7-3 装備 宝飾 勝負服
スイートルームに戻った岬は、決戦の装束を整え始めた。
まず、滝乃川岬として、大使館外の人間との繋がりを物理的に遮断する。
母や親友の大洗千影と連絡を取れる、特殊セキュリティ対策済みの私物のスマートフォン。今日は、ここに置いていく。
広尾の指示通り、スマホの電源を完全に落として、部屋の金庫にしまった。
(ごめん、お母さん、千影。少しの間、連絡できなくなる)
心の中で二人に詫びる。敵地に赴く以上、自分に繋がる情報は、どんな些細なものでも断ち切らなければならない。万が一、このスマホが古河の手に渡れば、母や千影にまで危険が及ぶ可能性がゼロではないからだ。
手に取ったのは、偽名『荒川未沙』用のスマートフォン。
DIA(国防情報局)の技術部がカスタマイズした特別製だ。通信はすべて軍事衛星を経由して暗号化され、位置情報は常に大使館のサーバーを経由して偽装され続ける。
古河サイドがどれだけ優秀なハッカーを雇っていようと、この端末から「荒川未沙」の位置を正確に補足することは不可能だ。
そして、左手の薬指にはめた指輪に、そっと触れた。
エリオットから渡された、命綱。
一見、アンティークショップにありそうな、小ぶりだが気品のあるサファイアが埋め込まれた指輪。
だが、このセンターストーンに触れ、三秒間強く押し込めば、半径50キロ以内に展開するアメリア連邦国の戦力――大使館の護衛チーム、DIAの諜報員、この国に駐留する特殊部隊、そして軍隊――に向け、即座に最高レベルの救難信号が発信される。
世界最強国家のバックアップ。
これがある限り、自分は決して死なない。その絶対的な確信が、岬の心を強く支えていた。
最後に服装の選定。
広大なウォークインクローゼットには、広尾が事前に用意させた、今日の作戦のための服が何着も並んでいた。
ファッションテーマは「頭の悪そうな成金の金持ち」。
岬が選んだのは、一見すると何の変哲もない、白いオーバーサイズのロゴ入りスウェット。だが、その胸元に小さく、しかしこれ見よがしに刺繍されたロゴは、分かる人間が見れば卒倒するような、フランスの超高級ブランドのものだ。
ボトムスは、それに合わせたリラックス感のある、上質なシルク混のワイドパンツ。足元は、同じブランドが有名アーティストとコラボした、即日完売したはずの限定スニーカー。
指輪以外で、これ見よがしな宝石や時計は身に付けない。だが、そのラフで気怠そうな服装と、さりげなく持つことになるであろう小さな革のクラッチバッグだけで、総額は軽自動車の新車が買える値段を優に超えている。
これこそが、古河達哉のような金に執着する人間が、好み、侮り、そして最も「カモ」だと確信するであろう姿。
金を持っていることだけがアイデンティティで、中身が空っぽの女だと、古河は『ブラッディマリー33』を、そう認識するだろう。
着替えを終えた岬は、クローゼットの奥にある全身鏡の前に立った。
そこに映っているのは、もう滝乃川岬ではなかった。
光を柔らかく反射する、軽やかな茶髪のショートボブ。知的な印象をあえて少しぼやかすための、度の入っていないセルフレームの眼鏡。
高級ブランドの服に、気怠そうに身を包んだ、あらゆる意味で「軽そう」な女。
(今日の勝負服、これで完璧ね)
高校時代、古河に虐げられ嘲笑われていた頃の、孤独で地味な私。
水戸にパワハラやセクハラを受け、毎日恐る恐る顔色を窺っていた、しがない契約社員の私。
その面影は、もうどこにもない。
岬はスイートルームのドアを開け、ウォー・ルームへと向かった。




