異性との駆け引きは苦手
「あ~、死ぬかと思った……」
借りた一室に着くまでの道中、ずっとメイサに頬を抓られていたレオは、解放された後痛そうに抓られたところをさすっていた。涙目になって座っている彼は、またも恐怖に脅かされた。バンとテーブルを強く叩かれて、メイサに凄まじい視線で睨まれているのである。
「さぁ、どういう事か説明してもらおうかしら」
「一体何の話だよ?」
「この期に及んでまだ恍ける気? 恍ける分だけほっぺを引っ張ってあげるけど」
「それはご遠慮願いたい」
「じゃあ話して。洗いざらい全部!」
額がついてしまいそうなほどメイサに顔を近づかれて、レオはたじろぎ、すごい剣幕で自分を睨むメイサを宥めた。
「話すも何も……。あの人達が美味い店知ってるらしいから、教えてもらおうと思っただけだよ」
「……ほんとに?」
「ほんとほんと」
一瞬メイサの表情が緩んだのを見て、強張らせていた全身を解いたレオ。隙を見せた彼の頬に再びメイサの手が忍び寄る。抓られると思ってレオは顔を顰めたが、抓るのではなく、顔の中心に寄せるように両の頬をぐにぐにと圧迫させられ、何とも間抜けな顔にさせられた。
「よくも心配させてくれたわね! このっこのっ!」
一頻りメイサのいいようにされ、やっと解放された時には、メイサだけでなくレオもなぜが息を切らせていた。
「はぁ、はぁ……。心配って、メイサは俺の保護者じゃないんだからさぁ」
「保護者じゃなくっても、ちゃんとあなたのお父様から頼まれてるの! 『あのバカ息子をよろしく頼む』って」
「よく言うよ。ここで会った時は泣きついてきたくせに」
レオとメイサは昔からこんな様子で、有り体に言ってしまえば幼馴染という関係である。幼稚園に通う前から、レオの行く所に綺麗な黒髪の少女の姿があった。レオがいいところのぼんぼんだと知ったのはずっと先の事であり、メイサはレオの両親にも好かれていた。そのためか、財産や見た目だけでレオに近づいてくる不埒な女を、メイサは悉く撃退 (?)していったのである。
だが、彼らが思春期に入ったあたりから、その関係に少しの変化が起きた。今まで口うるさいとばかり思っていたメイサが、可憐な成長を遂げてみせたのだ。上質な絹糸を彷彿とさせる黒髪。全てを惹きつけるような大きな瞳。服の上からでもわかってしまう胸の膨らみ。それらは、昔から一緒にいたレオでさえも意識してしまうほどだった。自分の変化に気づかぬメイサ、そんな彼女の無防備さに付け込もうとする男達を、レオは彼女の目の届かぬ所で蹴散らしていたのだ。
だから、メイサが自分を追ってザヴァンまで一人で旅しているというのを聞いた時、レオは気が気でなかった。何事もなく再会できてほっとしたのは、メイサだけではなかった。
「あれはしょうがないの! あなたが私の事を待たずにザヴァンに行っちゃうから悪いのよ! 野宿なんて、もう一生やりたくない」
「ほんと、頼むからもうそんな無茶はしないでくれよ? トーナメントの事以外で悩みたくないんだからさ」
彼女と再会を果たし、話を聞いてみると驚きの連続だった。今、彼女が呟いたように、林を抜ける道の少し離れたところで野宿をした事から始まり、ヒッチハイクで馬車に乗り、日銭を稼いだりしてようやく辿り着いたと言うのだ。
今、こうして自分と一緒にいるのが奇跡だと言っていい。能天気さを自覚しているレオだったが、今回ばかりは頭を抱えざるを得なかった。そのうえ、彼を悩ませているものは一つではなかったのだ。
「それはそうと、いつになったら家に帰るの?」
「いや、勝ち進んでる以上帰るわけには……って、負けてほしいみたいな事言うなよ」
「あのね、私はあなたの事を心配して言ってるの。いくらなまくら刀とはいえ、トーナメントで命を落とすのは珍しい事じゃないんだよ? お父様に顔を合わせるのは嫌だと思うけど、意地張るのかっこ悪いよ」
バーナード家に代々受け継がれてきた家業が、レオが歩む未来へのレールに既に敷かれていた。それは当然の事だと毎日のように聞かされてきた。でも、自分も普通の子供のように、最強の戦士を目指して剣を振るいたい。裏方ではなく、表の舞台に立って名声を浴びたい。レオはずっとそう思っていたのである。
振るう得物は剣ではなく斧になったが、幸か不幸かレオは武の才能を開花させてしまった。自分がどこまで強くなったのか試してみたい。その一心で今回のトーナメント出場の許しを父親に乞うたが、父は頑として首を縦に振らなかった。そんなわけで、レオは家出同然で故郷を飛び出し、トーナメントに出場したのである。それで幼馴染のメイサも追ってきたという経緯だ。
「優勝して意地を張り通すっていうのも考えたけど、対戦相手も結構強くなってきたからなぁ」
「はぁ……。普段は間抜けなのに、言い出したら全然人の話を聞かないんだから」
「ちゃんと聞いてるって。……それに、もしかしたら最悪、次の試合で最後になるかもしれないし」
「負けるってこと? レオが?」
メイサは大袈裟に首を傾げてみせた。少なくとも彼女が見た中では、幼馴染のレオが闘いで負けたところを見た事がなかったからである。そのレオが、弱音とも言える言葉を漏らしたのだ。青い髪の後ろを撫でながら困った様子のレオを見る限り、彼がいつも以上に悩んでいるのは明らかだった。
「う~ん。どうも無茶苦茶強いらしいんだ、次の対戦相手」
「どんな人なの?」
「月ノ灯流のテン=ゲッカっていう人らしいけど。自分からは攻撃しないで、全てカウンターで相手を倒してきたんだってさ」
「カウンターで? 全員?」
「そう。圧倒的な力量の差がなければ、そんな芸当は出来ない……。相当な剣の使い手だろうな。作戦は一応立ててあるけど、果たしていけるかどうか……」
普段使わない頭を働かせて考えたレオの作戦。対戦相手が情報通りの力量なら、こちらの勝算は極めて低い。ただ、勝負に番狂わせは付き物だ。それを起こすくらいの実力なら持ち合わせているはずだ。
ぼんやりと花瓶の中の花を見ていたレオだったが、変なものを見るメイサの視線に気づき、ぶっきらぼうに訊ねた。
「……なに?」
「珍しいなぁと思って。あのレオがこんなに悩んでるだなんて」
「そう、悩んでるの。だからメイサの事でいちいち悩んでる暇なんか、これっぽっちも――」
乾いた音が室内に響く。おもむろに立ち上がった幼馴染の少女の瞳は、今にも雫が零れ落ちそうなほど潤んでいた。長旅によるストレス、鈍感な想い人に対する不満。色々な思いが悪い方向に偏ってしまったのだ。
「……バカ!」
短い言葉を残し、メイサは部屋から出てしまった。彼女の繊細な心を傷つけてしまうような事を言ったのに、未だ気づかぬレオ。はたかれて少し赤くなった頬を抑えながら発したものは、彼が言おうとした言葉の続きだった。
「ないんだけど……」