第10話「微熱の余韻と過保護の限界突破」
旧校舎での襲撃事件から数日が経過した。
首謀者であった金髪の男をはじめとする貴族派閥の生徒たちは、蒼龍の徹底的な調査と容赦のない制裁により、学園から永久追放という重い処分を下された。
彼らの実家である貴族家に対しても、帝国の法に則った厳しい監査が入り、学園内にはびこっていたアルファ至上主義の腐敗した空気は、これを機に少しずつ浄化され始めていた。
しかし、飛燕の周囲の空気は、浄化されるどころか以前にも増して甘く、そして重苦しいものになっていた。
「飛燕、口を開けろ」
生徒会室の特等席であるふかふかの白いソファで、飛燕は今日もまた、学園の絶対的支配者からの異常なまでの過保護な扱いを受けていた。
蒼龍が銀の匙ですくい上げているのは、帝都の最高級薬膳店から取り寄せられたという、滋養強壮に効く琥珀色のスープだ。
湯気とともに漂ってくるのは、高価な朝鮮人参やクコの実の複雑で深い香り。
「……だから、もう薬の熱は完全に引いたって言ってるじゃないですか。自分で食えますから」
飛燕が匙を遠ざけようと顔を背けると、蒼龍はわずかに眉根を寄せ、ひどく傷ついたような、悲痛な表情を浮かべた。
「お前はあの薬の恐ろしさを分かっていない。オメガの身体にどれほどの負担をかけるか……。まだ無理はさせられない」
「いや、ピンピンしてますって。昨日だって中庭で軽く走り込みしたくらいだし」
「なんだと。安静にしていろと言ったはずだ」
蒼龍の声が低く沈み、室内の温度が一瞬にして数度下がったような錯覚に陥る。
冬の夜気を思わせる彼のアルファの香りが濃くなり、飛燕を威圧するように、しかしどこか縋るように包み込んでくる。
あの旧校舎での出来事以来、蒼龍の飛燕に対する執着は完全にタガが外れてしまっていた。
飛燕が少しでも咳き込めば学園お抱えの最高位の医師が飛んできたり、少しでも肌寒いと言えば、見たこともないような高級な毛皮の外套がどこからともなく運び込まれてくる。
『俺の魂が、彼を唯一の伴侶と認めているからだ』
あの時、旧校舎で蒼龍が堂々と宣言した言葉が、何度も飛燕の脳裏に蘇る。
思い出しては顔を熱くし、心臓が不規則なリズムを刻むのを抑えられない。
前世で喧嘩ばかりの荒んだ人生を送り、誰かに愛されることなど諦めきっていた自分が、こんなにも真っすぐに、しかも男から、それも学園の頂点に立つアルファから溺愛されている。
その事実が、飛燕の心を激しく揺さぶり続けていた。
「……わかりましたよ。食えばいいんでしょ、食えば」
飛燕は観念したようにため息をつき、おとなしく口を開いて琥珀色のスープを飲み込んだ。
身体の芯から温まるような濃厚な旨味が広がり、胃の奥がじんわりと熱を持つ。
「美味しいか」
「……美味いです。めちゃくちゃ」
飛燕が少しだけ素直に答えると、蒼龍の冷徹な顔立ちが嘘のように崩れ、子供のように嬉しそうな笑顔を見せた。
そのギャップに、飛燕はまたしても胸の奥がドクンと大きく跳ねるのを感じ、慌てて視線を逸らした。
「なら、全部飲み干すことだな。お前が健康な身体を取り戻すまで、俺が責任を持って面倒を見る」
「一生面倒見る気ですか……」
「ああ、そのつもりだ」
迷いなく即答されたその言葉の重みに、飛燕はむせそうになるのを必死でこらえた。
本気だ。この男は冗談でもなんでもなく、自分の一生を縛り付けるつもりでいる。
「俺はあんたのペットじゃないんだぞ。自分の足で歩けるし、喧嘩だって……」
「喧嘩は禁じている」
蒼龍がぴしゃりと言い放つ。
「お前のその強さは認めている。だが、お前が少しでも傷つく可能性があるなら、俺はどんな手段を使ってでもお前を守り抜く」
その瞳に宿る真剣な光に、飛燕は何も言い返せなくなってしまった。
過保護で、独占欲が強くて、重すぎる愛情。
だが、それが決して不快ではない自分に気づいているからこそ、飛燕はどうしようもなく居心地が悪かった。
祖母との約束である「真っ当な生き方」とは、随分と遠いところに来てしまった気がする。
しかし、蒼龍の隣にいるこの温かい場所を、手放したいとは少しも思えなかった。
飛燕は照れ隠しに小さく舌打ちをして、再び差し出されたスープの匙に、しぶしぶ口をつけるのだった。




