7-7 インカム越しの諜報戦
日曜日の西新宿。ビジネス街は、平日の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
空を突き刺すように林立する超高層ビル群が、まるで巨大な墓標のように見える。
岬は、ゆっくりと息を吸い込んだ。冷たいアスファルトが反射する、都会の空気が肺を満たす。
(あれね)
目指すビルは、すぐそこだった。
『新宿古河グラビティタワー』。
周囲のビルと比べても、ひときわ新しく、威圧的なデザインの黒いガラス張りのビル。
そのビルの最上階、44階が、今日のオフ会の会場だ。
岬は、周囲に視線を配りながら、ゆっくりと歩き出した。
『荒川未沙』として堂々と。金持ち特有の幾ばくかの傲慢さと、気怠さを全身に纏うように。
その時、岬の耳内に装着された超小型インカムから、広尾の冷静な声が、骨伝導で微かに響いた。
『岬様。現在地から、二時の方向。約20メートル先。グラビティタワー1階にあるカフェのテラス席。ノートパソコンを開いている男がいます』
岬は、さりげなく視線をそちらへ向ける。
『その男の視線が、先ほどから、あなたを注視しています。行動監視AIによる判定では、古河サイドの監視役である確率は98%と出ています』
(……!)
背筋に、冷たいものが走った。
もう、見られている。
『動揺しないでください。その男も、自分が監視役であることを見破られているとは思っていません。そのまま、ビルに入ってください』
『了解』
岬は小さく呟いた。
そのカフェのテラス席。
遠目に他の客を見るふりをしながら、ノートパソコンを開いていた男の顔をチラ見する。
彼は、コーヒーを飲むふりをしながら、その目は、ビルの正面エントランスへと向かう岬の姿を、何度も蛇のように捉えている。
男は、インカムマイクに、小さな声で報告を入れる。
通信先は『Myピカレスク』のオフ会に参加するSランク専用の音声チャンネルだ。
「対象の姿を確認。黒のワンボックスカーから降車。女一人。服装、事前に『Myピカレスク』のDMで申告させていた服装と特徴が一致しました」
「現在、『新宿古河グラビティタワー』のエントランスへ向かっています」
インカムの向こう側――44階の会場で待機しているSランクの側近から、冷たい声が返ってきた。
『車のナンバーは撮影したな?』
「はい。望遠レンズでクリアに。今、画像をSランク専用チャットに転送します」
男は、手元のPCで、先ほど撮影したワンボックスカーのナンバープレートの画像をアップロードした。
『よし』Sランク側近の声が続く。『その画像を、すぐに運輸局のデータベースにアクセス可能な協力者に回せ。この車が、どこの誰の所有物か、すぐに洗い出す』
「了解」
『お前はそのまま監視を続けろ。対象がビルに入ったら、44階の受付スタッフに連絡を入れて、厳重にボディチェックさせろ。武器や盗聴器、録音機器、外部と連絡を取るためのインカムの類を持っていないか、徹底的にな』
「了解しました」
カフェテラスの監視役の男は、通信を切ると、再び岬の姿に視線を戻した。
その視線は、2000万円以上の大金を貢いでくれた「カモ」への期待と、古河から伝えられた「敵かもしれない」という猜疑心で、濁っていた。
岬は、自分がすでに敵の監視下にあり、乗ってきた車さえも特定されようとしていることなど、まだ知る由もなかった。
彼女は、ビル入口の巨大な自動ドアの前に立つ。
ドアが開き、冷たい空調の空気が肌を撫でる。
敵の胃袋に、自ら飲み込まれていくような感覚。
岬は、一歩、敵の巣窟へと足を踏み入れた。




