12-7 復讐人の矜持と次なる標的
暗く冷たい湿気と断罪の焦げ肉の臭いがする地下室を背にして、地上に出た岬たちは、大使館本館へ向かって歩いていた。
星空の下の冷涼な外の空気が、オーバーヒート気味な心の熱をわずかに冷ましてくれる。
「ミサキ」
静寂を破ったのは、隣を歩くエリオットだった。
彼は歩調を緩めず、前を見据えたまま問いかける。
「確認だが、鶴ヶ島の自白の信憑性が裏取れたら本当に彼を解放するのかい? 彼は小者だが、詐欺集団の中枢にいた男だ。 野に放てば更なる悪事を働き、君の素性や復讐計画を第三者に口外するリスクだってゼロじゃない」
「はい。 そのリスクは承知の上です」
岬は迷いなく答えた。
「でも、だからこそエリオットさんはエージェント神崎を、監視役として傍につけることにしてくれたんですよね?」
エリオットは、ふっと口元を緩めて頷いた。
「その通りだ。 あらゆる事態を想定して打てる手は打つ。 それが我々の流儀だ。 だが、基本は君のルールでいく。 僕らはあくまで君の描いた絵図を支えるサポート役に徹するよ」
彼は少しだけ声を潜め、探るように尋ねた。
「……それで? 古河の組織を鶴ヶ島に引き継がせた後は、どうするつもりなんだ? あのコミュニティをそのまま放置するのかい?」
「はい。 しばらくの間は」
岬はエリオットを見つめ返し頷く。
「鶴ヶ島には、徹底的に古河を『絶対的な悪人』『信者を騙し裏切った卑怯者』として、信者向けに喧伝させます。 そして信者たちの崇拝を憎悪へと完全に反転させた後で」
岬は言葉を区切った。
「元信者だった数十万人がネット上で古河を憎み罵る映像を、地下室のモニターで古河に見せつけます。 彼が生きている間は、ずっと」
それは、ある意味で肉体的な苦痛以上の地獄。
「やがて古河が精神的にも徹底的に追い込まれ、完全な自我崩壊を迎えたら――用済みとなった鶴ヶ島は再び地下室へ連れ戻し、古河の後を追ってもらいます」
岬は無慈悲に宣告した。
「所詮、彼らの組織は自転車操業で成り立っている詐欺集団。 古河という権力と癒着したカリスマを失えば、一年も持たないでしょう」
かつて、元上司の水戸茂に言われた言葉が脳裏をよぎる。
『君の代わりはいくらでもいる』
その言葉を、今度は私が彼らに返す番だ。
古河がいなくなれば鶴ヶ島を。鶴ヶ島がいなくなれば、また別の誰かを利用し、不要となった者には退場してもらう。
彼らは特別な存在などではない。交換可能な部品に過ぎないのだ。
「素晴らしい」
エリオットが感嘆の吐息を漏らした。
「僕の描いた青写真と、ほぼ同じロードマップだ。 君は本当に優秀だよ。 古河と鶴ヶ島と信者たちに潰し合いをさせて、最終的に一人残らず根絶やしにするわけだね」
「はい。 あのような腐りきった連中は、社会にとって害悪でしかありませんから」
岬はきっぱりと言い切った。
彼女の横顔には、既に怯えも迷いもない。
あるのは、毒をもって毒を制する復讐人としての矜持だけだった。
岬たちは大使館の本館に到着し、そのままロビーへと足を踏み入れる。
高い天井に輝くシャンデリアの下、数名のSPに囲まれた巨躯の男が二人を待ち構えていた。
アメリア連邦国大統領、ガブリエル・ハルフォードだ。
「やあ、二人とも。 無事に終わったようだね」
ガブリエルは、二人を見つけると笑顔を見せて大きく両手を広げた。
「仕事が残っていて、地下室の『同窓会』に立ち会えなかった。 すまないね」
「いえ。 今回のことは全てお父様……大統領閣下のお力添えのおかげで達成できました。 ありがとうございます」
岬が深く頭を下げると、ガブリエルは優しく首を横に振った。
「父として当然のことをしたまでだ。 さて、あらかた日本での仕事は片づいた。 私は次の外遊先に出発しないといけない」
岬の前に歩み寄った彼は、大きな手で岬の肩をポンと叩いた。
「我が娘よ。 遠く離れていても、私の心はいつでも君の傍にいる。 困ったことがあれば、いつでも、どんな些細なことでもエリオットや私に相談しなさい。 私たちは君のためなら、月すら捕まえてみせるからね」
その言葉に岬の心が温かく震えた。
彼は世界最強の権力者。けれど、目の前にいる彼は娘を案じる不器用で温かい父親の姿だった。
ガブリエルは視線をエリオットに移し、表情を引き締めた。
「後を頼むぞエリオット。 彼女の復讐は道半ばだ。 最後まで、我らハルフォード家の名に恥じぬサポートを」
「分かっているよ、父さん。 安心して任せて」
エリオットは、頼もしい笑みで請け負った。
すると、ガブリエルは急に声を潜めて英語で息子に囁いた。
『頼もしいが少々不安だな。ミサキは魅力的な女性だからな』
エリオットは眉を跳ね上げ、苦笑交じりに英語で切り返す。
『悪いけど、父さんより僕の方が紳士だよ』
岬は二人の英語による会話の内容を掴めず、わずかに首を傾げた。
ガブリエルは、そんな岬の様子を見て豪快に笑うと二人を交互に見つめ、力強い日本語で告げた。
「幸運を祈る。 また近いうちに会おう!」
そう言い残すと、ガブリエルはSPたちを従えて悠然と歩き出した。
本館の正面扉が開き、大統領一行が夜の闇へと消えていく。
ほどなく、建物の外から複数の車の重厚なエンジン音が轟き、次第に遠ざかっていく。
ガブリエルは大使館を去っていった。
静寂が戻ったロビーで、岬は感謝の思いを噛み締めていた。
(あの人が本当の父親だったら……)
数年前に家を出ていき音信不通となっている実父とは、あまり良い思い出はない。
けれど、もし父性というものがあるべき形を持つのなら、きっとガブリエルのような強さと優しさを兼ね備えたものなのだろう。
「さて」
エリオットの声で岬は我に返る。
「ひとまずケリはついた。 今日はもう休もうかミサキ。 さすがに君も疲れただろう」
「はい」
岬は頷いた。
二人目の復讐ターゲット、古河達哉。
実質的に彼はもう死んでいる。地位も財産も人間関係も、ほぼ全てを剥奪した。
残るは地下室という煉獄で終わりのない苦痛と絶望を味わい続けるだけ。もはや、ただの消化試合に過ぎない。
岬は、ロビーの窓から見える夜景に目を向けた。
東京の街は、何事もなかったかのように煌びやかに輝いている。
しかし、岬の心の中にある復讐者リストには、まだ三人目の名前が残っている。
平泉潤二郎。
かつての恋人。
表面的には優しさという仮面を被り、裏では言葉の暴力と支配で岬の心を壊し、金銭も尊厳も搾取し続けた男。
岬の瞳に新たな決意の炎が灯る。
水戸や古河よりも更に陰湿で、人の心を弄ぶことに長けた男。
これから、たっぷりと終わりのない地獄を味合わせてやる。




