惚気は許しませぬ
ここはシグナ国、西地区中央都市ザヴァン。
正午を過ぎたあたりから、飲食店が並ぶ通りは混雑を極め、人、人、人で溢れかえっている。大衆食堂では店内はおろか、即席で用意した外の席にも空きがない。順番待ちの列は通路を越えて、店の入口から飛び出している状態で、やっと注文ができる頃にはおやつの時間がやってきそうな勢いである。とはいえ、店から漂う様々な食物の香しい匂いが、通りを歩く人の足を止めて列に並ばせてしまうのは、もはや自然の摂理といっても過言ではない。
その店の向かい側の、二軒隣の高級そうな店も繁盛している。といっても、あちらと比べると可愛く思える程度のものだが。それでも店員が慌ただしく、注文を取りに行っては別のテーブルの客に呼び止められ、あっちへこっちへと大変そうだ。
そこに一組のカップルが向かい合って座って食事を取っていた。いや、正確にはカップルではないのだが、第三者の目から見る分には仲睦まじいカップルにしか見えない、という意味合いだ。
「もぉ~! またこぼしてる! どうしてあんたは育ちが良いくせに、食器の扱いがそんなに下手なの!? ほら、テーブルに肘つけない! フォークをそんな持ち方しない!」
「え~? いいじゃん、俺けが人なんだし」
「いいわけないでしょ! ちゃんとしてくれないと、お父様に示しがつかないから……。って、今度は口の周り汚してる! 全くもう、あんたも子どもじゃないんだから……」
カップルの彼女のほうはそう言って身を乗り出し、男の唇周辺をいそいそとナプキンで拭き始めた。艶やかな黒髪の毛先を躍らせて彼氏の世話を焼くその姿は、新婚ほやほやの奥方よりも甘美で、そして刺激的だった。椅子から少し浮かせたその官能的な尻、そしてそれに繋がる腰のラインを、周りの男たちは横目で見逃すまいとしていた。
彼氏のほうはといえば、嫌な顔一つせず黙って彼女の行為に甘んじていた。というか、お節介を焼きたがる彼女の性分に観念しているような、悟りの境地に立っているといってもよい。天然ものの青髪は目につきやすく、どの角度からでも映える顔立ち、すらっとした体型は、まさに女子が描く理想の彼氏像といったところか。食器を上手く扱えない事すら、彼を以てすればチャームポイントに成り変わるのだ。
「わかってるから、メイサ。頼むからそんな大声出さないでくれよ……」
「何で!?」
「割と、恥ずかしい」
無邪気さ故の無自覚か、それとも彼女の目には真正面の彼氏しか映っていなかったのか。どちらにせよ、周りを見るまで自分たちが注目を浴びているという事に、彼女は気づいていなかったようだ。彼女は俯いてしばし黙っていたが、それでも二人が座るテーブルのほとぼりが冷める事はなかった。
「あの~、すみません」
「はい?」
「えと、レオ=バーナードさん……ですよね?」
「はぁ、そうですけど」
「きゃあああ! ヤバい、本物だ! 握手してもらっていいですか!?」
「は、はぁ……」
こんな様子で二分に一度のペースに、彼氏が名も知らぬ赤の他人に呼び掛けられるのだ。しかもそのほとんどが若い女性という始末。まるでアイドルの握手会にでも迷い込んだような気分だ。それもそのはず、彼氏はここ最近、ザヴァンではちょっとした有名人になっていたのだから。
レオ=バーナード。直近の試合でベストバウトと称賛される闘いを見せた、若き戦闘斧使い。レオは残念ながらその闘いに敗れたものの、予選とは思えぬほどの白熱した闘いに観客は震え、一気にその名を知らしめる事になった。流石に群衆の中に紛れれば、彼の存在感自体は薄まるが、背中に背負う戦闘斧のせいで注目を浴びてしまうのは、どうにもならない。女性受けがいい甘いマスクも相まって、街中を歩いていたら即席の握手会が始まってしまったのは、つい先日の出来事である。
愛想笑いでさえも好感度が上がる、現在の何でもアリな状況を芳しく思わない者もいた。それが正面に座るメイサ=ガーデン、レオの幼馴染に相当する人物である。家出同然で飛び出したレオを連れ戻すために、自らも故郷を離れたお節介焼きたがりの十七歳の少女である。少女と呼ぶには大人びた雰囲気があり、大人には持ち合わせない小悪魔的な魅力を併せ持つ、可憐な女性だ。
そんな二人が座るテーブルが目立たないわけがない。彼らの会話の一つ一つが、まるで映画のワンシーンと錯覚させるほどの威力があった。ひとしきり対応が終わったところで、レオはすっかり冷めたランチセットに再び手をつけ始めた。
「ふぃ~、疲れた……」
「またそういう行儀悪いことする! お父様の前でもそんなことしないでよね」
テーブルにもたれかかるレオに、すかさずメイサはそれを窘めた。
「親父がいない時くらい、伸び伸びさせてくれよ。こうやってお前とゆっくり食事できるのも、滅多にないんだしさ~」
「だ、だから! 私と一緒にいる時くらいは、しゃんとしてって言ってるの!」
目を泳がせてやや赤面するメイサ。それを見て、レオは彼女に悪戯な視線を送った。
「え~、何で?」
「何でって、それはその、ピシッとしてくれたほうが……だし」
「ん? 何?」
「だから、その、かっこ……いいんだし」
「もうちょい大きな声で言ってみて」
「~~ッ!」
メイサはそれ以上何も言わずに、レオの両頬を力いっぱい引っ張った。俯いて表情はわからないが、耳まで赤く火照っている
「いででで! メイサ痛いって!」
レオの抵抗も叶わず、メイサの気が晴れるまで抓りは続けられた。そんな茶番を見ていられるのも、彼らが非の打ちどころがないカップルに見えてしまうが故だ。また、公然の場で行われる惚気行為を、何人も咎める事ができなかったのも一つの事実である。二人の間に水を差す輩がいるとすれば、その人物は余程空気が読めない人間だろう。――そう周囲の人間が思っている最中に事は起きた。
「失礼、レオ=バーナード殿とお見受けした」
「え?」
「はへ?」
抓られて赤く腫れた頬を擦っていたレオの横に、逞しい体躯の男が立っていた。鎧は不要と言わんばかりの体格で肌は浅黒く、道着の上から見え隠れする傷痕は、彼が武人であることを物語っている。男は腹に響く低い声でもう一度訊ねた。
「汝がレオ殿で間違いないな?」
「えっと、そうですが、あなたは……?」
きょとんとするレオをよそに、男は目を伏せて丁寧に頭を下げた。
「拙者はビネガー。次に月ノ灯流のテン=ゲッカと相見える、ビネガー=マルティネスと申す」




