表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
打倒月ノ灯流!  作者: 東京輔
二人目! 剛の武人 ビネガー=マルティネス
18/19

決着

 独特の鉄の酸味が口内に広がる。口に溜まった異物を唾液と共に吐き出すと、それは紅く濁っており、自身に並々ならぬ負傷を受けた事をビネガーは悟った。太刀をもろに浴びるなど久方振りで、そのどうやっても慣れない苦痛は巨躯の男をも地に伏せさせた。傷口を抑えた手の指からは、温かい液体が止め処なく流れている。

 観客の期待とは裏腹に、男は歯を食い縛らせて立ち上がった。周囲からは残念そうな嘆息が重なり、低い和音となって場内を廻る。今の一撃であの暴君を仕留められなかったのは、月ノ灯流にとって大きな痛手。『小よく大を制す』とはならずに、前評判通りの結果になってしまうのか。


 観客のその予想は、すぐさま杞憂となって吹き飛んだ。月ノ灯流の剣士もまた、漆黒の髪と着物を汚しながらも、ふらふらと立ち上がったのである。その表情にいつもの余裕は見られなかったが、まだ勝負を諦めていないその姿勢に、客は声援を送って剣士を労った。


「いいぞ、月ノ灯流! あのデカブツを倒しちまえ!」

「ゲッカ様お願い、勝って~~! これからの私の人生、全部あなたに捧げるから~~!」


 場内は確実に、月ノ灯流のホームへと変貌を遂げた。もはや観客とゲッカ全員で、悪役(ヒール)となったビネガーを倒さんという雰囲気が立ちこめる。実況を務める九海(チュー=ハイ)はそれを敏感に感じ取った。


『おぉっと!? ここにきてゲッカ選手へのエールがものすごい事になっています! 場内を駆け巡り響き渡るゲッカコールは、一体どの通りにまで聞こえる事となるのでしょうか!? 記録によりますと、今から五十七年前の三十一回目のトーナメントで、シオンストリートまで声援が届いたという記録が――ふにゃ!?』

『んな事ァどうでもいいんだよ。そんな昔の記録を伝えるより、今ここで誕生する歴史を見届けるんだ。それが実況の務めだろうが』

『うぅ~。ズィーノさんの仰る事はもっともなのですが、できれば私の事を痛めつけるのはやめていただきたく……。おでこにたんこぶができちゃいますよぅ』


 間の抜けた実況とは対照的に、フィールドで相対する二人の戦士の間では、張りつめた緊張感が漂う。互いに息は荒く、それでも眼光を光らせて相手の姿を離さない。どちらが重傷を負っているのか、どちらが先に仕掛けるのか、どちらが最後に立っているのか。

 そんな中、ビネガーの脳裏には別なものが過っていた。まだ自分が未熟だったころの、鍛錬の日々。体力不足で呼吸が追いつかず、格上の相手に見下された日のことを。感情を強く持つだけでは体を制御できない事も知らずに、悔しさと怒りで拳を震わせた辛い日々。

 強敵と刃を交わす事だけでしか得られない、特別な体感。危機感と血の味が、唐突にそれを思い出させてくれた。昔と変わらないのは、どんなに不利な状況でも立ち向かう、闘いに真摯な姿勢のみ。

 もはや敵に送られる声援すら、自分の耳に届かない。立ち塞がる敵、月ノ灯流を倒してこそ、えも言われぬ充足感、強さとは何かがわかるはず。修羅と化したビネガーの瞳に迷いはなかった。


 この世に闘いの神がいるというのならば、それはこの時だけビネガーに手を寄せたに違いない。夕暮れに染まる視界が、突然輝きを失った。ビネガーにとって願ってもない勝ちへの道が示されたのだ。


『これは……。太陽が雲で覆われ、明るかった場内も一時的に暗くなっています』

『……ここしかねぇな。ねーちゃん、次が勝負所だぜ?』

『ふぇ? ……あ、そうか! 日が出ていなければ、ゲッカ選手の奥義「(きらめ)」が使えないという事ですね!?』

『おう、そういう事よ。わかってきたじゃねぇか、ねーちゃん』


 実況者の言葉を聞くなり、観客は落胆の色を露にした。勝ってほしいゲッカにとって絶体絶命。しかし、敵のビネガーにとってはこれ以上ない絶好の機会。

 肺の中にある空気を全て吐きだした後、ビネガーはゲッカに向かって猛進した。


 右足親指の付け根、そして左わき腹と、ゲッカに効果的なダメージを与えられた今、ビネガーの打突は鈍り、薙刀の軌道は波打つまでになっていた。しかし、ゲッカもその甘い攻撃を咎められず、闘技場には刃が交じり合う金属の和音が響く。双方共に、己の持つ武器の重さに苦しめられるその姿は、それぞれの武器に操られる道化のように痛々しかった。


「ぬ゛うぅッ!」

「くッ……!」


 気迫だけで薙刀を振るうビネガーと、それを何とか耐え忍ぶゲッカ。両者とも苦しそうな声を漏らして、それでも刃を交えさせる。不規則に奏でられる得物の衝突音は、彼らの悲鳴とも取れるようだ。

 もはや達人同士の闘いとは程遠い、気持ちだけで持ち堪えている試合。傍から見ればみっともなくも見えただろう。ビネガーはそれを恥じた。武人たるもの、心技体を使いこなせて当たり前。『体』の輝きを失った今の自分では、相応の闘いを披露する事などできぬ。


 しかし、観客の反応は思いも寄らないものだった。


「がんばれ~~! どっちも負けるな~~!」

「おう薙刀野郎! そこまでいったら死ぬまで闘い続けろや!」

『これは一体どういう事だ!? これまで打倒ビネガームードだった場内でしたが、ちらほらと彼を応援する声も聞こえています!』


 ビネガーにはわからなかった。鋭さを失った今、図体だけでかいだけの戦士となった自分に、なぜ声援が送られるのか。みっともない姿を嘲笑う声などはなく、むしろそれを称賛するかのような温かい声援が、ビネガーの耳を通してひしひしと伝わってくる。

 既に右足の感覚はなくなり、力は入らない。額には脂汗が浮き出て、薙刀を振るうと共に飛散する。得物が交錯するだけでも、手に伝わる痺れが関節を痛めつける。こんな哀れな自分のどこに魅力があるというのか。


 薙刀を振るい続けながら、ビネガーは動揺を覚えていた。日は未だ現れない。それまでに決着をつけなければという焦り、そして月ノ灯流がその時を待っているという誤った予測が、ビネガーの冷静さを曇らせていた。


 ビネガーが薙刀を振るう前に、ゲッカは膝を折って屈んでいた。負傷したビネガーは薙刀の軌道を変化させる事もできず、そのまま薙刀はゲッカの頭頂部を掠めていく。敵との距離はおよそ十五尺。ビネガーに大きな隙が生まれ、観客は一斉に息を呑んだ。



 刹那、ビネガーに恐るべき殺気が襲いかかる。



 ほんの一瞬の油断を悔いる時間もなく、敵の放つそれは徐々に迫ってくる。一度は耐えたが、二度目のカウンターを体一つで受けきる自信はない。


 だが、漢に後退の二文字はもっとない!


 月ノ灯流と共に朽ち果てる覚悟を以て、ビネガーは鋼の肉体を前面に突き出した。どんな苦痛も、どんな衝撃も、どんな罵倒もねじ伏せてみせる。武人の誇り高き尊厳を体現した、決死の体当たりだった。


 ビネガーにとって、敵と衝突するまでの時間は永遠のように感じられた。

 もしかしたら、自分は既に天国にいるのではないかと錯覚してしまうほどに。

 構えども構えども、敵の殺気と衝突する時間はやって来ず、ついにその時が訪れる事はなかった。


 それどころか、いつの間にか敵の殺気は雲散霧消していたのだ。


 目を開けた先にあるものは、捉えられなかった月ノ灯流の姿。

 零距離で放たれる()(せん)の一撃は、ついにビネガーの意識を途絶えさせたのだった。


「月ノ灯流奥義、(おぼろ)――」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ