女の闘い
大通りにあるテラスで情報屋から話を聞いた後、レオは自分が宿泊する宿屋に向かって歩いていた。宿屋までは大通りから東に四つ通りを跨いだ先にある。さて、とレオは少し考え事をしていた。それは次の対戦相手の事ではなく、ただ単にこの少々空いた時間をどう過ごそうかと思っていたのだ。
宿屋に戻って昼寝というのも、明後日の試合を考慮すれば決して良いとは言えない。かといって街をぶらぶらするというのも、土地勘のない場所を行き来するのは迷子になる事間違いない。レオの住んでいる場所はザヴァンのさらに西に在り、山を二つほど越えなければいけない辺境の地にあるからだ。
そうこうしている内に宿屋の傍まで来てしまい、レオは自分の青い髪の後ろを撫でて、しばらく考え込んでいた。考え事をする時に後ろ髪を撫でるのは彼の癖である。そんなレオの前に、若い女三人が恐る恐る話しかけてきた。
「あの~、すみません。ちょっといいですか?」
「へ? 俺?」
まさか自分が話しかけられるとは思わず、レオはその整った顔に似合わない素っ頓狂な声を出して自分を指差した。真ん中にいる、ウェーブのかかった橙色のロングヘアーの女性が、その少し吊り上がった目を輝かせた。
「はい! あの、私達、さっきテラスの近くの席に座っていたんですけど」
その若い女三人をよく見ると、確かに自分が情報屋の話を聞いている時に、隣でひそひそと噂話をしていた人達のようだった。顔までは覚えていないが、テラスの近くの席にという事は、ほぼ間違いないだろう。レオは素直に「うん」と頷いてみせた。
「もしかして、明後日の予選に出場するんですか?」
「あ、うん。そうだけど」
「え!? じゃあ次の対戦相手って……」
今度は左にいる栗色の髪の女がレオに話しかけた。その女性のフリフリの衣服を見たレオは、やっぱり都会の子はお洒落だな、などと呑気な事を思い、対戦相手の名前を思い出そうと空を仰いだ。
「え~っと、確か珍しい名前だったな……。テン=何とかっていう――」
「うぇええええ!? ちょ、ちょっとどうする? ゲッカ様の対戦相手だって!」
レオの言葉を待たずに、右の活発そうな女がすごいリアクションを取った。その女性の言葉で、レオはようやく思い出した。テン=ゲッカ、次の対戦相手の名を。
「うっそ~!? この人が? ヤバいよ、ヤバいって! ゲッカ様にも引けを取らないイケメンじゃない!」
「あ、あの~。もしよければお名前聞いてもいいですか?」
「俺はレオ。レオ=バーナードってんだけど」
「バ、バーナードォォ!?」
またもや右の女性がオーバーリアクションを取る。ホットパンツからすらっと伸びる太股がとても印象的でスタイルも良く、黙っていれば可愛い部類に入る女の子なのにもったいない、とレオは密かに思っていた。
自分の名を聞いて驚かれるのは、実はレオは慣れっこだった。
「バーナードって言ったら、一流の戦士達が好んで使う有名ブランド、バーナード武具店の……!」
「あ、うん。俺の親父が社長だよ」
「どえええええええ!?」
ただ、どうもこの右の子はリアクションが過ぎるようだ。
真ん中の吊り目の子が言ったように、バーナード武具店というのはシグナ国でも名の知れた武具店である。レオの祖父のそのまた祖父が興した企業で、その精巧な造りと『絶対に悪さはしない』という企業理念。また、それに基づいた画期的な武器を数多く輩出して、絶対的な地位を確立した優良ブランドである。現在はレオの父、タイガー=バーナードが経営しており、今もなお多くの戦士達から、他の追随を許さない人気を博している。
早い話が、このレオ=バーナードという青年は、大金持ちのぼんぼんなのである。それに加え、一定水準以上の見た目と非凡な武の才を併せ持つ、ある意味で最強の戦士だった。彼の少し抜けている性格を差し引いても、充分過ぎるほどにだ。
であるからして、こういう風に女性に言い寄られるのは、レオにとっては然程珍しくもない出来事だった。右のホットパンツの娘が、これでもかというほどの上目遣いをレオに向けた。先程のオーバーリアクションはどこにいってしまったのだろうか。
「あ、あの、レオさんってやっぱり、彼女とかっていますよね? もしくは許嫁とか?」
「え? いないよ、そんなの」
「じゃ、じゃあこれ! 私の家の住所が書いてあるんですけど」
「あ~! ミカってばずるい! 私も、私も渡しますからちょっと待っ――」
左のフリフリの服の娘がバッグをまさぐろうとした矢先、
「あんた達!」
という声と共に、真ん中の吊り目の娘が両サイドの友人二人をグーで軽く殴った。
「あうっ」
「いった~い」
「ったく、あんた達はどこまで頭が回らないのよ! いい? こういうのはやったもん勝ちよ」
三人娘はレオの真ん前でヒソヒソ話をし出した。とは言っても、当のレオには全て丸聞こえであったが。
「やったもん勝ちって何? イリーナわかんな~い」
「……はっ! ロコロ、それって……」
「ミカはわかったようね。そうよ、既成事実を作ってしまえば後は野となれ山となれ、よ」
「だから~、イリーナわかんないってば~」
「こういう事だってば」
ホットパンツのミカという娘が、フリフリの服のイリーナに耳打ちをした。しばらくして、イリーナは顔全体を赤く染まらせてもじもじしだした。気を取り直してとでも言うように、真ん中の吊り目の娘――ロコロは、橙色の髪をなびかせて上品そうな態度で振舞った。あくまでも上品そうな、ではあるが。
「すみませんね。ミカとイリーナったらそそっかしくて」
「い、いや別に」
「それであの、もしレオ様が構わないのでしたら、一緒に御夕食などはいかがでしょうか? ザヴァンは私たちの庭みたいなものですから、きっと素敵なお店を紹介できると思うのですが」
それはレオにとって願ってもない提案だった。評判はおろか何の料理屋かもわからぬ店に入るのも、それはそれで乙なものではあるが、できればはずれの店は引きたくない。一般的には、地元の人間に聞いて回るのが良しとされるが、土地勘のない自分がそれをするのはやや気が引ける。
目の前で繰り広げられていた、ヒソヒソ話の内容すら察知できないレオの鈍感っぷりは、三人娘にとっては幸いだったのだ。
「ほんとに? いや~助かるよ。ちょうど美味い店ないか誰かに訊こうと思ってたんだよね」
「さ、左様ですか。それなら早速――」
ロコロがレオの右手を取った瞬間、宿屋の入り口付近から大声が放たれた。
「レオ!」
その声の主を見た時、三人娘の一人、ミカはこう語った。「殺気で髪が揺らめいているのを初めて見た」と……。
艶やかに伸びた漆黒の髪、自らのスタイルを存分に熟知した華麗な着こなし。そして同性の目から見ても見惚れてしまいそうな凛とした顔立ち――。三人娘の良い所を全て合わせても、引け目を感じさせられる女性がそこに立っていた。
ただ唯一残念だったのが、その女性がすごい剣幕でこちらを睨んでいる事だ。いや、どうやら彼女の視線の先には青い髪の青年、レオしか視界に入っていないようだった。
「げ! メイサ!?」
レオが彼女をそう呼ぶのを聞いたか聞かないでか、メイサと呼ばれた華麗な娘はずかずかとレオに歩み寄り、彼の頬をちぎらんとする程の力で抓り、無理矢理ロコロの手から引き剥がした。
「いでっ! いででででっ!」
メイサはほんの一瞬だけ、三人娘に強烈な一瞥をくれたが、何も言わずに宿屋へと消えていった。レオの頬を抓って強制連行しながらである。場所は西地区中央都市ザヴァンのとある宿屋の前。時刻は午後の五時を回ろうとしていた頃の出来事であった。