第一話 整備不良です
【安全指針】禁足札の掲示を確認した場合、当該区域への立入は推奨されない。
違反時、拘束・罰金の対象となる。状況により「回収対象」として扱われる場合がある。
やむを得ず立ち入る場合は、単独行動を避け、状況記録を優先すること。
森は、祈りを受け取るふりだけが上手い。
苔むした石柱が折れ、蔦が輪を作り、獣道の先に小さな遺跡が口を開けている。大聖堂みたいな立派さはない。むしろ「ここに何かがあった」と言い張るには、静かすぎる場所だ。
ルカはその静けさが好きだった。人の匂いが遠い。代わりに、石と水と――長い時間の匂いがする。放っておけば噛み合わせは狂う。ひとつ歪めば、連鎖して止まる。つまり、手がかかる。手がかかるものは嫌いじゃない。
「これだ、ここに刺さってる。伝説の――」
前を歩く男が、やけに胸を張った。
ガイ 自称・勇者
肩幅だけが自信の根拠みたいなやつで、腰の剣は新品の飾り。本人は「予備」と言うが、予備にしては鞘が妙にきれいだ。
ルカは工具袋の紐を締め直した。北森遺跡が急に禁足地になった――その噂を聞いた時点で、嫌な予感と、妙な胸騒ぎが同時に来ていた。ガイは「聖剣だ」と騒いでいたが、ルカはそこまで信じていない。けれど、人が隠したがる場所には、だいたい理由がある。
本当なら、関わらないのが一番だ。禁足札のある場所は、踏み越えた瞬間に厄介事を連れてくる。わかっているのに、工具袋を肩に掛けてしまった。気になるものは、放っておけない。
そしてガイが「抜くなら、お前も来い」と言い張って、半ば当然みたいに連れてきた。
技術者、と呼ばれるとくすぐったい。ルカは鍛冶屋じゃない。叩いて形にするより、止まったものを“戻す”ほうが性に合う。修理屋。整備士。そんなところだ。
蔦の向こう、石の台座に一本の剣が刺さっていた。
鞘はない。柄は黒く、金属ではない素材で覆われている。刃は白銀……に見えるが、光り方が違う。金属の鈍さじゃなく、硝子のような冷たさ。刃の根元に、細い溝がぐるりと一周している。そこから、わずかに青い光が漏れていた。
ルカは息を止めた。
古い話に出てくる、あちこちの地に眠るという正体の知れない武具。見つかっていないものも、まだある。酒場の与太話――のはずだったのに。
「……これ、抜いて大丈夫か」
ルカが言うより早く、ガイは台座に手をかけた。
「大丈夫に決まってる! 俺が勇者だからな!」
止めたって聞かない。こういうタイプは、痛い目を見るまで学ばない。
ガイが両手で柄を握る。
遺跡の空気が、ほんの少しだけ変わった気がした。風が止まる。鳥が鳴きやむ。蔦の葉が震える。
ガイが引いた。
ずるり、と、信じられないほど簡単に剣が抜けた。抵抗がない。伝説にしてはあっけない。
ガイの顔が勝ち誇った形に歪む。口が開く。
――その瞬間。
剣の溝の青い光が、ぷつんと消えた。
次の瞬間、柄の内側から、低くて感情のない声が滑り出た。
「整備不良です」
森に、やけに澄んだ声が響いた。
ガイは一拍遅れて、目を見開いた。
「……しゃ、喋った……?」
「整備不良です。起動条件未達。動作異常。安全のため、出力を停止します」
ガイの指が痙攣した。剣は、握られたまま沈黙している。抜いたはずなのに――手の中で“働き”だけが消えたみたいだった。
ルカは思わず笑いそうになって、咳払いで誤魔化した。
「……そういうことか」
ガイが慌ててルカを見る。さっきまでの得意顔が、きれいに崩れている。
「おいルカ、これ……どういうことだよ。俺、抜けたのに」
「抜けたのは抜けた。……ただ、起きる気分じゃなかったらしいな」
ルカは台座に近づき、刃の根元の溝を指でなぞった。指先に、乾いたざらつきが残る。細かな砂と、古い汚れ。だが芯は硬い。簡単に崩れる作りではない――むしろ、荒く扱われる前提みたいに頑丈だ。
柄の側面に、ほとんど見えない小さな刻みがあった。文字ではなく、記号。三本線、円、欠けた星。
ルカは眉を寄せる。
「……どこかで見たことがある。こういう記号」
ガイはまだ剣をまじまじ見つめている。
剣が淡々と続けた。
「記録:欠落。経過年数――推定、二千年以上」
「記録が欠落してるのに、年数がわかるのかよ……」
「推定です」
ルカは目を細めた。説明はない。ただ、言い切り方が妙に確かだ。古さを測る仕組みがあるのか、内部の状態を見ているのか。
「二千年も眠ってたなら、いきなり全部は動かないだろ」
ルカは工具袋を下ろした。膝をついて溝の内側を覗き込む。筋が何重にも刻まれている。何のためかは断定できないが、通り道の形をしている。そこに黒い汚れが固く残っている。
「……詰まってる、って言い方が近いな。これじゃ、動きが鈍る」
ガイが顔をしかめる。
「じゃあ、直せるのか?」
「直せる“かも”な。少なくとも、手は入れられる」
ガイの肩が少しだけ落ちる。怖さが先に来た顔だ。それでも、投げ出さない。
「なあルカ。頼む。せっかくここまで来たんだ。……俺、変なことしたか?」
「変なことはした。まあ、動いているならなんとかなる」
「優しいな、それ」
「事実だ」
ガイが少しだけ笑って、すぐ真顔に戻った。
「で、今ここで……なんとかできないのか?」
ルカは首を振った。
「ここでいじるのは良くない。森の砂と湿り気を呼び込む。一度工房に持ち帰った方が良い」
ガイが言い返そうとした、そのとき。
剣が言った。
「注意:認証鍵が必要です」
ガイがぱっと顔を輝かせた。
「ほら! 鍵だ! つまり、まだ“本気”じゃないってことだろ!」
「落ち着け。鍵が要るってだけだ」
ガイが身を乗り出す。
「じゃあ、この辺のどこかに――」
「どうかな」
ルカは台座の一部を指先で叩いた。石の鈍い音のはずが、ひときわ乾いた金属音が返る場所がある。苔を払うと、枠で囲まれた四角い線。端に、こじ開けたような傷。
薄い鉄片を差し込み、力を入れすぎないように浮かせた。ぱちり、と板が外れる。
下には乾いた空間。短いスロットと、小さな接点。
「……ここに“差し口”がある。鍵ってのは、たぶんそれ用だ」
ただし――肝心の“それ”がない。
「……空か」
ルカが呟くと、剣がすぐ返す。
「認証鍵:未挿入。起動ロック:維持。出力制限:維持」
ガイが歯噛みした。
「誰かが持ってったってことかよ!」
ルカはスロットの縁をなぞった。摩耗している。何度も抜き差しされた跡。鍵は“ここで使われていた”。そして今は、ない。
ただの置き忘れには見えない。
「……持ち出したやつがいる。鍵だけ抜いて、蓋は閉めてる。雑に放り投げたなら、ここまできれいに戻さない」
ガイが眉をひそめる。
「じゃあ、そいつが鍵を――?」
「たぶんな。少なくとも、鍵は遺跡の奥に埋めてある宝じゃない。持ち歩く前提の物だ」
剣が淡々と告げる。
「直近の記録:欠落。推奨対応:整備。必要資材:認証鍵」
ルカは板を戻し、傷の位置を目で刻んだ。紙がないなら、頭に覚える。現場はそれで足りる。
「まず持ち帰る。整備して、それから鍵を探す」
ガイは不満そうに鼻を鳴らし、それでも頷いた。
「わかった・・・」
「それでいい」
ルカはそう返すと剣を外套で巻き、蔓を裂いて結び、揺れないように肩に回した。運べればいい。言葉は要らない。
森の静けさに、遺物の声がもう一度落ちる。
「整備不良です」
伝説の第一声としては、あまりに現実的だった。
ルカは剣の重みを肩に感じながら、森を出た。
この剣は、祈りで動くものじゃない。
動かすなら、手順と手入れと――鍵が要る。
ルカ・フィンレイ
性別:男性
年齢:16
身長:161cm
体重:52kg
職業:整備士
好きなこと:機械いじり、静かな場所、動くものが“戻る”瞬間




