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架空戦記━塹壕戦━

作者: 紫 和春

 欧暦一九一六年。ユーロピア地域で戦争が勃発した。

 エーゲレンス帝国、フランスラン第三共和政、イタンリー王国の三国通商同盟を中心とする連合国。ダイッチュ帝国、シベリア帝国、オーストリヒト=ハンガー二重帝国の大陸同盟を中心とする大陸枢機国。この二つの陣営が東西に分かれ、大戦争が発生したのだ。

 戦争はたった一発の銃弾で始まった。当時エーゲレンス帝国とダイッチュ帝国が、ユーロピア地域の覇権争いをしていた。その時に、オーストリヒト=ハンガー二重帝国の皇帝アフラン・フィリス・モダニアンが、連合国側に属していたオランジスト王国の青年に銃撃され、暗殺されたのだ。これをきっかけに、当時の同盟やら条約やらで作られていた連絡網が連鎖的に発動することで、ユーロピア地域の主要国がほぼ同時に宣戦布告する事態となったのだ。


 それから二年が経過した欧暦一九一八年。ダイッチュ帝国及びフランスラン第三共和政の国境付近。ここに南北二十キロメートルに渡る大規模な塹壕が掘られ、動員された多くの若者が互いの敵を見つめていた。

 産業革命が起き、劇的な技術革新が起きたことと相まって、戦線は非常に膠着していた。百メートル進むのに、千人の命が犠牲になるなんてことはザラにあった。

 そして、その主戦場の一つであるオランジスト戦線では、今日も戦線は動くことはなかった。


━━


 オランジスト戦線。フェリーロン市から進軍していたエーゲレンス帝国第五五一師団直下のコジリステン歩兵中隊は、しとしとと雨が降る中でジッと耐えていた。

 数日前に、最新兵器である航空機が爆弾を投下する作戦を実施するという連絡を受けた。その攻撃が来れば、敵の塹壕はすぐさま壊滅し、我が方が有利になるという。そのために、敵の砲撃や手榴弾からの攻撃を無視し続け、耐えているのだ。

 塹壕の壁を背に、中隊に所属しているグアニス一等兵は隣にいる仲間に声をかける。


「なぁ、煙草持ってないか?」

「持ってるわけねぇだろ。補給が来てねぇんんだからよ」


 そういって仲間は、コートをより強く体に巻きつける。季節は冬。降る雨が身に沁みて、凍える季節だ。

 グアニス一等兵は短く溜息をつき、同じようにコートにくるまる。座る地面はどこも水たまりで、そこから体温が奪われる。


「いつまでこうしているんだろうな」


 グアニス一等兵はふと呟く。

 コジリステン歩兵中隊の目標は、約三百メートル先の小さな丘だ。この丘を占領すれば、敵に対して有利な体勢を取れる。歩兵砲や敵の動向を知るための観測や、天然の防壁としても機能する。

 だがそれは敵も同じである。つまり、そこを抑えれば戦況が少しだけ変化し、自軍が有利になるというわけだ。

 グアニス一等兵は懐から時計を取り出し、時間を確認する。


「そろそろか……」


 その瞬間、風切り音と共に体の芯から揺さぶられる振動が起きる。数キロ先にある大砲による敵からの砲撃である。敵は毎日決まった時間に砲撃をしてくる。威嚇のつもりなのだろうが、塹壕の中でうずくまっていれば比較的安全である。

 だが毎日のように繰り返される砲撃によって、精神を壊した仲間もいる。運悪く砲撃が塹壕に直撃して肉片すら残らなかった仲間もいる。こんな状態で正気を保っていろというほうが無茶なのだ。

 そのうち敵からの砲撃が止む。


「はぁ、新年は家で過ごしたいぜ……」


 もはや士気はないに等しく、誰もがそのように願っていた。

 その時である。


「総員、突撃準備!」


 突如として、中隊長からの命令が下る。


「なんだぁ? もう動けねぇのに、突撃準備だなんて……」

「敵の砲撃が終わったばかりだろ。敵前に身を曝すなんて無茶だぜ」


 誰もかれも、そのように文句を言うものの、中隊長の命令には逆らえずに塹壕から身を出す直前の体勢になる。

 そんな時、グアニス一等兵たちの後ろから、自動車のエンジン音にも似た音がだんだんと近づいてくるのが分かる。


「おい、この音なんだ?」

「航空機……にしては地面と近すぎるし、遅すぎる」


 グアニス一等兵は興味を示すものの、この状態で塹壕から顔を出せば敵の機関銃で体が穴だらけになるだろう。ここはグッと堪えた。

 すると、潜望鏡で周辺の状況を確認していた兵士が声を上げる。


「な、なんだありゃあ!」


 その声で、他の兵士たちがざわつく。潜望鏡は後ろを見ていたので、おそらく謎のエンジン音の発生源を見ているのだろう。


「おいっ、何が見える!?」

「鉄の塊が自走している……! 大砲と小銃も見えるぞ!」

「なんだそれは……!?」


 それはエーゲレンス帝国が投入した最新兵器、戦車であった。平行四辺形のような、または菱形のような戦車は、今まで後ろにあった塹壕をものともせずに真っすぐ突き進んできている。

 ブリステン社製、履帯を装備した無限軌道、小銃程度では凹ませることも不可能な鉄板、自己防御と敵攻撃を兼ねた機関銃と大砲。どれも革新的で全く見たことのない、最先端技術を投入した兵器だ。

 戦車が十輌ほど横隊で進んでおり、塹壕を見事に乗り越え、敵へ迫ろうと前進している。


「アレの後ろに隠れながら突撃だ!」


 中隊長がそのように命令する。

 グアニス一等兵は、今一度ユースカンスM1905小銃を握りなおし、覚悟を決めた。

 やがて彼らの横を、戦車部隊が通過する。


「突撃! 前へ!」


 ピィーと笛がなる音がする。それと同時に、グアニス一等兵たちは目的地である小さな丘を目指して走り出した。


「うぉぉぉ!」


 怒号を上げてぬかるんだ戦場を駆ける兵士たち。

 敵も戦車の存在に気が付いたようで、身を乗り出して小銃による射撃を開始する。しかし小銃ごときでは戦車を止めることは出来ない。機関銃でも同じだ。

 逆に、戦車の機銃が動いて敵兵を撃ち始める。これによって敵兵は次々を負傷していく。

 戦車に勝てないことを理解させられた敵兵は、今度は突撃してくる兵士を撃つことにしたようだ。時折耳元を銃弾がかすめるような、甲高い風切り音が聞こえる。


「グァッ!」


 敵の攻撃が命中し、戦場で倒れる味方の兵士。助けるために踵を返しそうになるが、ここで立ち止まれば格好の餌食だ。歯を食いしばって前へ走るしかない。

 それでも、一秒に一人は敵の攻撃によって倒される。さっきまで十分いたはずの味方は、わずか数十人ほどしかいない。


「クソッたれがぁ!」


 それでも、前へ前へと走るしかない。ここは戦場。命は綿毛よりも軽い存在になる場所だ。

 やがて、グアニス一等兵のいるコジリステン歩兵中隊が丘の上にたどり着く。周囲を見渡しても敵はいない。


「目標、確保ォ!」


 中隊の目的は達成した。

 その前方では、戦車部隊が敵の塹壕を目指して前進を続けていた。やがて敵の塹壕に到着すると、そのまま塹壕の上を踏みつけていく。

 運悪く塹壕が崩壊して戦車に踏みつぶされる敵兵、塹壕の上に止まった戦車の機銃で掃射される敵兵。死屍累々の様相を呈していた。


━━


 戦車の投入によって、この大戦争の幕が閉じるかと思われたが、大陸枢機国も非装甲トラックに大砲や機銃を搭載した急造品で対抗してきた。これにより戦線は再び膠着し、戦争の終結にあと三年を要することになったのだ。

 そしてこの戦争で世界はさらに複雑怪奇な状況と陥るのだが、それはまた別の話となる。

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