本当の強さ
『き、き、決まったぁ~~!! ゲッカ選手の渾身のカウンターが突き刺さり、ビネガー選手ダウン!』
糸がぷつんと切れたように、暴君は地に沈んで動かなくなった。観客の声は渦を巻き、嵐となって闘技場を駆け巡る。試合終了のゴングが鳴り、激闘を繰り広げた両者が退場した後も、その興奮は冷めずに沸騰し続けていた。
観衆が織りなす轟音の中では、実況の声が通る事も許されず、しばらくは九海もその熱狂に身を委ねる事になった。
ようやくほとぼりが冷めたところで、改めてスピーカーから九海の声が届く。
『いやぁ、ズィーノさん。改めて今回の試合、いかがでしたか?』
『ふん、これっぽっちも期待してなかった分だけ、少しは楽しめたわな』
『まったまた~! 私は気づいてましたよ。最後の攻防の時、ズィーノさんが身を乗り出して観戦していた事を。握りこぶしに力が入っていましたね~』
ごつんという音の後、『ふぎゃ!?』という実況者の悲痛な叫びが響く。
『馬鹿たれ! 俺を見てねぇで、闘いの様子を逐一実況しろってんだ』
『うぅ~。赤く燃える夕日の如く、私のおでこも赤く腫れあがっております……』
『んで、何で誰も帰ろうとしねぇんだ? この後、余興がおっぱじまるってのか?』
『それはもう、ズィーノさんのありがたい解説を皆が待っているのですよ!』
『はぁ? ったく、揃いも揃って物好きな連中ばかりかよ』
『顔がにやついてますよ、ズィーノさ――ふにゃ!? ……では、ズィーノさん。最後の攻防の解説を、どうぞ』
額に両手を当てて涙目になっている九海をよそに、ズィーノはあさっての方向を向いて解説を始めた。
『お天道様の気まぐれを、月ノ灯流が上手く利用したな』
『え? あの時は日が出ておらず、どちらかといえばビネガー選手のほうに運が傾いていたのでは?』
『あの野郎はそれを逆手に取ったのさ。日が出ていなければ相手は反撃できない、もしくは相手自ら前に出てくるしかない、っつー薙刀野郎の思考を読んで、少しだけ踏み込んだ。問題はその後だな。月ノ灯流は何をしたと思う?』
『ふぇ? 何をしたのですか?』
『何もしなかったんだよ。強いて言うなら、薙刀野郎のカウンター潰しの体当たりを誘ったんだ。「カウンター潰し」潰しってわけだな』
『す、すごいですね! お互い相手の思考の裏を取り合っていたわけですか。その裏取り合戦を最後に制したのが、ゲッカ選手という事ですね!?』
『そういう事になるが……。この俺様は言ったはずだぜ? 月ノ灯流は奴との間合いを完全に支配したってな。俺様はこの試合の途中で誰よりも速く、月ノ灯流に分があると判断した』
『おぉ!? そう言えばそうでした! ズィーノさんは途中でそんな事を仰っていましたね。それでは、ズィーノさんから見て、この試合を決定づける場面はどこだったのでしょうか?』
『月ノ灯流が奥義「煌」を出したところ、だな……。あれで薙刀野郎とのリーチの差も意味を成さなくなった。だから薙刀野郎は、「煌」がきた瞬間に絶対体当たりをぶちかます、という選択を取るしかなかったんだ』
『しかし、最後の攻防の時は日か出ておらず、ゲッカ選手は「煌」を出せない状況でしたよ?』
『いいぜ、ねーちゃん、そこに気づくとはな。確かに「煌」が使えないあの状況下では、まともに地上戦をやっても月ノ灯流に勝ち目はなかった。薙刀野郎には当て身があるからな、どんな攻撃を食らっても引き分けに持ち込められる。だから月ノ灯流は、相手の当て身を出させて、相手が自ら無防備で突っ込んでくるのを待ち構えていたんだ。つまり、それは……』
呼吸を一つ入れて間を置き、ズィーノは再び口を開けた。
『「煌」が使えようが使えまいが関係なしに、必ずそうなるように仕組められた月ノ灯流の作戦だったって事だ』
『へぇ~……!』
『つっても、薙刀野郎がここまで持ち堪えたから最終的にこうなったわけで、月ノ灯流は二回目の「煌」を使ったときに勝負を決めにいったんだけどな。何にしろ、心理的に分があった月ノ灯流が、自分の間合いに無防備の相手をおびき寄せたのは必然だった……。間合いを完全に支配したってのは、こういう事よ』
『それじゃあズィーノさんは、ゲッカ選手が初めて「煌」を出した瞬間に、結末が見えていたという事ですか!?』
『そうは言ってねぇ。あの時点では、あくまでも月ノ灯流が有利となる要素が一つ増えただけだ。そして最終的に奴らの勝敗を決めたのが、そのたった一つの要素だった……ってぇわけよ』
『はへぇ……。「煌」という奥義一つで、目には見えない様々な読み合いが発生していたんですね!』
『……ま、そういう事だな』
『最後はゲッカ選手、「朧」という技で締めくくりました。ズィーノさん、この技に関してはいかがでしょうか?』
『いかがも何も、よくできた横っ斬りじゃねぇか。ただのかっこつけだ』
達人同士だけが知り得る殺気の応酬を、ズィーノはあえて解説で伝えなかった。「朧」という技が、相手の攻撃を誘発させる殺気の牽制なのだと、ありのままに解説してしまっては興が削がれる。天気がそうなのと同じように、ズィーノという男もまた気まぐれなのだ。
『さて、仕事も終わったし、俺ァ帰るぜ。じゃあな』
『え、えぇ!? ちょっとズィーノさん!? ――行ってしまわれました。少し面倒くさがりなところもありましたが、ズィーノさんには高度な読み合いを事細かく解説していただきました! いずれあのお方が舞台で大暴れするのかと思うと……。私、背筋に戦慄が走っております。おでこも痛いです!
それはともかく、注目の対決は月ノ灯流のテン=ゲッカ選手に軍配が上がりました! 前評判を覆す見事な試合運び! 観客の皆様も大いに酔いしれた事でしょう! 私、九海、このザヴァン闘技場で実況出来る事を誇りに思います! しかし、まだまだトーナメントは続きます! これからもまた闘技場に足を運び、興奮を皆で共有し合える事を願って、本日の締めとさせていただきます。本日は誠にありがとうございました~~!』
*
最後の試合から一時間も経たぬうちに、ビネガーは一礼だけ残して医務室を後にした。新たに刻まれた傷の痛みは、鎮痛剤の効力を越えて体中を疼き走る。巻かれた包帯からは鮮血さえも滲んでいるが、それでも巨躯の男は壁を伝って歩み出した。右足を引き摺り、背負った薙刀の重みでふらつきながらも、ゆっくりと。
血の混じった痰が喉を絡ませる。――敗北の味だ。
けれど、不思議とそれに負の感情はなかった。闘いの舞台で修羅と化した、ビネガーの彫り深い顔つきは、今は人間らしい生きた表情に戻っていた。唐突に家族の顔を思い出し、彼らの元へ帰ろうと思い立ったのである。何故だかはわからないが、その強い思いがビネガーの足を動かしていた。
通路の曲がり角に差し掛かると、そこには一人の男の姿があった。通路の闇に紛れるような、暗色の佇まい。独特の着流しと曲線を描く鞘、そして漆黒の髪を見れば、その正体は一目瞭然だった。ビネガーを地に伏せさせた張本人、テン=ゲッカその人だ。
ビネガーは目を丸くしたが、歩みを止める事はなかった。自分の痛ましい姿を捉えるその瞳に、これほどの敵意も感じられなかったから。無表情の中に隠れた彼の感情が、今になってようやく悟る事ができたのだ。
手を伸ばせば届く距離で、二人は互いに向き合った。こうして相手を見下ろせば、いかに体格の差があったかがわかる。顔も腕も胸板の厚みも、ビネガーの一回りは小さい。それでも刃を交えて最後に立っていたのは、他ならぬ彼なのだ。ビネガーの顔には、悔しみを通り越した朗らかな微笑みが浮かんでいた。
「テン=ゲッカ。汝のおかげで、拙者はようやく導く事ができた。改めて礼を――言わせていただきたい」
「…………」
月ノ灯流は口を開かず、その代わりにビネガーの双眸を真っ直ぐな瞳で見つめた。
「戦いには敗れてしまったが、拙者の心は今、晴れ渡る青空のように清々しい。汝の剣戟が、拙者にかかる呪縛を解き放ってくれた。敗北の味が、拙者を目覚めさせてくれました……。拙者の導き出した答え、聞いてくだされ」
「…………」
激闘の中で月ノ灯流から感じ、そして得たもの。
いや、それはいつの頃からか忘れてしまい、置き去りにしていた本当に大切なもの。
一騎当千、天下無双。そんな言葉は二の次だという事。
「強さとは――」
最後の台詞は、あえて明記しませんでした。
この話の冒頭(第9部)を再度見れば、すぐにわかると思いますので、気になる方はチェックしてみてください。
次の更新日は未定ですが、必ず続きは書きますので、それまで温かい目で見守っていただけると幸いです!




