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8-1 44階のボディチェック

 チーン、という電子音と共に、重厚な扉が滑るように開く。

 そこは44階だった。


 一歩踏み出すと、そこはビルの無機質な共用部ではなく、既に一つの閉鎖された空間としてデザインされていた。床には、血のように深い赤色の絨毯が敷き詰められ、壁は黒を基調とした大理石で覆われている。


 正面には巨大な受付カウンターが鎮座し、その背後の壁には、悪趣味なピエロの仮面をデフォルメした古河達哉のチャンネルロゴが、ネオンサインで不気味に輝いていた。


(……それにしても趣味が悪い)


 内心で吐き捨てながらも、岬は完璧な「荒川未沙」の仮面を貼り付けていた。気怠げだが、好奇心に満ちたふりをした視線で、キョロキョロと辺りを見回す。

 受付カウンターには、揃いの黒い制服を着たスタッフが二人、まるでアンドロイドのように無表情で立っていた。


『ミサキ、聞こえるかい』

 耳の奥、鼓膜のさらに内側で骨を伝ってエリオットの低い声が響いた。超小型の軍事用インカムは、外部の誰にもその存在を気づかせない。


『今、44階フロア内の構造スキャンが完了した。君がエレベーターを降りた瞬間から、受付の背後にある二基の監視カメラが、君の顔を認証している』


 岬は内心の緊張を悟られまいと、ゆっくりと受付カウンターへと歩みを進めた。背筋は伸ばしつつも、どこかだらしない、金持ち特有の傲慢さを感じさせる歩き方で。


『エレベーターホールを抜けると、すぐに受付がある。通信機器や武器を身に着けていないか、入念にチェックされるはずだ。だが、安心して欲しい。既に伝えた通り、君の耳の中に埋め込まれた超小型インカムは、最新の金属探知機にも検知出来ない、DIA(国防情報局)開発の特殊セラミック複合素材で製造されている』


 エリオットの声は不思議なほど落ち着いていて、岬のささくれ立った神経を優しく鎮めてくれるようだった。


『それに目視レベルの確認では、絶対に見つからないように設計されている。君に必要なのは、堂々と振舞うことだ。そのビルの中では君の姿も、常に録画されて分析されているだろうからね』


 岬は、了解ですと周囲に聞こえない声量で小さく呟いた。

 受付カウンターの前に立つ。

「あのー、オフ会に参加しに来たんですけどぉ」

 わざと少しだけ間延びした、知性の感じられない声色を作る。


 受付の女性スタッフが、値踏みするように岬の全身を一瞥した。その視線は、岬が身に着けた高級ブランドのロゴ入りスウェットとスニーカーの上を、ちらりと這うように動いた。

「お待ちしておりました。アカウント名をお伺いしてもよろしいでしょうか」

「えっと、『ブラッディマリー33』です」


 その名前を口にした瞬間、スタッフの無表情だった顔に、わずかな驚きと、露骨に媚びるような色が浮かんだ。


「! 『ブラッディマリー33』……荒川未沙様でいらっしゃいますね」

「はい、そうですけど」

「先日は、古河様への多大なるご支援、誠にありがとうございました! スタッフ一同、荒川様のご来場を心よりお待ち申し上げておりました!」

 先ほどまでの無機質な対応とは打って変わって、90度の深々としたお辞儀。


(現金なものね)


 2000万円以上の金を貢いだ「お得意様」は、信者ヒエラルキーの中でも、最上位の丁重さでもてなされるらしい。


「身元確認のため大変恐縮ですが、『Myピカレスク』のアカウント画面を、お見せいただけますでしょうか?」

「はーい」

 岬は、気怠そうにクラッチバッグから偽名スマホを取り出し、アプリのログイン画面をスタッフに見せた。アカウント名の横には、金曜の夜に古河達哉本人から付与された、ブロンズ色の【B】ランクバッジが輝いている。


「ありがとうございます。確認いたしました」

 スタッフは、もう一度深々と頭を下げた。

「続きまして、会場のセキュリティ維持のため、不審物の持ち込みが無いか、ボディチェックをさせて頂きたく存じます。どうか、ご協力をお願いいたします」

「えー、めんどくさい……」

 岬は、あからさまに嫌そうな顔を作ってみせた。これも演技だ。


「申し訳ございません! 荒川様のような大切なお客様を、万が一の危険からお守りするため、全ての参加者の方にお願いしております!」

「分かったわよ。早くして」

 ふてくされたようにそう言うと、受付の奥から、別の女性スタッフが二人現れた。

 二人とも警備員のような、より機能的な黒いパンツスーツ姿だった。


『岬様、心拍数が上がっています。落ち着いて深呼吸を』

 インカム越しに、今度は広尾の冷静な声が届いた。今日は岬のバイタルも、リアルタイムで監視されているのだ。


(大丈夫。バレるはずがない)


 岬は、ゆっくりと息を吸い、軽く両手を広げてみせた。

 女性スタッフの一人が、ハンディタイプの金属探知機を、岬の頭のてっぺんからつま先まで、ゆっくりと這わせていく。

 何の音も鳴らない。特殊セラミック製のインカムは、しっかりと存在を隠蔽していた。

 だが、問題は次だった。


「失礼いたします」

 もう一人の女性スタッフが、岬の体に直接触れてきた。

 肩、腕、脇の下、そしてウエストライン。プロの手つきで、衣服の下に何かを隠し持っていないか、徹底的に確認される。


(インカム……!)


 耳の奥。髪で隠れた、そのギリギリのライン。

 スタッフの手が、岬の首筋から耳の後ろへと伸びてくる。

 心臓が、喉から飛び出しそうだった。

 もし、この瞬間にインカムの存在がバレたら……? おそらく拘束され、どこかへ連れ去られ、尋問される? その時は、左手の薬指にはめた指輪のボタンを押せば……!


 だが、その手は岬の耳たぶに軽く触れただけで、すぐに離れていった。

「……」

 岬が、安堵の息を吐く間もなかった。

 スタッフは、最後に岬の左手を取り、その薬指にはめられた指輪を一瞥した。

「……素敵な指輪でございますね」

「あ、これ? 別に、大したもんじゃないけど」

 岬は、わざと興味なさそうに答えた。

 スタッフは、それがDIA(国防情報局)の技術の粋を集めた、最強の緊急通報装置だとは夢にも思わず、ただのアンティークな宝飾品として認識したようだった。


「ボディチェック、OKです。問題ございません」

 二人のスタッフが、一礼して下がっていく。


「荒川様、大変お待たせいたしました」

 最初の受付スタッフが、プラスチック製のストラップ付き名札を、恭しく差し出してきた。

 そこには悪趣味なピエロのロゴと共に、信者ランクとアカウント名がプリントされていた。


【 B—RANK 】

【 ブラッディマリー33 様 】


「こちらを首からお下げになって、奥のメイン会場へお進みください。皆様、荒川様のお越しを、今か今かと待っておいでです」


(私の名前が値札みたい)


 岬は名札を受け取ると、素直に首からぶら下げた。

 自分が「荒川未沙」という名の「カモ」として、このコミュニティに値踏みされている。

 だが、それでいい。

 相手を欺き油断させるために、カモのふりをするのだから。


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