闘いは情報から
シグナ国、西地区中央都市ザヴァンにて。
闘技場を中心に、蜘蛛の巣のようにして道路が張り巡らされている。都市によってこそ異なるが、太い通りに行けば大体の事は済ませられる。大衆が行き来するある通りに、朝から屋台で飲んだくれるしょうもない中年もいれば、その一方の向かいの上品なテラスでは、若い女達が好みの男性のタイプについて和気藹々と話している。少し奇妙な風景だ。
だが、その相容れない組み合わせにそれぞれ共通している話題がある。それは、現在進行中で行われているシングルトーナメントについてだ。
「ねぇ、それより明後日のチケット買った?」
「買ったよ~! まだ本戦じゃないのにすごい人混みだった! やっぱりゲッカ様って、すごい人気なんだな~」
「ほんとほんと! ファンクラブもできたみたいだし」
「え~、もう!? 最初に目を付けてたのは私達だったのに、何だかゲッカ様が段々遠くに感じちゃうなぁ……」
「しょうがないよ。久し振りにザヴァンから強い人が出てきたんだし。しかもその人が筋肉ダルマじゃなくって、めちゃカッコいいんだから噂はすぐ広がっちゃったし」
「あ~あ、また新たな人材を発掘しなくちゃいけないのかなぁ」
「ねぇねぇ」
一人の若い女が何かに気づき、友人の肩を指で突っつく。
「隣の青い髪の人、トーナメントの出場者かな?」
「ほんとだ、でっかい斧……」
「そこじゃなくって! 顔見て、顔!」
「……あ、割といいかも」
「でしょでしょ!? ちょっと話かけてみよっか」
「え~、さすがに積極的過ぎじゃない? それにさ、~~」
自分の噂話をされている事に気がついた青年だったが、残念ながら今はそれどころではなかった。雑念を払い、今一度相席する意地悪そうな鉤鼻の老人の話に耳を傾ける。
「――そこで彼奴は半身で躱し、敵の脇腹に一閃かまして勝ちやした。今まで、彼奴が二の太刀を振るった事はないようですぜ」
「……どうにも信じ難いな」
青年は椅子にもたれかかり、腕組みをした。青年の名はレオ=バーナード。今回のトーナメントに出場している、志高き若人である。隣のテーブルに座る、名も知らぬ女性に注目されるくらいには顔が整っており、彼女らだけではなく、既に『美男戦士』という雑誌の編集者から声をかけられたのは、つい先日の出来事であった。
だが、そんなレオの次の対戦相手がかなりの強者であるらしく、その強さがどれほどのものであるかを知るべく、こうして情報屋に高い金を払って聞いている次第だった。鉤鼻の老人は妖しげな笑みを浮かべ、癖のある声をレオに発した。
「あっしの言う事は本当だよ。ここザヴァンじゃあ『情報屋のハムカッチ』を知らない奴はいねぇ。ありのままを伝えるのがあっしのポリシーなんでね。だがまぁ、その代わりこっちのほうは高くつくんですがねぇ」
ハムカッチと名乗る情報屋は、右手の親指と人差し指で輪を作り、銭のジェスチャーをした。情報屋に聞いたのはあくまで気休めで、そして本当に気休め程度の情報しか得られなかったレオは、嘆息して不満を漏らした。
「にしても、二万マニーはいくらなんでもボッタクリ過ぎなんじゃない?」
「うぇっへっへ、そう言いなさんな」
いかにも、という悪い笑い方のハムカッチに、これ以上時間を割く必要もない。そう判断したレオは席を立った。
「じゃあ、俺はこれで」
「待ちな、あんちゃん」
踵を返そうとしたレオは、少し驚いて鉤鼻の情報屋の顔を見た。ハムカッチはまだその皺だらけの顔に、怪しげな笑みを残していた。
「彼奴についてのマル秘情報が、まだ一つあるんでさぁ」
「え、マジで? 早く教えてよ」
レオがそう言うと、ハムカッチはさらに頬を上げてにんまりとし、テーブルの上に両の手の平を差し出した。
「もう5千マニーいただきやす」
「……下衆い商売だね。悪いけど遠慮しとくよ。あんまり無駄遣いするとあいつも五月蝿いし」
呆れかえって再び踵を返そうとするレオだったが、「ちょぉっと待ったぁ!」というハムカッチの叫び声に足を止めてしまった。周囲の人間が一斉にこちらを向いたものだから、レオは仕方なく再び椅子に腰を下ろす羽目になった。ハムカッチは気にすることなく話を続ける。
「彼奴との闘いの後、あんちゃんがあっしに彼奴の情報を教えてくれるんなら、特別にタダでお話してもいいんですがねぇ」
「……というか、そっちが本命だったんじゃない?」
「うぇっへっへ、察しがいいですねぇ」
「まぁ、俺も死ぬつもりは毛頭ないからね。少しでも勝率を上げておきたいから、聞くだけ聞いておくよ」
「毎度あり!」
レオが座り直すのを見届けた後、一呼吸置いてハムカッチは一段と声を潜めて話した。
「で、そのマル秘情報なんですがね」
周りの音にかき消されそうなその声に耳を傾けるため、レオは右耳をハムカッチに向けて聞き取った。
「今まで戦ってきた連中が、揃って同じ事を言うんですわ。『嫌な予感がした』って」
「嫌な予感?」
「彼奴に斬りかかろうした瞬間、それまでうっすらとしか感じなかった彼奴の殺気を当てられた……と言う輩もいやした。体感した事のない手前、どういう感覚かはわかりかねやすが……。あんちゃんは良い人そうだから、特別に教えておきやした」
先程まで饒舌に話していたハムカッチの語り。その語りは潤滑さを満たしたままであったが、何となく含みを持つような謎めいたものに変わっていた。どうやら次の対戦相手は、ただ単に剣技が優れているというわけではなく、殺気すらも操る事ができる強者らしい。
だからといって、二日間という短い期間に完璧な対策を練られるはずもなく、レオは情報屋の言葉を鵜呑みにする事しかできず、後ろ髪を撫でて視線を宙に泳がせるだけだった。
「殺気か……。よくわかんないけど、とりあえずヤバいと思ったら避ければいいのかな? あんまり期待してなかったけど、思ったより良い話が聞けたよ。ありがと」
「あっしとの約束、どうか守ってくだせぇよ」
簡単に言ってくれるものだ。いくらなまくら刀とはいえ、行われるのは真剣勝負。しかも相手が強ければ強いほど、致命傷は避けられなくなってくる。まぁ、単なる情報屋がその恐怖を知らなくて当然か。
レオは一人で納得し、右手を上げる軽い挨拶を残して席を立った。向かうのは宿泊先の宿屋。そこのベッドでもう少し作戦でも練るつもりだ。