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打倒月ノ灯流!  作者: 東京輔
二人目! 剛の武人 ビネガー=マルティネス
12/19

不条理はねじ伏せるまで


 飲食店の並ぶ通りが過ぎ、まともに方向転換ができるくらいになった午後のひととき。男は誰かにつけられているのを感じた。隠密、というにはやや疎かすぎる。雑多な群衆が織りなす様々な音に紛れ込めていない、明らかに不規則な足音。肩甲骨あたりにピリピリと感じる視線。所謂プロの仕業ではない。おそらくは金で雇われた素人の悪行だ。

 歩きながら丁度良い路地裏を探す。そして一瞬身を屈めたかと思いきや、男は巨躯とは思えぬほどのスピードで群衆をすり抜け、細い路地裏に到達した。人目につく場所では、怪しまれるのは体格の良い自分のほう。それで勘違いされた事があるのは一度や二度ではない。蜘蛛の巣のような曲がりくねった道を数回経て、男は気配を絶って近づく輩を待ち構えた。


「ひっ!」


 男が待ち構えていたとは知らず、追手は曲がり角を曲がったところで男と相対した。いや、その追手は素人と呼ぶにしても、あまりにも――あまりにも未熟だった。橙色のロングヘアは群衆の目に留まりやすく、肌を露出した若者向けの服装――この場合ではファッションというほうが妥当か――をしている。スカートなどという隠密に不向きな格好、そしていとも簡単に折れてしまいそうな細い四肢。とどのつまり、男の目に映っているのはただの女の子だったのだ。

 男の体躯に、もしくは形相にただならぬものを感じたのか、少女は腰を抜かし、化け物を見るかのような目で男を見上げた。動揺していたのは彼女だけではない。男のほうも滅多にかかない冷や汗をかいていたのである。追手がもし敵の刺客とあらば、尋問も辞さないつもりでいたが、よもやこのような女子(おなご)がなぜ、自分の周りをうろちょろとしているのだと、男は困惑していたのである。


「誰に雇われた?」

「い、いや! 近寄らないで!」


 少女は後ずさり、T字路の二つの道が交差する壁に張り付いた。逃げようと思えば、左右どちらかの道に走ればいいものの、恐怖で頭がいっぱいなのか、少女はそこから逃げようとしなかった。男も無論、それを妨げようとするつもりはなかったのに。


「拙者もならず者にござらん。正直に話せば、穏便に話を済ませようぞ」

「来ないで……誰か……」


 少女は完全に動揺していた。もはや男の喋る言葉が、全て暴力的なものに感じてしまうほど、そのやや吊り上がった目は恐怖に満ちていたのである。介抱しようと手を差し伸べるにしても、それは逆効果どころか、もっと彼女を狂わせる原因になりうる。両者共に身動きが取れないまま、嫌な時間が流れようとしていた。


「ロコロ!」


 それを断ち切ったのは、甲高い女の声だった。T字路の向こうから走ってこちらに近づいてくる。仲間――いや、友人といったほうが正しいだろう。恐怖で怯える橙色の髪の少女に、彼女の友人が駆け寄ってきたのだ。


「ロコロ、大丈夫!? だからこんな事しないほうがいいって言ったのに……!」


 ロコロと呼ばれた少女は、友人の肩にうずくまるようにして抱きついた。駆け寄った友人はロコロの頭をよしよしと撫でている。まことに微笑ましい光景ではあるが、彼女らが追っていた側で、自分が追われていた側なのにと、男はしばし納得がいかない表情をした。


「……汝がこの状況を説明してもらえまいか?」

「え!? え~っと、それはですね、あ、あはは……」


 友人は目を泳がせ、消え入りそうな笑みだけを浮かべた。予想通り、その笑みは跡形もなく消え去り、再び嫌な沈黙が周囲に蔓延る。と、そこに、またもや別の少女が向こうから現れた。お人形のようなフリルが其処彼処に散りばめられた洋服を身に纏い、その少女は息を切らして近づいてくる。走っているようではあるが、歩くスピードと然程変わらないくらいの速さでゆっくりと。


「はぁ、はぁ……。も~二人とも速すぎ~。もうちょっとはイリーナと合わせてよ。……あら? ようやくお目当ての方とご相対できたのね? よかったよかった」

「ちょ、イリーナ!? 余計な事は――!」

「お目当ての方、とは?」


 介抱する友人の少女の言葉を遮り、男はイリーナと呼ばれる少女に訊ねた。

 イリーナは寄り添う二人の友人を見て、やれやれといった仕草を見せた。


「ちょっと、二人とも自己紹介も済んでいないわけ? 全くもう」


 軽い咳払いの後、イリーナは男に向かって上品な立振る舞いで言葉を続けた。


「私たち、テン=ゲッカ様のファンなのです。ですので、ゲッカ様の次の対戦相手であるあなたの事を調べ上げようとしていた時、ちょうど我々の前を歩いていたものですから」

「……それで、尾行をしたと?」

「尾行だなんて、そんな大層なものではございませんわ。私たちはゲッカ様にしか興味ございませんもの」


 他の二人に比べ、随分と余裕のある口調でイリーナは話した。こういう輩が嘘をついているか否かは判断しにくい。余程肝が据わっているのか、それとも天然ものの正直者なのか。しかし、男はすぐに後者だと理解した。介抱している友人が目を丸くして、口をパクパクさせているのだから、間違いなくこの少女――イリーナは本当の事を話しているのだと。


「それでは、テン=ゲッカが仕向けた刺客ではないという事だな?」

「刺客だなんて」


 イリーナはころころと笑った。


「言いましたわよね? 私たちはゲッカ様の単なるファンです。話したこともないけれど、健気に応援するファンの一握り。もしもゲッカ様に頼まれたなら、もっと計画的に、もっと完璧にあなたの事を尾行しましてよ」

「左様か。ならば立ち去るがよい。拙者は敵に塩を送るような真似はせんぞ」

「それは残念。ですが、あなたが常識人だとわかったのは収穫ですわ。少なくとも、女性に暴力を振るう荒くれ者ではないとわかりましたから」


 見透かされていた。男が女子供に手を上げないという事は、どうやらイリーナには気づかれていたようだ。それを盾に何をされようとも、男のその誓いは揺るぎないものだった。だが、これ以上この少女たちに関わっても碌な事がないと、男は判断した。


「……去れ。今すぐにだ」

「ほら、帰るよロコロ。早く立って」


 そそくさと少女たちが表の通りに続く道へと遠ざかっていく。

 そんな中、ロコロと呼ばれる橙色の髪の少女は、涙声で捨て台詞を吐いていった。


「あ、あんたなんかゲッカ様にボコボコにされればいいのよ! 覚えてなさい!」

「あは、あははは。すみません、この子ったらちょっと頭に血が昇ってて……」

「ほら、二人とも帰りますわよ」

「あ! 待ってよイリーナ! そ、それじゃ失礼しま~す!」


 少女たちのトーンの高い声は、じめっとした路地裏に飲み込まれるようにフェードアウトしていった。男は溜息をつく、とんだ茶番に付き合わされたものだと。同じ方向から出て行くと、またあの少女たちと鉢合わせしてしまいそうなので、男が暗い路地裏で踵を返した時だった。


「うぇっへっへ。こりゃあとんでもない場面に出くわしましたわ」


 澄んだ少女たちの声とは真逆の、小汚いしゃがれた声。それだけで男は不快感を露にした。視線の先には、鉤鼻で背丈の低い老人が壁にもたれかかり、いやらしい笑みを浮かべている。その顔には見覚えがあった。


「……情報屋か」


 鉤鼻の老人は男のほうを向き、改めて鋭い三白眼の視線を投げてよこした。


「こりゃあスクープになりますねぇ。まさかテン=ゲッカの次の対戦相手が、()()()()()()()()()()()()()()()()なんざ、こんな事が世間様に知れたらどうなる事やら」

「何が言いたい?」

「いやいや、あっしがこの目で見た虚偽(もの)を街中に流せば、あんさんを応援する人間がいなくなるだけの事ですわ。――と、これはあくまで仮定の話。あんさんが物分かりの速い人なら、あっしが何を望んでいるかわかりますよねぇ?」


 単なる情報屋が、八百長をけしかけてくるほどの権力はない。だとすれば、この老人が欲するものは目先の小銭か。男は口を開かず、渋い表情で老人の次の言葉を待った。老人は大袈裟な動作で溜息をつく。


「言っておきやすが、これは忠告ですぜ? あっしら情報屋を介せずに、直接闘った相手から情報を聞き出すなんざ、うちのシマではご法度なんですわ」

「……成程。拙者とレオ殿との談話が気に入らなかったと?」

「困るんですわ、勝手な事されると。あっしらも一枚岩の組織じゃない。情報を得るために、ありとあらゆる場所に網を張り巡らせているんでね。金を動かしてくれないと商売上がったり、明日のメシも食えなくなっちまう。……という事で、十万マニー、何も言わず置いていってくだせぇ」


 闘う相手の情報を聞くのに、誰かを介してだったり、誰かに金を支払ったりなどという決まりは定められていない。全ては身勝手な連中が作った、身勝手なしきたりなのだ。

 情報屋の言動に虫唾が走ったが、そのような悪質なしきたりに従う必要は全くない。男は情報屋に背を向け、吐き捨てるように言った。


「生憎だが、下賤な輩に奢るような金は持ち合わせておらん。失礼する」

「いいのかい? 闘技場の全員があんさんの敵になりやすぜ?」


 突如、路地裏の空気が一変する。


「構わん。ねじ伏せてやる」


 じめじめとした陰気な空気は、刹那にしてより凶悪な気配にかき消された。



 殺意、それも恐ろしく洗練された。



 軽口を叩いていた情報屋は、後悔と畏怖の念に押し潰されそうになる。

 自分がどれだけ無謀であったか。

 どれだけ危険な人物を相手に取引しようとしていたか。


 戦闘斧使いの青年や少女たちには微塵も見せなかった、寡黙な男の真の姿。


 まるで処刑台に立たされたような絶望感が情報屋を襲う。そんな経験は一度もないのに。

 死。実は身近にあるそれを、情報屋は胸に突き付けられたように固まってしまった。


 視線の先にある男の背中。着古された道着から、どす黒い殺気が揺らめいていた。

 ――少なくとも、情報屋の目にはそう映った。


 耳からは男の声が届く。殺意に満ちた、残忍なノイズ。

 生を否定する悪魔の濁声。


「貴様が垂れ流す不条理ごと、全てを」


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