第十一話 王太子の贈り物とストーカー(婚約者)の視線
翌朝。寮(公爵家の別邸)から学園へ向かう馬車の中。エリアーデは、前世の妹の顔で、分厚い革張りの攻略ノートを(昨日よりも激しい勢いで)めくっていた。
「(小声)ダメだ!ダメだダメだ!完全に想定外!」
「(小声)……今に始まったことじゃないだろ」
俺が(寝不足と胃痛で)げっそりしながら答えると、エリアーデがガバッと顔を上げた。その目は(オタク的な)絶望に満ちている。
「(小声)昨日のカフェテリアの一件、最悪だよ!ソフィア様がお兄の苦し紛れの『鍛錬』ネタに乗っかってきた!しかも、イジメを中断する口実に使った!」
「(小声)……まあ、結果的にリリアン嬢は助かったが」
「(小声)そこが最悪なの!」
エリアーデはノートの一点をビシッと指差した。
「(小声)ソフィア様はお兄のこと『婚約者を裏切ったクズ』 だけど『(理由は不明だが)自分以上の実力を持つ魔術師』っていう、謎の二重評価を始めてる!あの『鍛錬』ネタ返しは、『あなた(レオニール)の秘密(鍛錬)に、わたくしも一枚噛ませていただくわ』っていう宣戦布告だよ!」
(……宣戦布告)
あの時のソフィアの、俺を一瞬だけ見た、挑戦的な目を思い出す。『孤高のクズ(仮)』 はおろか、『不可侵』作戦も、彼女の予想外の行動によって完全に破綻した。
「(小声)さらに最悪なのがリリアン様!」
エリアーデがノートを殴り書きする。
「(小声)ソフィア様が態度を変えたのを、お兄が『裏で手を回して説得した(秘密の鍛錬)』って誤解してる!『私のために、婚約者と秘密の取引までしてくれる』って!もう好感度カンストしてるよ!」
「(小声)……俺はスローライフが欲しいだけなんだが」
「(小声)だから、『シャドウヒーロー大作戦』を続行しつつ、軌道修正する!」
エリアーデは攻略ノートの新たなページを開いた。そこには『1年次・春:王太子の呪いの護符事件』と書かれていた。
「(小声)これだ。ゲームでは王太子 が、カフェテリアで貴族(ソフィアの取り巻き)に絡まれているリリアンを助け(※昨日、俺が原因で発生済み)、彼女の身を案じて『護身用の魔道具(護符)』をプレゼントする」
「(小声)……いい話じゃないか。フラグが立つんだろ?」
「(小声)立たない!」
エリアーデが声を潜めつつも、強く否定した。
「(小声)王太子が(善意100%で)選んだその護符が、実は『魔力を過剰に溜め込む欠陥品』だったの!リリアンが身につけたことで、彼女の聖女の力(無自覚)に反応して暴走!リリアンが苦しみ出して、それを王太子 と他の攻略対象が(勘違いして)レオニール(悪役)の呪いだと疑う!という最悪のイベント!」
「(小声)俺のせいになるのかよ!?」
「(小声)そう!『婚約者とグルになってヒロインを呪った』って、断罪フラグがビンビンに立つ!」
『シャドウヒーロー』としての俺の次の任務が決まった。
「(小声)王太子がその『欠陥護符』を入手する前に、お兄が『シャドウヒーロー』として忍び込み、その護符の魔力回路を(誰にも知られず)修正・安定化させる!これでリリアンは救われ、お兄への疑いも(発生しないから)回避できる!」
「(小声)……分かった。で、その護符はどこにある」
「(小声)王家御用達の魔道具店『アルカニスト』。今週末、王太子が視察(という名の護符探し)に行くはず!」
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その日の学園は、奇妙な「嵐の前の静けさ」に包まれていた。俺はエリアーデの新方針に従い、『クズ(不可侵)』ムーブを徹底した。
休み時間、リリアンが(今日も元気に)キラキラした目で近づいてくる。
「レオニール様!あの、昨日のお礼と、それから……」
「……」
俺は(罪悪感を押し殺し)彼女と一切目を合わせず、教科書をめくる音だけを響かせる。
「あ……。……ごめんなさい、お邪魔ですよね。……でも、ありがとうございます」
リリアンは(なぜか)嬉しそうに微笑むと、自分の席に戻っていった。
(頼むから察してくれ……!俺はお前と関わりたくないんだ……!)
俺の心の叫びは彼女の「(今日も私(と周囲)に迷惑がかからないよう、わざと冷たくしてくれてる……素敵!)」というポジティブ誤変換に阻まれて届かない。
そして昨日から始まった強烈な「視線」。俺が廊下を歩いていても、中庭で(エリアーデと)昼食をとっていても常に感じる。
(……まただ)
Aクラス校舎の窓から。図書館の書架の隙間から。ソフィア・フォン・ヴァレンシュタインが、俺を執拗に「監視」していた。目が合うと彼女はフイと顔をそむけるが、その耳が(気のせいか)少し赤い。そして、次の瞬間には、また別の場所から俺を凝視している。
(『不可侵』どころか、『常時監視』されてるじゃないか!)
エリアーデの新方針はまたしても初日から破綻していた。
「(小声)お兄、耐えて!ソフィア様は『鍛錬』仲間 (と誤解してる)お兄が、昼間何をしてるか気になってるだけだから!」
「(小声)一番タチが悪いわ!」
この奇妙な状況は、王太子の混乱にも拍車をかけていた。彼は昼休み、カフェテリアで(またしても)リリアンに優しく声をかけていたが、その視線は、遠くの席で『クズ』ムーブを貫く俺と、さらにその遠くから俺を『監視』するソフィアとを、何度も往復していた。
(何が起きている……?)
王太子の表情にはそう書いてあった。
(ソフィアは被害者のはずでは?なぜあいつ(レオニール)を監視している?脅されているのか?いや、それにしてはソフィアの様子が……?リリアン嬢は、あいつ(レオニール)に冷たくされても、なぜか嬉しそうにしている……?あいつ(レオニール)は、俺(王太子)とソフィアとリリアン嬢を、裏で手玉に取っているというのか……!?)
王太子の中で、「レオニール=クズ」という評価から、「レオニール=底知れない、邪悪な策略家」という、さらに厄介な評価へと進化しつつあった。
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そして、週末の夜。俺は(エリアーデに見送られ)寮(別邸) を抜け出し、黒装束(シャドウヒーロー仕様)に身を包み、王都の高級商店街にある魔道具店『アルカニスト』の屋根にいた。
(エリアーデの情報通りなら、王太子 は今日、この店を視察し、『欠陥護符』を取り置きにしたはずだ……)
音を立てずに天窓から店内に侵入する。公爵家の英才教育(忍び歩き含む)が役に立つ日が来るとは。
店内は静まり返り、高価な魔道具が月明かりに鈍く輝いている。
(あった。王家の紋章入りの保管箱だ)
レジ裏の金庫室(といっても簡易なものだ)に、目当ての品が置かれている。 俺は魔力を使い、鍵を音もなく開錠した。
(これか……)
箱の中には銀細工の美しい護符が一つ。見た目は完璧だが、魔力を流してみると、内部の魔力回路が(エリアーデの言う通り)極めてアンバランスな設計になっているのが分かった。
(素人が作ったらこうなる。王家御用達の店の品がこれか? ……いや、これは意図的か?)
俺が護符の回路を修正しようと、細心の注意で魔力を集中させ始めた、その時。
カチャリ。
「!」
背後。天窓ではない。店の「裏口」の扉が開く音がした。
(警備員か!? いや、魔力の気配が違う……この気配は……!)
俺は護符を箱に戻し、即座に物陰に隠れた。
月明かりの中、静かに店内に侵入してきた人影。それは、俺と同じ、黒い夜着に身を包んでいた。違うのは、そのしなやかなシルエットと、フードからこぼれる――燃えるような、赤いロングストレートの髪。
「ソフィア……!?」
俺は(心の声で)絶叫した。
彼女は、なぜか俺が今夜ここに忍び込むことを知っていたかのように、まっすぐに金庫室に向かってきた。
「……やはり、ここでしたのね」
ソフィアが俺が隠れている棚に向かって静かに呟いた。
「あなたの『鍛錬』 は、夜盗の真似事でしたの?」
(バレてる!なんで俺がここにいるのがバレてるんだ!?)
俺の『シャドウヒーロー大作戦』は、義妹以外の、最もバレてはいけない人物に、二度も現場を押さえられていた。




