煌の正体
『さぁ、次々と起こる新たな展開に、私を含む観衆の皆様も大興奮! ビネガー選手の「月面歩き」返しが決まったと思いきや、ゲッカ選手も負けじと新技で対抗するという大盤振る舞い! これには目の肥えたお客様も頷く他ありません! 今日闘技場にいらしたお客様は非常にラッキーですね、ズィーノさん!?』
『へ、最後の最後にどっちかが凡ミスしなきゃいいがな。だが、これまでの攻防は俺様も認めてやるよ』
『そうですね、まだ試合は終わっていません。勝利の女神の祝福を受けるのは、両者のうち一人だけ。今はじりじりとした時間帯が続いていますが――と、これは!?』
薙刀を構えるビネガーに少しの変化があった。巨大な岩の如くその不動の構えに、おかしな挙動が見られたのである。その原因は言うまでもなく、先刻のゲッカの放った一撃にあった。
『ビネガー選手、足を負傷したのか!?』
十七尺という間合いを一気に詰めたゲッカは、日本刀の切先がギリギリ届く距離で、ビネガーの右足に狙いをつけたのである。右足の甲の、親指の付け根に一閃。見た目に派手さはないが、これがビネガーにとって効果てきめんだった。
重量のある武器を振り回すには、それだけ大地を蹴る力も大きくなる。速いムーブができない代わりに、軸を固定して強烈な剣戟を繰り出すビネガーにとって、足の踏ん張りが利かないのは致命傷と言っても過言ではなかった。
『しかしビネガー選手、それでも薙刀を振るう~~!』
牽制の下段攻撃を放つと、右足に焼けるような痛みがビネガーを襲う。踏み込みの甘い攻撃は、当然のようにゲッカに見透かされた。力むほどに右足の痛みは強さを増し、かといって力を抜いた生温い攻撃では、ゲッカに触れる事はおろか、得物を交じり合わせる事すらできない。
今の立ち回りを見た観衆が、有利になったゲッカに声援を送る中で、スピーカーから低い声が響いた。
『あいつ……。いい眼をしてやがる』
『え? ズィーノさん、今何と――』
『見ろよ、あの薙刀野郎の顔を。不利な状況になったってのに、ますます凄みを増してきやがる。修羅の眼だ、闘うために生まれてきた修羅の眼が、今になって輝きだしてるぜ』
眉間に携えられた幾重もの皺、敵の姿を睨み離さない双眸、激痛で歯を食い縛らせる厳つい表情。ビネガーの顔は、東洋に古くから伝わる伝説の生き物、鬼の形相と呼ぶに相応しいものであった。それは、ビネガーが今までに培った闘いの経験から生まれた、『心』と『技』の集大成。薙刀を振るわずとも相手を黙らせる、気迫の牽制だった。
ゲッカを応援している観衆は、ビネガーの鬼の形相を見て息を呑んだ。反撃ムードだった場内の空気すら変えるこの暴君を、月ノ灯流の剣士は迎え撃つことができるのだろうかと。
「ぬうぅッ!」
そうこうしている内に、ビネガーが再度薙刀を振るう。気迫を前面に押し出した打突は、並みの戦士ならば怯みそうになるところだが、月ノ灯流は違った。体当たりをもろに食らったゲッカの動きにも、さきほどのようなキレがあるとは言い難かったが、いたって冷静に対処した。むしろ、ギリギリで躱すゲッカの姿を見ている観客のほうが、金切り声を上げて辛そうだった。
ビネガーの力任せに放った一撃は、ゲッカをある距離まで下がらせた。相手は届かず、自分には届く距離。100パーセント有利な間合いで、気迫を乗せた打突を繰り広げる。
『これはッ!? ビネガー選手「嵐・三連」の体勢だ!』
右足の痛みは引くどころか、針を追加していくようにどんどん増していく。他に外傷がなく意識がはっきりしている分だけ、足元に感じる激痛はビネガーを苦悶の表情に歪ませた。だが、ここで打たずしてどこに勝機を見出せというのか。もはや己の強さに疑問を持つビネガーの姿はなかった。ただ目の前の相手を倒すというその決意だけを持った、修羅の如く。
「があああぁぁッ!」
ビネガーの咆哮と共に、猛威の薙刀がゲッカを襲う。気迫に押されたのか、必要以上に踏み込んだビネガーの一撃を咎められず、ゲッカは後方に少し飛んでそれを躱した。
「ぬどりゃああぁッ!」
刃を交わせば、日本刀など粉々に粉砕するようなビネガーの打突。その「嵐・三連」の二撃目を、ゲッカは咄嗟に身を屈めて回避した時、身の毛がよだつほどの殺意が、後頭部すれすれを通過するのを感じた。だが、それさえ避けてしまえば、機はこちらに傾く。
幸か不幸かビネガーの殺意は、勝負の行方を決定づける次の攻防の引き金となった。
刹那、ビネガーの視界が強烈な光に襲われた。
これは敵の奥義「煌」。ゲッカの放つ眩すぎる光によって、ビネガーの動きが止まってしまった。「嵐・三連」の三撃目に移行しようとした、その直後のために一瞬動きに迷いが生じたのだ。ここで無理矢理三撃目を放っても、ゲッカのカウンターで勝負がついてしまう。
ならばと、ビネガーは一か八か、急所をできるだけ隠して防御の体勢に入った。
目を瞑れば如実に感じるゲッカの殺気。猛々しいままにビネガーの命を刈取ろうと迫ってくる。月ノ灯流はただ後の先を狙う流派ではない。その裏には好戦的な激情を常に隠し持っている。それをここぞという場面で放出し、勝負を決するのが月ノ灯流の強さの本質なのだ。
殺気を宿らせた刃の軌道を、ビネガーの心眼が捉えた。既に回避は間に合わないタイミングだが、それでもビネガーは動じなかった。攻撃を食らうその時だけが、唯一相手が自ら接近してくる時間。ビネガーが防御に専念し、手を出してこないと決め込んで勝負を決めに行ったのが、ゲッカの唯一の誤算だった。
両者が激しく激突し、観衆は興奮の声を漏らす。俄に沸騰する場内は異様なざわめきで満ち溢れた。彼らの目の前に広がるのは、誰しもが想像しなかった光景。
『こ、これは!? ダブルノックダウン! カウンターを放ったゲッカ選手でしたが、ビネガー選手の決死の当て身により、吹き飛んでしまったあぁ~~!! ビネガー選手も重傷を負ったのか、立ち上がる事ができない~~!』
いくらゲッカが剣術の達人だとしても、なまくら刀ではビネガーの鋼の肉体を貫く事はできなかったようだ。振り切れなかったゲッカのカウンターの威力は半減し、ビネガーに当て身を出させる猶予が生まれたのだ。
五メートルほど吹き飛ばされたゲッカ。対するビネガーも左わき腹を紅く染め、溢れ出る鮮血を抑えながら片膝をついている。両者とも意識はあるようだが、未だ戦闘態勢を取るには至っていない。
『ズィーノさん、今のプレーの解説をお願いします!』
『ちっ、面倒くせぇな。この試合が終わってからでいいだろ?』
『駄目です! 解説をしてもらいたい人だっているんですよ!?』
『ったく、わかったよ』
ズィーノは頭を掻きながら、つらつらと話していく。
『まずよ、ねーちゃん。あの月ノ灯流の輩の「煌」って技の正体、あれ見抜けたか?』
『いえ、私などはさっぱり!』
ごつん、とスピーカーから固い音が響く。
『ふにゃ!? ズィーノさん、痛いです!』
『威勢よく答えりゃいいってもんじゃねぇ。実況者なら瞬時に見極められるようにしねぇとな』
『う~、わかりました……』
『あれは目眩ましだ。白刃を利用して相手の視界を一瞬だけ眩ませる離れ業よ。おそらく奴の日本刀には、陽の光を効率よく反射できるよう細工がしてあるはずだ』
『なるほど! 武器の殺傷力を高める強化は、シグナ国の闘いでは反則行為として扱われますが、ゲッカ選手の場合はそれに該当しないという事ですね?』
『ああ。絶望的なリーチの差を刹那だけ覆す奥義、それが「煌」の正体よ』
『つまり、ズィーノさんが先ほど仰った、間合いを完全に支配したというのはこの事だったんですね!』
観衆はズィーノの解説に聞き入っていた。応援の仕方に規則などないが、一瞬の攻防で何が起こったのかを解説している時だけは、なるべく声を抑えて応援する、というのがシグナ国のしきたりだった。
『そういうこった。だが、あの手の技は一度の闘いに何度も使えるほど便利なものじゃねぇ。「月面歩き」も通用しない敵と見て、やむなく使ったんだろうな、月ノ灯流は』
『という事は、ゲッカ選手が見せたあの打倒予告は、苦し紛れの策だったと――!?』
『反射光を当てるには、薙刀野郎の足を止める必要があった。それだけ薙刀野郎が強敵だったってわけだ。奇襲かつ必中、しかし一度しか通用しない奥義。本選のために温めておいた秘蔵の技を、月ノ灯流は使ったと見た』
『ゲッカ選手はその奥義「煌」を、今の攻防にも使用したんですか!?』
『「嵐・三連」の二発目を躱した後に、な。月ノ灯流はそれで勝負を決めにいったが、薙刀野郎の耐久力が僅かに上回ったようだ。「煌」の直後に攻撃が来るという意識配分をしていたから、薙刀野郎は相打ちに持ち込めたわけだな』
『ふわぁ……。ズィーノさんって本当にすごい方なんですね!』
ピシィと、乾いた音がする。
『ふにゃあ!? デコピン痛いです!』
『なめた口聞いてるからだ。俺は女子供にも容赦ねぇからな』
『うぅ~。あ、見てください! 両者ほぼ同じタイミングで起き上がりました~!』




