鬼焼き(三題噺)
「紫陽花」「神社」「鬼」の三題で書きました。
童話を書いていたつもりが
いつの間にかホラーテイストになっていた。
村人は海の向こうからやって来た鬼の一団に苦しめられていた。
鬼達は村を荒らすだけでは飽き足らず、村人達の蓄えた大事な食糧や酒、女や子供を根こそぎ掻っ攫っていった。鬼達は浜辺近くの岩礁地帯に陣取り、攫われた女と子供は近くの洞窟に閉じ込められた。
鬼達は毎晩のように大宴会を開いていた。その大声たるや、まるで大地に轟く雷のごとし。さらに恐ろしいのは、夜風に流されてくる人間の悲鳴だった。どうやら鬼どもは毎晩一人ずつ、女と子供を喰らっているらしい。その叫び声は、一晩中村人の耳から離れる事はなかった。
一睡も出来い村人たちは仕事もままならない。ましてや鬼達のせいで漁に出る事もできない。このままでは村が全滅するのはすぐだった。
鬼達が上陸してから五日目の晩。満月が海面に映りこむ、美しい夜だった。鬼達の下品な笑い声さえなければ。
その日、村の若い衆が一致団結して鬼を討とうという事になった。村長をはじめ、殆どの村人がそれは駄目だと諭したが、若人達の覚悟は揺るがなかった。彼等の中には妻や子供奪われた者もいる。そんな彼等を説得するなど、無理なことだった。
深更の頃、それまで轟いていた鬼達の咆哮が止んだ。宴会がお開きになったのである。今が好機と村の若い衆は鍬や銛などを手に、鬼達のいる岩礁へと向かった。鬼達は酒にぐでんぐでんに泥酔し、眠りこけてているはずである。勝機があるとすれば、その隙を狙うしかなかった。
翌朝、若者達は誰一人として戻ってこなかった。残った者達は鬼達が怒り狂い、村に踏み込んでくるのではないかと恐れたが、その日は何事もなく夜を迎えた。鬼の宴会はいつにも増して盛り上がっているようだった。
次の日、まだ曙光がぼやけている頃。緑色の肌をした鬼が漁網を肩に担いで村にやって来た。中にはなにやら白い物が見え隠れしている。全身から血の気が引いた村長が、緑鬼に応対した。緑鬼は漁網の中身を乱暴にぶちまけた。村長は盲になりかけの目を凝らし、それを見た。見た瞬間、あまりの恐怖で哀れな老人の目は、完全に光を失った。それは大量の骨だった。人骨であった。まさしく満月の宵に、鬼達に立ち向かった若人衆のものに違いなかった。全員食われたのだ。
腰を抜かしてわななく村長に、緑鬼は腹を押し潰す様な唸り声で言った。
「酒ガツキタ 今宵マデニツギノ酒ヲモッテコイ モッテコナケレバ 村ハカイジンニ帰サン」
いよいよ村長は失神し、緑鬼は鼻で笑いながら岩礁へと帰った。
大急ぎで集会が開かれた。どうしたものかと皆頭をかかえた。もう村には酒は一滴も残っていない。逃げ出そうにも、女や子供を置いて逃げるわけにはいかない。もはや打つ手なし。せめて若人衆の様に勇ましく戦い、村と共に海へと還ろうと誰もが考えた。
その時、集会所の門が叩かれた。こんな急事に誰だろうかと門を開けると、そこには浄衣を身に纏った壮年の男が立っていた。彼は村の裏山に佇む、小さな神社の神主であった。
「こりゃ、神主さま。いったいどうされました」
失神した村長の代わりに場を仕切っていた副村長が、目を丸くして尋ねた。神主はきょとんとした顔で答えた。
「なにを言うのです。大漁祭りは明日だというのに、誰もお神酒を取りに来られないからこうして出向いたのです。いったいどうしたのですか」
大漁祭り、そういえばもうそんな時期だったかと副村長は思った。この村では毎年この時期に、漁の安全と成功を祈って祭りが開かれていた。鬼の襲来で皆その事を忘れてしまっていたのだ。もちろん、そんな事をやっている場合ではない。
副村長は事情を説明した。神主は最初、俄かには信じがたいという顔をしたが、やがて皆の顔色と女や子供が見えない事に気づき、鬼の襲撃を信じる事にした。
神主はその場に座り込み、どうしたものかと考えた。村人達は、期待の目を神主に送った。数刻して、神主は勢いよく立ち上がった。
「副村長、鬼どもを一掃できますよ」
「ほ、本当ですか? 一体どうやって」
「まず、村の方達でお神酒を取りに来てください。鬼達にはそれを渡します。残った村の方達は、村はずれの雑木林で紫陽花の花を摘んできてください、出来るだけ大量にです」
「紫陽花? そんなものどうするんですか」
神主は力強く言った。「お神酒に力を与えるのです」
もう大分日が傾いてきた頃、お神酒と山積みの紫陽花が用意された。今度は手分けして、紫陽花の花弁や葉、茎をすり潰して汁状にした。搾り取った汁をお神酒に注ぎ込んで、よく混ぜ合わせた。真っ白だったお神酒が、ほんのりと藤色に染まった。仕上げに神主は大祓詞を詠みあげた。
日が山の麓に沈み、夜がやって来た。副村長と神主は、お神酒の入った大甕を海辺に置き、もの影から様子を見守った。
しばらくして、明朝に来た緑鬼が青鬼と黄鬼を引き連れてやって来た。三匹は大甕の中身を確認すると、にんまりと笑った。その口から鋭い牙が覗く。あの牙が村人の肉を引き裂いたのだと副村長は思った。青鬼が大人二十人でやっと持ち上がる大甕を軽々と持ち上げた。
二人は岩礁へと引き返す鬼どもの後をつけた。潮騒が耳に心地よい。副村長は明日からこの海へ、再び漁に出られる事を願った。
岩礁にたどり着くと、鬼達は円を作るように座っていた。一番高い岩の上で赤鬼がどんと構えている。おそらくあれが大将だろう。円の中央で、焚き火がごうごうと燃えていた。焚き火といっても人間のやるそれとは比べ物にならないくらい巨大で、それは炎といっても良かった。
大甕が赤鬼の前に置かれた。赤鬼は甕の蓋取って中を覗き込み、うーむと唸った。まずい、気づかれたかと神主は焦った。
「コレハ之ハ ジョウトウナ酒ジャナイカ コンナモノ ドコニ隠シテイタノヤラ」
赤鬼はゲラゲラと笑った。その大声で浜辺の砂が踊るように跳ねた。
赤鬼は傍らに置いてあった、巨大な二枚貝の貝殻を手に取った。その巨大さたるや、大人三人くらいは貝殻の中で寝そべる事が出来そうだ。鬼達はそれを杯にしているらしい。赤鬼は貝殻を大甕の中に入れて神酒をすくい上げた。それに続き他の鬼達も貝殻で神酒すくう。
赤鬼が貝の杯を夜空に掲げた。他の鬼もそれに倣う。そして同時に、ぐいっと流し込んだ。赤鬼はその太い腕で口元を拭った。
「コレハ美味」
そう言って、次から次へと酒を飲む。青鬼も、黄鬼も、緑鬼も、紫鬼も、紺鬼も、白鬼も、黒鬼も、ごくんごくんと喉をならした。
神酒が残り半分になったところで、白鬼がふらつく足で立ち上がった。
「ドレ ソロソロ残リノニンゲンモ 喰ッテシマオウ」
「ソウダ ドウセコノ村トモ今夜カギリダ ゼンブ喰ッテシマオウ」
青鬼も立ち上がり、二匹は人間を閉じ込めた洞窟へと向かった。神主と副村長は息を呑んだ。このままでは女と子供が食われてしまう。しかし今出て行ったところで勝ち目は無い。どうする。
「わたしが囮になって奴等の注意をひきつけます。神主さまはその間に皆を助けてください」
「なりません。我々二人だけではどうしようもありません。耐えるのです。もうそろそろ、効き目が出てくるはずです」
「しかし、このままでは……」
その時、巨大な地震が二人を襲った。二人は思わずよろめき、その場に倒れこんだ。
「グオオオオオオ!」
見ると白鬼が白目を剥き、喉を掻き毟り倒れこんでいた。じたばたと暴れまわり、その度にどすんどすんと地面が沈む。
「オイ ドウシタ」
青鬼が白鬼を助け起そうとした。しかし次の瞬間、青鬼も白目を剥き、口から大量の血を吐いて白鬼の上に倒れこんだ。
「グオオオオオオオ!」
他の鬼も苦しみもがきながら倒れ付した。その咆哮に潮騒がかき消される。巨大な牙の合間から、ぶくぶく血泡を吹いている。双眸の眼球はぐるぐるとぶれて、血の涙が流れ出す。浜に打ち上げられた魚のように鬼達はびくんびくんと痙攣し、跳ね上がる。喉や胸をその鋭い爪で、人間を引き裂いた爪で掻き毟る。肉が抉れ爪の間に挟まるのもお構いなしだ。ぐしゅぐしゅと耳障りな音を立て、傷口から血が流れ出す。それでも掻き毟り続ける。浜辺の砂がじわりと鬼達の血を吸い取り、赤々と染まっていく。赤鬼は倒れた拍子に頭を岩角でぶつけて悶えた。そのままのたうち回り、暗い海へと転げ落ちる。黒鬼の身体が跳ね回り、中央の巨大な焚き火へと入り込んだ。黒鬼は絶叫をあげてなんとか炎から逃れようとする。しかしその身体はあっという間に業火に包まれ、絶叫が夜の帳にこだまする。生肉が焼けて落ちる音が怒号の合間で激しく鳴く。腐った魚の様な臭いが磯の香りを覆い隠す。黒鬼の目からどろりと、ひび割れた巨大な眼球が流れてぶら下がった。黒鬼は思わずその手で顔を覆った。小さな炎の塊が転がった。眼球が砂の中に沈みこむ。暴れまわっていた緑鬼がそれをびしゃんと踏み潰す。緑鬼の首からは濁った血が噴き上げている。太い血管が傷の合間から覗いていた。緑鬼は声も出せずただ自らの血で身体を赤く染め上げている。黄鬼は自らの角をへし折った。折れた角から膿の様な液体がどろりと垂れている。痛みに歯を食いしばりながら、黄鬼はその角で自分の胸を裂いた。引き裂いた胸に手を突っ込み、苦痛の元凶を取り除こうとしている。ぐしゃぐしゃと臓腑を掻き毟る。ひしゃげた肺がその手に握られていた。咆哮しながらそれを砂浜に叩きつける。苦痛は治まらない。角で更に腹まで傷口を広げる。でろんと大蛇のような腸が流れ出た。それを引っ掴み、乱暴に引っ張りあげる。身体はのたうち、口はがくがくと震えている。角から流れ出た膿が顔に張り付き膜になっている。ずるずると引っ張り出された腸を角で切り裂いた。何を思ったかそれを口に入れて咀嚼する。まだ消化し切れていない塊が辺りに飛び散る。それが何かは見たくはなかった。鋭い牙に腸の一部が絡みつく。しばらくして黄鬼は完全に動かなくなった。
再び静かな潮騒が辺りを包んだ。その合間でぱちぱちと残り火がくすぶっている。二人はそっと鬼達の死体に近づいた。ひどい臭いに二人は鼻を摘んだ。白鬼の腰にぶら下がっていた鍵を二人がかりで外し、洞窟まで引きずって行った。洞窟は即席の牢となっていた。腰が砕けるかという思いで鍵を持ち上げ、錠前に挿し込んで回す。がちゃりと錠が落ちて扉を開けた。薄暗い洞窟の奥で、三十人ほどの女と子供が身を寄せ合って震えていた。怯えた目で二人を見る。
「もう大丈夫です。鬼達は退治しました」
神主がそう言うと、女たちは涙ながらに歓声を上げて一目散に村へと帰っていった。
「これで一安心ですね」
神主は満足気に頷いた。
「はい。しかし食料は殆ど底をつき、漁船もあらかた鬼どもに壊されてしまった。これからどうやって食べていけばいいのか……」
副村長はそう言ってうなだれたが、神主は笑い飛ばした。
「それなら心配ないでしょう。食料ならそこにあるではないですか」
そう言って神主は鬼達の死体を指差した。副村長は青ざめた顔で神主を見た。
「何を言っているんです。食べられるわけないでしょう!」
「いやいや、そんなことはありませんよ。試しにあの黒鬼を食べてみましょう」
神主は黒鬼の焼けた肉を引きちぎると、口に入れた。副村長は驚愕の面持ちでそれを見た。
「うむ、なかなか美味い。鶏の肉のようだ」
「本当ですか?」
「ほら、食べてみなさい」
副村長は手渡された肉をしげしげと見つめ、目を瞑って口の中に押し込んだ。恐る恐る噛み締める。口いっぱいに甘い肉汁が広がった。
「こりゃ美味い!」
「そうでしょう。これだけあれば、しばらくは食料には困らない。その間に漁船を直せばいいんです」
副村長と村人たちは神主に尽きぬ礼を言った。神主は「明日にでも、鬼の肉を少し神社まで持ってきてください」と言って帰っていった。
そうしてこの村名物の鬼焼きと、鬼肉の塩漬け、鬼肉の干物が出来上がった。その美味さは近隣の村や都でも評判になり、多くの人が村を訪れ、村はとても潤った。
また都の将軍が鬼肉を大変気に入り、兵を集めて鬼が島へ鬼狩りにゆくことになった。村はその拠点となり、とても発展した。何百隻という軍船が村から出て行き、しばらくして鬼が島を制圧された。鬼達は食糧として村(もはや港町であった)で養殖され、今でもその肉は高級食材として貴族や武士の食卓に提供されている。
鬼退治のシーンがこの作品の肝です。
少しでも怖がっていただければ幸いです。