはほぼ互角、太刀筋的にやや有利なのは日本刀のゲッカ選手ですが、闘い方に癖がありますからね。必然的に先手を取れるレオ選手が、どういう闘いの組み立て方をしてくるかどうかだと思いますよ』
正方形の石板が敷き詰められたフィールドに登壇する。レオは別段気を緩めたわけでもなかったが、今日の歓声がやけに甲高い事に気がついた。集中しようにも、嫌でも耳に入ってくる。女性達の声援だ。
『お聞きのように、闘技場には黄色い声援が渦巻いております。セノンさん、これに関してはいかがですか?』
『いかがですかと言われても……。実力と容姿、天に二物を与えられた者同士の闘いですから、ここにいるお客さんは運が良いですね。新たな歴史の一ページを見届ける証人になれるのですから』
『さぁ、記念すべき五〇回目のシングルトーナメント。その予選ながらにして、歴史に名を残す戦士が本日現れるのか!? いよいよ試合開始です!』