12-4 スマホ破壊ドリル
重厚な防音扉が重々しい音を立てて開き、冷たく湿った空気が肌を刺す。
岬とエリオット、そして数名のSPたちはコンクリート打ちっぱなしの階段を降りていった。
地下三階相当の深さにあるその部屋は、地上の喧騒とは無縁の静寂に包まれていた。
(……長い一日だった)
階段を一歩降りるたびに、岬の脳裏に今日という一日の記憶が走馬灯のように駆け巡った。
今朝、オフ会用の勝負服に袖を通した時の高揚感。
オフ会に潜入し、古河信者たちの狂気じみた熱気を目の当たりにした時の生理的な嫌悪感。
自分の正体が露見し、古河に腕を掴まれた時の恐怖とエリオットに助けられた時の安堵。
そして、永田町での晒し上げライブ配信と拘束劇。
あまりにも目まぐるしく、濃密な時間だった。
朝食のクロワッサンの味が、もう何年も前の記憶のように感じるほど、精神の摩耗が激しい。
一生かかっても経験しないような出来事が、今日のたった十数時間の間に凝縮されていた。
けれど、不思議と疲れはない。
逆に神経はかつてないほど鋭敏に研ぎ澄まされ、揺るぎない冷徹な復讐心が宿っている。
私は変わったのだ。被害者として怯えていた過去の自分は、もはや存在しない。
ここにいるのは法が裁けぬ悪人を裁く、断罪者としての私だ。
岬は顔を上げて、部屋の中央を見据えた。
そこには二つの影があった。
金属製の電熱椅子に拘束された、古河達哉と彼の側近の鶴ヶ島子規だ。
二人は両手両足を特殊な合金製の枷で固定され、首には逃亡防止用の鋼鉄の首輪――まるで猛獣を繋ぐ首輪のようなもの――が嵌められていた。
そして、彼らから少し離れた部屋の隅。
そこには彼らの未来を暗示するかのようなオブジェがあった。
水戸茂。
岬の元上司で、かつて星霜フロンティア社では我が物顔に振舞っていた歩くハラスメント。
今の彼はピクリとも動かない。焦点の定まらない瞳は虚空を見つめ、口からは涎が垂れている。腕に繋がれた点滴チューブと、鼻から胃へ直接栄養を送るカテーテルが、彼が生物として辛うじて活動していることを示していた。
長い拘束生活と反復される絶望的な映像視聴、そして時折与えられる電気と熱の苦痛によって、彼の心は粉微塵に砕け散っていた。
まさに生ける屍。
「……ッ!」
岬の足音に気づいた古河が、弾かれたように顔を上げた。
その顔は恐怖と怒りでどす黒く歪んでいた。
「てめえ! 滝乃川ァ!」
古河が獣のような咆哮を上げた。
ガチャガチャと鎖を鳴らし、拘束具が手首に食い込んで血が流れるのも構わず、暴れようとする。
「カスの分際で俺様に何しやがる! ここから出せ! 今すぐ俺を解放しろ! 俺のバックには岸波文男がついているんだぞ!」
コイツは、まだ状況が理解できていない。
あるいは理解することを拒絶しての発狂寸前なのか。
古河の罵倒は、この期に及んでも他人の威光を借りた虚勢だった。
「ひぃっ……!」
一方で、隣の椅子に座らされていた鶴ヶ島は、岬の姿を見るなり情けなく身を縮こまらせた。
オフ会で、あれほど偉そうに投資話を語り、岬を性的な目線で舐め回していた男の面影は微塵もない。
「あ、荒川さん! いや、荒川様!」
鶴ヶ島は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を向け、必死に懇願した。
「き、君に失礼なことをしたのは謝罪する! 本当に申し訳なかった! だから、僕は助けてくれないか? 僕は、こいつ……古河に命令されていただけなんだ!」
その言葉を聞いた瞬間、岬の瞳に冷たい侮蔑の色が宿った。
(……同じね)
自分の保身のために平気で他人を売り、責任転嫁した古河と同じ。
配信で「自分は悪くない」と嘘を吐き散らし、ガブリエルに命乞いをした時の古河と同じ。
「黙りなさい」
岬は鶴ヶ島を一瞥してから、古河の前に立った。
冷徹な瞳で見下ろすと、古河はまだ喚き散らしている。
「おい! 聞いてんのか! 俺の伯父貴が黙ってねぇぞ! ここから出たら、お前なんか社会的に抹殺して……」
「その伯父に見捨てられたから、あなたはここにいるの」
岬の静かな一言が、古河の叫びを遮った。
「あ?」
「民自党本部から引きずり出された時、誰も助けてくれなかったでしょう? 認めたくないだけで、本当は気づいているはず。あなたは岸波にも民自党にも捨てられたのだと」
「嘘だ……そんなはずが……」
古河の目が泳ぐ。だが、すぐに何かにすがるように叫んだ。
「ス、スマホ! 俺のスマホを返せ! あれさえあれば、まだ俺には信者がついている! 一声かければ、お前らなんか一発で……!」
古河にとってスマートフォンは単なる通信機器ではない。
数十万人の信者を操り、巨万の富を生み出し、他人を攻撃するための聖剣なのだ。伯父という後ろ盾を失った今、彼に残された唯一の心の拠り所だった。
岬は無表情のまま右手を上げた。
その合図に応え、背後に控えていたSPの一人が前に進み出る。その手には、押収済の古河のスマホが握られていた。
もう片方の手に握られていたのは――無骨な黒光りする工業用電動ドリルだった。
「あっ……」
古河の表情が凍りついた。
SPは無言のまま、これ見よがしに古河の目の高さに合わせてスマホを掲げ、ドリルのスイッチを入れた。
ギュイィィィィィィン!
地下室の暗く重い空気を切り裂くような、甲高いモーター音。
回転する鋭利なドリル刃が、スマホの画面に向けられる。
「や、やめろぉ……! それは俺の……!」
古河が悲鳴を上げた。まるで自分自身の体が傷つけられるかのような必死の形相。
「やめてくれ! 頼む! データが! 俺の顧客リストが! ウォレットが! やめろォォォォォ!!」
岬は冷酷に告げた。
「通常のデータ消去ではデータが復元出来てしまう。だから、データ復元が不可能な記憶装置の物理破壊で、あなたの心も砕き割る」
SPが躊躇なくドリルを突き立てた。
バリバリバリッ! メキョッ!
強化ガラスが砕ける音。基盤が削り取られる不快な音。
ドリルの先端がスマホの中央を貫通し、裏側へと突き抜ける。摩擦熱でバッテリーが発火し、白い煙と共に異臭が立ち昇った。
その異臭は、古河達哉の築いた社会的ステータスが完全に消失した狼煙でもあった。
「あぁ……あぁぁ……」
古河は口をパクパクと開閉させ、呼吸の仕方すら忘れたかのように硬直していた。
SPは無造作に、穴の開いたスマホの残骸を古河の足元に放り投げた。
カランと乾いた音が響く。
古河の目からボロボロと涙が溢れ出した。
「俺の……俺の全てが……」
彼はガクリと首を垂れ、子供のように泣きじゃくり始めた。
岬は勝ち誇ったように口角を吊り上げ、茫然自失の古河を見下ろした。
「そうそう、追加サービスでスマホ用アカウントも完全削除しておいたから。感謝しなさいよ」
古河はそれには答えず、すすり泣くだけだった。




