7話
「おまえ、一人っ子?」
「へ?違いますけど?」
季節柄ビールから入った吉井は、いつのまにか日本酒をなめるように飲むペースに落ち着いた。元々、酒が特にすきなわけでもなく、こういう店の雰囲気を楽しみながら飲むのが好きなタイプだ。由香子の方は、店のおかみさんが惚れ惚れするほどのたべっぷりを見せつけ、現在は特製のオムライスを頬張っている最中である。さんざん酒の肴を食べ尽くしておいて、ご飯ものを食べられる若い胃袋に、吉井は嘆息する。
「いや、そのマイペースっぷりは一人っ子のそれかな、と」
「そういう吉井さんこそ一人っ子っぽいし」
「いや、悪いけど妹がいる」
「似てる?」
「言うと本人が怒るから誰も言えないが、悪いがそっくり」
「そんなもんっしょ?兄弟って。うちも自覚してないけど、そっくりらしいし。あ、姉と弟なんですけどね」
「真ん中?」
「そう、真ん中。まあ、マイペースっていえばマイペースかなぁ?」
「疑問系で聞くことじたい間違ってる」
「吉井さんも大概マイペースだと思いますけどね、まあ、どっちかというとわがままっていう方があたっているけど」
当り障りのない会話を続けながら、それでも二人の間の心理的距離は、ただ食事を共にするよりもは近づきつつある。本来あまり酒の席が好きではなく、ほとんど飲まないという由香子にしても、吉井と二人きりでこういう場所にいる、ということそのものは嫌ではないらしい。終始上機嫌で、常よりも口数が多い。
もっとも、由香子の場合は、食べ物の効果が大きいのかもしれないけれど。
「そういえば就職は大丈夫そうなのか?」
「……言わないで」
「理系は最近調子いいんだがなぁ」
「まあ、そうでしょ。今も昔も文系女子はムズカシイんよ」
「大学に残れば?頭もそう悪くないだろ」
「いやいやいや、そっちに比べたら私の頭なんてカメムシみたいなもんだし」
「なんだそのカメムシって」
「なんとなく。いや、大学に残るって言う人は、私みたいな平凡人じゃダメだと思う」
「俺は充分平凡な人間だが」
「そのプロフィールでよく言うっていうか、謙遜もしすぎると嫌味だし」
「……お前に俺の略歴なんて言ったっけ?」
「ああ、研究室のサイトにばっちり書いてあるじゃないっすか」
「ん?サイト?ってお前見たのか?」
「そりゃあ、公開されていれば見るでしょ、普通」
あっさりとそう答えた由香子は、もはやあれほどあったご飯の塊を片付けつつあった。それを視界に入れながら、自分との年齢差や様々な違いを深くは考えないようにして、吉井は他の事を考えていた。由香子が個人的に自分に興味を持って、プロフィールを検索してくれた、という事実を。
他人からすれば些細な出来事であり、あたりまえの行動なのかもしれない、と思い直しながらも、僅かだが昂揚する気持ちを持て余している状態だ。
――ただの好奇心だ。
そう何度も心の中で呟いてはみたものの、やはりどこかで嬉しがっている自分がいた。
「まあ、学歴だけ言えば立派かもな」
「立派立派、しかもそれでごはんが食べられているなんて、すっごいことだと思う」
「高学歴モラトリアムで社会不適合者だけどな」
同級生達を見ればそれは良くわかる。
吉井は、自分のことは棚に上げ、どうかんがえても一般社会に馴染めないエキセントリックな人間ほどアカデミックに残っている、という個人的な感想を抱いている。どちらかというと穏やかで人付き合いのいい人間は、たとえ博士課程を経たとしても、会社へ就職している率が高いような気がするのだ。もちろん、個性的な人間で会社へ行ってはそこで波風を立てつつも本人は無風、というつわものもいるにはいるのだが。
ふと、吉井は数年前とある人物に言われた言葉を思い出す。その言葉に、自分は別の世界の人間だからと、レッテルをつけられたような気分に陥ったことを思い出す。あまつさえ、心のどこかでそれを、僅かだが今でも引きずってしまっていることを。
「どうしたの?」
「いや……」
甘いものは別腹とばかりに、由香子はアイスクリームを頬張っている。
ふと、いたずら心にも似たそれで、吐露してしまおう、吉井に誰かが囁いた。
――彼女は、怒るだろうか、納得するのだろうか。
「ドクターもちって特別だって思うか?」
「ううん、変人率は高いと思うけど」
「それは、その中に俺も含まれるということか?」
「もちろん」
「……それは冗談として」
「冗談じゃないんだけどなぁ。でも、なんでそんなこと気にすんの?」
「いや、別に」
「別にって、気になるなぁ。まあ吉井さんの場合は資格みたいなものじゃないの?要自動車免許、みたいな」
「まあ、絶対条件ではないが、充分条件ではあるな」
「難しくてわかんない……。でもあった方がいいってこと?」
「そういうことだ」
「じゃあ、いいんじゃない?あればあったで」
「気に、しないのか?」
「気にするって何を?」
「いや……、なんでもない」
「まあ、なんでもないならそういうことにしておくけど。確かにあまりお目にかかれる職業ではないっちゃないよね」
「お気楽だな」
「深刻になってどうすんの?だって吉井さんが博士をもっているかどうかを気にするかって話でしょ?結局のところ」
「まあ、そうまとめられればそういう話なような気もしなくもないが」
「だったら、まあ、私には関係ないじゃん」
「関係、ない」
「そう、関係ない。あってもなくても、ね」
関係がない、吉井が良く口にする言葉ではある。
それはどの方向の人間関係に対しても発揮されるものではあるが、その言葉を目の前の小娘が発したことにひどく狼狽する。そして、そんな風に思ってしまった自分にさらにうろたえる。
「持っていても、もっていなくても、あなたはあなたってことじゃない?ってなんか恥ずかしいこと口走ってるな、私」
そういって照れた表情を誤魔化すために、アイスを一気に口へと放り込む。予想以上の冷たさが口の中へと拡がっていったのか、僅かに顔を顰める。
「俺は、俺、か」
再び小娘の言葉に一喜一憂している自分に、それほど嫌な感情を抱かない。
出会って僅かしか立たない女子学生の言葉に、吉井はようやく心のどこかでほっとすることができた。