第3話 黄金の査定と、土の香りの晩餐
【大番狂わせの査定】
静かな空気が満ちる査察局の執務室。
無数に並ぶ書架の間を、自動で動く羽ペンがさらさらと走り、魂の記録を整理し続ける。
その一角、ヴィクトールとリリィの視線を浴びながら、エレナは小さく溜息をつく。
「お話の途中だけれど、さっさと提出してしまうわね」
二人の会話を遮り、エレナは迷いのない足取りで受付のメインコンソールへと向かう。
端末にグラファイトをかざすと、クリスタルのスロットが青白く輝き、「ヨハン」のデータが査察局の中枢へと吸い込まれていく。
その直後。
突如、華やかなファンファーレが局内に鳴り響く。
巨大なディスプレイが黄金色に明滅し、中央には燃えるような紅い文字が躍る。
『魂の真価値:確定ランク ―― 【 S 】』
直後、『偉大なる魂の転生に幸あらんことを』という厳かなシステム音が局内に鳴り響く。
「特筆事項なし」とされた農夫の魂が、最上位ランクへ跳ね上がる異常事態。
ペンを走らせていた査察官たちが一斉に顔を上げ、執務室は瞬く間に驚愕のざわめきに包まれていく。
「な、なんですかこれ! Sランク!? 先輩、またやったんですか!?」
リリィが椅子を蹴るような勢いで立ち上がり、画面を凝視する。
周囲の査察官たちからも、「あの案件をSに塗り替えたのか」「信じられん、どんな査察をすればこうなる」と、どよめきに似た賞賛の声が次々と上がる。
背後で腕を組むヴィクトールも、眉を寄せ、忌々《いまいま》しげに画面を睨みつける。
効率を求め自らの机に積み上げた「平凡」な記録の山。
それら灰色の束に比べ、黄金色に輝くエレナの成果は、鋭く彼の自尊心を突き刺していく。
「……また石ころの中に黄金を見つけた、というわけか。相変わらず効率を無視した大番狂わせだ。だが、この結果だけは認めざるを得ないな」
「……別に、狙ったわけじゃないわ。彼がそうだった、というだけよ」
エレナは素っ気なく答えるが、その頬は、周囲の熱い視線とディスプレイの輝きに照らされて、わずかに上気している。
【鳴り響く物理的抗議】
賞賛の嵐がエレナを包み込み、誰もが彼女の次なる言葉を待っていた、その瞬間。
――ぐぅううぅううぅううぅ……!!
Sランクを祝うファンファーレにも負けないほど、盛大で、かつ切実な音が室内に鳴り響く。
「…………っ!?」
一瞬で石のように固まるエレナ。
先ほどまでの誇らしげな上気はどこへやら、彼女の顔面は、ピンクの髪さえ霞むほどに真っ赤に染まっていく。
「おや」
グラファイトが追い打ちをかけるように、空気を読まず発光を強める。
「エレナ。これほど広範囲の聴覚器官に届くレベルの物理的抗議は、僕の記録上でも最大級です。どうやらSランクの査定には、相応のエネルギー消費を――」
「……っ、う、うるさいっ!!」
エレナは叫ぶと同時に、浮遊していたグラファイトを両手で力任せに掴み取り、それを盾にするようにして自らの顔を覆い隠す。
「ご、ごはんを食べてきますっ!!」
それだけ言い残すと、エレナは脱兎のごとく執務室を飛び出していく。
あとに残されたのは、呆然とするヴィクトールと、一瞬の静寂。
「あ、先輩! 私も行きます! 待ってくださいよぉ!」
リリィも弾かれたように席を立ち、逃げる背中を追って廊下へと駆け出していった。
【静寂の食堂と赤毛の古参】
逃げ込むようにたどり着いた査察局の食堂。
二十人は入れそうな広々とした空間は、通常であれば査察官たちの談笑が絶えない騒がしい場所だが、どうしたわけか今日は異様なほどに静まり返り、一人の影があるのみ。
そこには、赤毛の古参査察官、バシュタールがポツンと一人、カウンターの奥で寛いでいた。
燃えるような赤毛をラフに掻き上げ、骨太な顔つきでグラスを傾けている。
身にまとう少し灰色がかった死神の外套は、裾の至る所がすり切れ、無数の切れ込みが刻まれている。
それは、彼が歩んできた数千年の歳月の中で、幾多の強敵と戦い抜いてきた凄絶な経歴を無言で物語っていた。
「おや、エレナかい? そして、そっちのお嬢ちゃん」
男がゆっくりと顔を上げる。
この道数千年のベテランであり、エレナにとっては師匠筋にもあたる男だ。
「今日は食堂は休みだぜ。厨房の連中、揃って現世の美食ツアーに出かけちまいやがった」
「……バシュタールさん。そんな。私、もう……腹ペコなのに」
がっくりと肩を落とし、エレナは空いたテーブルに力なく突っ伏す。
Sランク達成の喜びが地面に落ちたアイスのように溶けていく。
「おやおや、災難ですねぇ。先輩、今にも干からびそうですよ?」
リリィが隣で茶化すが、その彼女の腹からも、控えめな音がひとつ鳴る。
バシュタールは豪快に笑うと、乱れた制服の袖を捲り上げ、無造作に立ち上がる。
「っはは! 泣きそうな顔すんな。俺が自分用に作った料理ならまだあるが……食うか?」
「……! はい、ぜひ。いただきます!」
顔を上げたエレナの瞳に、瞬時に光が戻る。
「じゃあ、私もそうするっ! 先輩の食べるもの、興味ありますし!」
【素朴な馳走と師の金言】
ふっくらとした白パンに、バターが香るなめらかなマッシュポテト。
そして、レンズ豆、豚肉をじっくりと煮込んだシチュー。
エレナはその皿を見つめ、小さく息を呑む。
「小麦のパンに、じゃがいも。それに……レンズ豆」
その質素なメニューはまるで、現世で看取ったヨハンの食卓を思わせるもの。
日頃の食堂を彩る豪華ビュッフェとは比べるべくもないが、今の彼女には、この素朴な温もりが何よりも嬉しく、誇らしかった。
エレナは、まるで育ち盛りの子供のようにガツガツと料理を口へと運び、頬を膨らませて夢中でスプーンを動かしていく。
バシュタールはそんな彼女を、父親のような温かな眼差しでニコニコと眺めながら語りかける。
「聞いたぜ。また査定結果でSランクを叩き出したそうじゃねえか」
「……ふぁい。バシュタールさんの、おかげです」
口いっぱいにシチューを含んだまま、エレナは不格好に感謝を述べる。
「なに、俺は何もしちゃいねえよ。石板は嘘をつけねえが、真実のすべてを映すわけでもねえ。いいかお嬢ちゃん――」
バシュタールが諭すように口を開いた、その時。
エレナの傍らで浮遊していたグラファイトが、異議を唱えるように青い光を激しく明滅させて割り込んでくる。
『バシュタール様、お言葉ですが、私は真実のみを記録する完璧な知能です。嘘などつきませんし、つけません。記録に不備があるなどという指摘は、私の設計思想に対する重大な冒涜ですよ』
「っはは! そう怒るなグラファイト。お前さんの『記録』が完璧なのは百も承知だ」
バシュタールは愉快そうに目を細め、リリィの方へと視線を向ける。
するとリリィは、エレナとは対照的に行儀よくスプーンを使いながら、会話にさりげなく割り込んできた。
「先輩って、どうやってSランクを連発できるんですか? リリィ、その秘密をぜひ知りたいです。……やっぱり、ちょっとだけ内容を『盛ったり』するんですか?」
リリィの突拍子もない問いに、エレナは思わずむせ返り、激しく咳き込む。
慌てて自らの胸を拳で叩き、口の中のシチューを何とか飲み込むと、涙目で叫び返した。
「……っ、も、盛ってないわよ!」
「っはは! いいかお嬢ちゃん。真実は一つだが、見え方は一つじゃねえ」
バシュタールが豪快に笑い、エレナをフォローするように言葉を継ぐ。
「エレナの奴は、グラファイトのような石板が書き漏らした『余白』を、自分の足と目で見つけてくる。それが結果としてランクを押し上げる。……『盛る』んじゃねえ、『掘り起こす』んだよ。なあ、エレナ?」
「……。早く食べて、次の仕事に行かなきゃ」
照れ隠しにシチューを流し込むエレナ。
リリィは「掘り起こす……!」と感銘を受けた様子で、その言葉を脳内のメモ帳に刻み込んでいた。
そんな様子を見ながら、バシュタールは感慨深げに言葉を継ぐ。
「最近の人間界は、どこもかしこも戦争ばかりで物騒だろ? だからってわけでもねえが、効率至上の連中が幅を利かせていてな。そんなところに、エレナ、お前がガツンと大番狂わせをやってくれた。いや、実に痛快だぜ」
バシュタールは空になったグラスを見つめ、かすかに目を細める。
【緊急の号砲】
食卓に漂う穏やかな余韻。
エレナがシチューの最後の一滴をパンで掬い取ろうとした、その時だった。
――ビーッ!! ビーッ!!
静かな食堂に、鼓膜を突くような鋭い機械音が鳴り響く。
音の主は、エレナ、リリィ、およびバシュタールの三人の傍らに浮かぶ「石板」だ。
表面には警告を促す紅い光が激しく明滅し、そこには有無を言わさぬ指令が躍っている。
『緊急招集:全査察官、直ちに第一執務室へ』
「緊急招集……? またか」
バシュタールの顔から笑みが消え、ベテランの鋭い眼光が戻る。
一方のエレナも、すぐさまパンを口に放り込むと、驚くべき速さで空の皿を重ね、食卓を片付け始めた。
「バシュタールさん、行きましょう。……ただ事じゃないわ」
「ああ。どうやら、のんびり飯を食ってる場合じゃなさそうだな」
二人は無駄のない動きで身支度を整えると、弾かれたように食堂を後にする。
「あああ、ちょっと待ってください! 私、まだ食べてるのに……っ!!」
リリィは最後の一口を必死に口に詰め込み、恨みがましい声を上げながら、風を切って走る二人の背中を追いかけていった。
【次回予告】
緊急招集の先は、血と泥に塗れた過酷な戦場!?
「1人10秒で裁け」――絶望するエレナとリリィを救うのは、ヴィクトールとバシュタールの頼もしすぎる背中!
空気を読まないAI石板たちのマウント合戦も勃発!?
次回、第4話。
先輩たちの不器用な優しさに胸キュン必至!
お楽しみに!




