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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

交響曲:光と闇に生きる者達

孤独の輪舞(ワルツ)

作者: 真北理奈

 夜が訪れ、光無き道を歩く少年。

 黒衣を纏う少年は鋭く光る刃を振り下ろし、残酷に無垢な命を奪い、姿留めぬ肉塊となるまで切り裂く。

 少年が彷徨うようになったのはあの日から。

 夜という光無き闇に魅入られ、呪われてしまったあの日から始まった。

『僕を大切に思ってくれた人は全て消えてしまう。僕が慕っていた人は皆死んでしまう。きっと、僕は存在してはいけなかった』


****

 ライハード王家の下にある大都市セントシティ。

 賑わう大都市の酒場の中にて、端の方に座っている十歳くらいの少年がいた。

 黒に深緋が混じる髪に底無しの闇のように濁った瞳。

 所々に飛散した赤で彩られた黒衣を身に付けるその姿は遠目から見ても異様だった。加えて見え隠れする傷痕から目を背ける者もあれば、在りもしない噂を流す者もあれば、怯える者まで、反応は多種多様だ。

 しかし少年はざわめく声に対して無反応だった。確かに何時間経とうとも微動だにせず、一言も発しない姿は非現実的な想像をしてしまうと言っても過言ではない。人々の日常に突如現れた黒衣を身に纏う少年に好奇心を駆られ、やがて恐れるようになる。他にも抱く感情は多々あると予想出来ても、思わず凝視せずにはいられないという点では変わりない。

 そう、正に酒場にいるこの少年はそんな存在だった。

 後に、黒衣身に纏う少年の事を人々はこう呼ぶようになる。


 ――裏切り者の子にして、裏切られた少年。名は『アベル』という……。


****


 夜が更け、辺りは静まり返る。セントシティから離れた草原に立つ者がいた。


 ――ザシュッ!


 生い茂る雑草に、突如切り裂くように鋭い光が見えた。舞い上がる緑の葉とともに現れたのは黒衣を身に纏う少年。

 今は夜。薄らと光が見えていた瞳は闇のように深く、生気の感じられない虚ろなもの。

「――消え去れ!」

 唸るように発せられた声からは明確な意思が感じ取れるが、どういったものかは定かではない。憎しみの籠もった鋭利な叫びは辺りに響き渡り、空気を切り裂く。

「……どうして、こうなった」

 二言目に発せられたものは先程よりも多少柔らかさが滲んでいる。しかし、明確な意思は先程の叫びと比較すると感じ取るのは難しいように思えた。少年の瞳には相変わらず光がなく、底無しの海のように暗い。

 未だ焦点の合わない瞳でもう一言、少年は付け加える。

「どうして……どうして、あなたはいなくなったの?」

 それは、恐らく今存在していない『誰か』に問い掛けるものだった。


 ――ザザッ……。


風の音が聞こえる。暫く顔を伏せていた少年はゆっくりと上を見上げた。

 暗黒の中に存在する満月の光と星の光が淡くこの草村を照らしている。それを見た少年は再び顔を伏せ、物思いに耽っていた。

「……きっとあの人は死んだ」

 誰に話し掛けているわけでもなく独り言のように呟いた少年。恐らく彼は孤独なのだろう。孤独さから沸き上がる得体の知れない鋭利な意思と悲痛な声の数々。彼にとって『あの人』は大切な存在であった。

「邪魔をするな、邪魔をするな、邪魔をするな」

 何かを振り払うような素振りを見せ、何度も連呼する姿は哀れとしか言い表せない。

 彼を狂わせた夜の闇は徐々に明るくなりつつある。解放を知らせる透き通るような青い空が見えてくる。

「……戻ろう、あの人が待っている」

 待てども待てども『彼』は来ない。それでもアベルは待ち続けた。


 ――闇は、全てを奪い、喰らい尽くす。彼の無垢な心も闇は奪い去り、跡形もなく喰らい尽くす。


****


 太陽が西と東の間にある。がやがやと騒ぎながら酒を煽る者達がいる中、端に座るのはアベル。華やかな雰囲気とは違う、重たくじっとりとした空気を纏う少年。同じ場所ではある筈なのに、別空間ではないかと勘違いを起こさせる。


 ――カランカラン。


 軽快なベルの音が響き、新たな客がやって来た事を知らせてくれる。

「いらっしゃい」

 マスターのにこやかな笑顔と爽やかな声に出迎えられたのは、バンダナを巻いた青年だった。彼の身に着けている青い旅着は汚れており、様々な場所を渡り歩いている事を容易に想像出来る。

 青年はマスターに一礼すると端の方に向かって歩いていった。彼の行く先は何処か重たい空気を纏う黒衣の少年の所だった。幼い彼の放つ異様な空気を恐れ、近寄らない者達は青年に驚きを隠すことが出来ないでいた。

 何時もならば注文を取りながら、世間話をしており、アベルには見向きもしないマスター。そんな彼も何事だろうとアベルの方を見ていた。

「アベル君だよね?」

 青年はアベルに向かって問いかける。恐れもせず声を掛ける青年にアベルは疑わしげな視線を向けた。

「……誰?」

 どうやら、まだ信用されていないようだ。いきなり話しかけたのだから当然と言えば当然である。

 青年は苦笑しながらアベルに向かって言った。

「俺は、ラルク・トールスっていうんだ」

 爽やかとも、人懐こいとも言えるラルク・トールスの笑顔。しかし、どういう意図で話しかけたのかはアベルには感じられない。


 ――お前は何故、僕を知っている。


「……何の用だ」

 ラルクを警戒し、威嚇するように発せられた声。今にも噛みつかれそうなほどの勢いでラルクを見るアベルに彼は苦々しく思った。


 ――こんな風にしたのは、俺なのだから。


「何もしない。ただ、君と話がしたいんだ」

 たったその一言だけだった。何でもない一言をラルクの表情は焦るような、請うようなものだった。


 ――ああ、あの人と同じだ。


 頼り甲斐のある、自分を助けてくれた優しい人と同じ空気を彼は持っている。

 先程まで彼を凶悪な存在と思っていたが、それは間違いだと思った。理由はなく、ただ彼の纏う空気がそう思わせたのだろう。

「……いいよ」

 先程よりも柔らかくなった口調。よく見ると、十歳ぐらいのあどけない少年。そんな小さな彼が無表情で抑揚のない声を発する姿に自責の念がこみ上げる。


 ――怯えるな。


 十歳の少年を追い詰めたのは自分だとラルクは唇を噛み締めた。自分がいればこの子は無事で居られたのに、と。

「じゃあ、行こうか」

 差し出した手を拒まないだろうかと不安に思っていた。まだ、信用されるとは思っていなかったからだ。しかし、それは杞憂だったらしい。

「……ラルク」

 ラルクを見上げ、差し出した手を、この少年は何の躊躇いもなく握り返した。騒がしい空気の中、ラルクに連れられたアベルは歩いていく。


 ――彼はどんな話をしてくれるのだろうか。何故、彼は自分を知っているのだろうか。


 アベルは期待と不安の入り交じった視線をラルクに向けた。ラルクは自分の知らないことを全てを知っている。彼はそれをアベルに話しに来たのだろう。


 ――知りたい。


 行方の知らない両親のことが知りたくて堪らなかったのだ。

 その気持ちがラルクに伝わったのか、彼はにっこりと笑ってアベルを連れ出す。

「さあ、行こうか」

 爽やかな青年の笑顔はアベルの癒しとなる。

 カランカランと軽快な音を立ててドアは閉められた。


****


 酒場から出るとラルクがあちこちに寄っては「何が欲しい?」と聞いてくる。

 気持ちはとても嬉しいのだが、ラルクの格好を見る限りお金をあまり持っていなさそうだと思う。

「ありがとう」

 これから彼に聞くことは、もしかしたら残酷なものかもしれないのに、こんな風になるのはおかしいとアベルは思った。

 例えるなら酒場のドアが開閉する時に鳴るベル。いつも軽やかな音はそこに入った瞬間から人々を楽しませる。

 今の彼の心境はこんな感じだった。

 迷い込んだ大都市の雰囲気を最初はあれほど嫌った筈なのに、今は活気ある大都市の雰囲気が好きになる。

「ねえ、ラルク」

 高揚感からかラルクの名前を呼んだ。

 ただ、何気なく呼んでみただけだったのに、ラルクは驚いたようにアベルを見た。

 酒場では生気のない顔色で微動だにしなかった少年が今では年相応の瞳の輝きがある。

「どうしたの?」

 食い入るようにじっと顔を見つめるラルクを訝しんだのか、アベルは問いかける。

「……あ、ああ、いや、何でもないよ!」

 ラルクは慌てて首を振って答えたが、アベルは冷ややかな目で見ながら言った。

「……ラルク、分かり易すぎるよ」

「え、ええっ」

「そんなので僕に話せるの?」

 普通ならラルクが気遣わないといけないのに逆にアベルから気を遣われてしまい、少し自己嫌悪に陥る。

「まあいいや。話なら目の前にカフェがあるからそこでゆっくり話そうよ」

 彼に気を遣われただけでなく、話をする場所まで指定された。

「そ、そうだな、そうしよう……」

 これには流石のラルクも苦笑を禁じ得なかった。


****


 割と洒落たカフェ。

 深い茶色で統一された中に透明な硝子の花瓶や小さな花。

 天井に設置されているシャンデリアからやや暗めの明かりがいくつも灯されている。

 入り口に入ると直ぐに店員が来て、一番奥の席に案内された。

 店員が注文のことについて言って離れた後、アベルは満足そうに頷いた。

「ここでなら話せそうだね」

 彼のはきはきとした口調からは高揚感とはまた違う別の感情を如実に表している。

「座りなよ、ラルク」

 思わず怯んでいたラルクを一瞥し、アベルは向かい側の席を指差す。

 やはり彼は年相応なようで、自身では抑えているように思っているのだが、ラルクから見ると不安や怒りや恐怖が入り混じっているように思われる。

「あ、ああ」

 何から話せばいいかと迷っていたらまだ座っていなかったことに漸く気付いたラルク。

 今更ではあるが、真剣な話をするのが彼は苦手だった。相手がアベルなら尚更である。

 ただでさえ心身ともに深い傷を負ったアベルにどう話せばよいのか。

 少なくともアルディのくだらない慣わしから話すわけにもいかず、かと言って事実だけを淡々と話すわけにもいかない。

 どうすればいいのか。どうすれば、アベルの傷ついた心を救えるのか。

「もうっ!」

 悩み続けるラルクにとうとう我慢の限界がきたのか、アベルは不安と怒りを露わにして悲鳴を上げる。

 机を強く叩いた音がラルクの脳内に深く突き刺さる。

 その音はアベルを我に返らせるに十分だった。

 ただ、それでも彼ではどうにもならないこと。

「……何で躊躇うの? 僕が子どもだからなの?」

 まだ幼くて、守ってもらうのが当たり前だと思われる年齢。

 それ故に何も教えてもらえず、優しさばかりが与えられる。

 アベルが成長した時、優しさばかりを受け取ることがつらかった。

「ねえ、話してよ。ラルクが知ってること全部話してよ。ねえ、お願い」

 物心ついた時から切実に願っていたこと。

 自分は何者なのか、誰が自分の両親なのか。

 例え、残酷な現実であろうとアベルは知りたかった。

「……アベル」


 ――この子は強い。


 ラルクはそう思った。兄であるアーサーやハロルドに甘えることが当たり前だと思っていた彼は後ろめたさを覚える。

 こんな強さがあれば兄を救えたかも知れないと思うと悔しくなる。

「俺は――」

 ラルクは全てを話した。

 自分の出生も家族のこともアルディのことも、何気ない日常の話も悲惨な事実も全て。

 アベルが傷つくことも考えず、ただ自分の全てをアベルに話した。

 時折、アベルは目を見開いて泣いたり、全身を震わしたり、かと思いきや笑いながらツッコミを入れたり、しかし彼は真剣に聞いていた。

 こんなことを彼に話す必要があるのかというくだらない話までアベルは真剣に聞いていた。

 気がつけば日も暮れ、二人は未だにメニューを注文していないことに気付く。

 話をやめた時、ぐうとお腹が鳴る音がした。

「あっ、アベル」

 アベルが声を発し、お腹を押さえているともう一度、今度は別のところから聞こえてきた。

「ラルクも!」

「う、うそだろー」

「僕ら話に夢中になってて何も食べてないこと忘れてたよ」

 アベルは笑いながらメニュー表を二つ取り出し、一つをラルクに渡す。

「せっかくだし、何か食べるか」

「うん!」

 まるで兄弟みたいな会話。

 アベルは遠慮なく高い品物を指すのでラルクは首を横に振る。

「えー、ケチ」

「そんな高いの払えるわけないだろ」

「ただ払いたくないだけでしょ」

 溜め息をつかれ、ラルクが「本当にないから!」と涙目で訴えてくるため、アベルは笑いながら一番安いメニューを選んだ。

「よし、ホットサンド二つな」

 夜のメニュー欄の中では一番安いが、それでも値が張る。

「うん!」

 しかし、アベルがあまりにも眩しい表情を浮かべるため、ラルクはまたしても苦笑した。

 その後は歩いているウェイトレスを呼び止め、メニューを注文した。

 メニューがくるまで時間があるため、その間も話し続けた。

 先程の話を聞いたアベルがにっこりと笑いながら言った。

「ラルクって昔から変わらないよね。そのまま大きくなった感じ」

「な、なんだと」

「だってそうじゃない。今と昔、全然変わってないよ」

「な、生意気だ!」

「返しも変わってないね」

「アベルーお前なあ」

 ああ言えばこう言う。多分離れたくなくて、少しでも一緒にいたくて言い争いを始めてしまうのだろう。

「あ、ホットサンドきたぞー」

「やったあ! 待ってたよ!」

 注文したホットサンドが来た途端、二人は無邪気に喜び、ホットサンドを頬張った。

 ゆで卵を崩してマヨネーズと絡めたソースは美味しく、レタスや炒めたベーコンのサンドも美味しかった。

 久々のリッチな食事を二人は心ゆくまで楽しんだ。


****


 支払いを終え、カフェから出た二人は夜の闇が包む大都市を歩いた。

「ラルク、ラルクはこれからどうするの?」

 昼間とは違い、穏やかな雰囲気が流れる大都市の中、アベルの声が響いた。

「うーん、俺は自由気ままに歩いてるからなあ。正直決まってないや」

 これからどうするかなんて知りたいと思えばそれを探求するために行く。

 心のままに、直感のままに歩く彼に予定はない。

「じゃあさ、僕と一緒にいてよ」

 アベルは目を輝かせながらラルクに言った。

 正直に言ってしまえばラルクと離れるのはいやだった。

 彼に予定があれば我慢して見送るつもりだったが、幸運なことに特に予定はないようだ。

「まあ、それも悪くないか」

 ラルクは笑いながらアベルに言った。

「じゃあさ、明日は何処に行く?」

 すっかり旅の仲間としてアベルはラルクに聞いてくる。

「明日は――」

 ラルクはアベルに応えるように笑顔で返した。


 もう、僕は孤独じゃない。

 もう二度と闇を恐れない。


 ――ラルクと一緒なら。


 夜が更けた大都市の中、二人は笑いながら歩いていた。


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